(11)ユンホ先輩

 

ユンホ先輩の次の言葉を待った。

待ちきれない僕は、「その『好き』は...えっと、あの『好き』と捉えてもいいんですよね?」と訊いてしまう。

 

「『好き』に種類があるのか?

去年、チャンミンは俺に告白してくれたじゃないか?

『好き』って」

 

「あ、あれは...その...。

そういうつもりじゃなくて...」

「じゃあ、どういうつもりだった?」

 

「先輩って面白くていい人だから...好きという意味もあって...」

 

しどろもどろする僕。

僕に向かって放たれた視線は、熱を帯びてとろとろに溶けてきた。

 

「で?」

 

ユンホ先輩は片膝から身を起こし、そのまま後ろの敷布団に倒れ込んだ。

視線から逃れた僕は急に不安になってきて、寝転がったユンホ先輩に近寄った。

フローリングの床が冷たかった。

 

「恋愛の『好き』もちゃんとありました。

でも、さっき言ったみたいに、男から『好き』と告られたら困ると思って...」

 

先輩と後輩の関係を傘に、恋愛感情の「好き」を隠したつもりだったのが、バレていたようだ。

 

「あん時はスルーしてしまったから、どこかで答えてやらないといけないと思っていたんだ」

 

「わかっていたんですか。

先輩...ポーカーフェイスが上手いですね?

僕、ドキドキだったんですから」

「俺も緊張してたよ。

チャンミンに病気のことを暴露したばかりで、お前の反応が怖かったからね」

 

「すみません。

ビックリしてしまって...どう受け止めたらいいか分からなくて...」

「俺も、ゴメン。

話が重かったよな?」

 

「あの時は子供だったんです。

...あの...。

気持ち悪くなかったですか?

男から告られて...?」

「気持ち悪い?

どうして?

チャンミンに見られてる、と思うと、興奮するね。

今もそうだよ」

 

「!」

 

大事な話をしている時に、ユンホ先輩の全身を舐めるように見ていた自分に気づいたのだった。

 

「チャンミンの告白は嬉しかったよ」

「!!!」

 

僕の脳内で、スターマインの爆発音が鳴り響いた。

 

 

この急展開は何なんだ!

喜びと困惑が2つ同時に沸き上がってきた。

この夜のユンホ先輩はいつもと違うことばかりだ。

仕事の後に食事だけじゃなく、部屋に誘い、勢い任せの僕の告白に対して、肯定的な返事をくれた。

何か目的があるはずだ。

都合よくコトが運んでしまっていいのだろうか?

ユンホ先輩は本当のことしか口にしない。

勢い任せもたまにはいい、欲に正直になろう。

 

 

ON状態のユンホ先輩が乗り移ったみたいに、僕から照れと躊躇が消えた。

僕はネクタイを緩め、ジャケットとシャツを脱いだ。

きょとんとするユンホ先輩の目の前で、靴下とスラックスを脱いだ。

最後の1枚を残すところで、ドア横のスイッチを押して照明を落とした。

僕の全身はかっかと火照っていて、全然寒さを覚えなかった。

アパートの外灯の灯りが、欅の窓から室内へと注いでいるだけ。

 

「...チャンミン?」

 

ユンホ先輩の声は掠れていた。

 

「今から、先輩を抱きます!」

 

僕はそう宣言をし、スーツ姿のユンホ先輩の腰の上に跨った。

 

「チャンミンっ!

どうした?」

 

ユンホ先輩は僕の手首をつかみ、脱がされるのを阻んだ。

 

「ユンホ先輩を抱きます!」

 

文句を言うくせに従順だった後輩に突然襲われたんだ、ユンホ先輩はびっくりだ。

 

「チャンミン!」

 

起き上がれないよう、またがる腰に全体重をかけた。

そして、ユンホ先輩の頬を両手で包み込み口づけた。

力いっぱい唇を押し当てただけの、色気のないキス。

知識を総動員させ、ユンホ先輩の唇をついばんでみせた。

突拍子もなく、非常識で馬鹿で恥知らずなことをやっている。

僕の肩を突っ張っていたユンホ先輩の両手から力が抜けた。

 

「!」

 

ユンホ先輩の手が僕の後頭部に回され、引き落とされた。

僕の幼稚な唇は、ユンホ先輩の大人な唇に覆われた。

 

「ん...」

 

それから、慣れた舌が僕の唇を割って侵入し、柔らかな舌先が内頬をくすぐった。

僕の唾液ごと舌を吸われた時には、顎の力は抜けてしまっていた。

ユンホ先輩...キスが...凄いです。

 

「下...脱がせてよ」

 

耳元で囁かれ、温かい息にぞわりと鳥肌がたった。

唇が離れてからも、顎から首筋へと快感で痺れていた。

 

「チャンミンから出るもので、俺の服が濡れる」

 

指摘された箇所を手で探ってみて、自分のそこが前を向いていることを知った。

 

「あ...」

 

恥ずかしくて赤面した両頬を押さえていると、

 

「あっ!」

 

僕は軽々とひっくり返され、ユンホ先輩に見下ろされていた。

がらんどうの部屋は暗い。

ユンホ先輩の顔のつくりも表情も、どちらもほとんど分からない。

 

「抱くのは俺だ」

 

 

すべてにおいて僕の動きはぎこちなく、関節は震えている。

そして、固くかたく閉じた入口。

 

「お前...初めてか?」

 

「...はい」

 

男の人との行為はユンホ先輩が初めてだった。

 

「今日中は無理だぞ?」

「いいえ!

大丈夫です!」

 

僕の身体もアイテムも、準備ができていなかった。

 

「こんなんじゃ無理だ。

代わりにしごいてやるから」

と、ユンホ先輩は挿れた指を抜いてしまう。

 

その度ユンホ先輩の手をつかんで、僕の方へと引き付けたのだった。

何が何でも最後までやってやる意地がどこから来ていたのか、その時には分からなかった。

ユンホ先輩は僕の肘や膝が痛まないよう、掛布団を引き寄せて下にあてがってくれた。

 

 

アパートは、繁華街からも幹線道路からも離れた閑静な住宅街にある。

ガタガタと鳴る家具はこの部屋にはない。

互いの肌が打ち合う音と、その合間に湿った音。

ユンホ先輩は行為に手馴れていた。

それは男の僕を受け入れられる証拠だ、過去に嫉妬するよりもホッとした。

うまくいったときには、日付が変わっていたと思う。

ユンホ先輩も僕もへとへとだった。

 

 

抱きあった後だ。

僕は荒い呼吸で上下するユンホ先輩の胸に頭を預けていた。

胸の谷間に浮いた汗の雫が、外灯の灯りに光っていた。

 

ユンホ先輩は話し出した。

ユンホ先輩は田舎出身で、妹がいること、入院中の病室から裸足で逃げ出したり(翌日の検査が嫌だったんだそうだ)、青白い顔色をしたクソガキだったこと。

大きなスパンで見ると数年、細分化してみると数カ月スパン。

もっと細分化すると、数週間スパンでユンホ先輩は揺れてしまう。

十数年薬を飲み続けていること。

とても調子がよいときは自分でも止められないこと。

突如、調子が悪くなること。

そのムラが性格上のものに思われるよう、自ら心の距離を置いて、出来得る限り快活な人物に見えるように振舞っていること。

 

「...大変ですね」

 

注意深く相づちをうった。

ユンホ先輩は、職場で最も多く言葉を交わす人だ。

ユンホ先輩は話がうまく、相づちの打ち方が絶妙で、どちらかというと口下手な僕でも話が弾んだ。

 

7年間もあれば、数えきれない会話が積み重ねられてゆく。

ユンホ先輩は単なる馬鹿正直者とは違う。

自分を大きく見せようとすることも、逆に卑下することも言わない。

ユンホ先輩の言葉はすべて、本当のことなのだ。

だからこそ、ユンホ先輩と交わした会話のいくつかを...印象に残った会話を...その時の風景まで覚えているのだ。

 

 

喉の渇きを覚えた僕は、ユンホ先輩の腕の中から抜け出した。

折りたたみテーブルの上の、飲みかけのビールを煽った。

気が抜けて苦くて、全然美味しくない。

ふり返ると、肘枕をついたユンホ先輩が僕の方を見ていた。

見えないだろうけど、僕は笑ってみせた。

 

「ん...」

 

今さら気が付いた。

 

「好きだった」と言っていた!

 

過去形だった!

行為の間中気になっていたワケ、今夜中にヤラなければならないとムキになってしまったワケは、このことだったんだ!

 

僕の馬鹿馬鹿。

 

 

(つづく)