ユンホ先輩の言う通り、ちらついていた雪がさらさら降りに変わり、路面を白く覆っていた。
気温が低い証拠に、雪の一片ひとひらが細かかった。
スーパーマーケットで総菜や飲み物、つまみになるものを買い、ユンホ先輩のアパートへ向かった。
道中ずっとユンホ先輩は無言で、僕の方も話題を探す努力はせず、口を閉じていた。
明らかにいつもとは様子が異なっていた。
一度部屋に戻ったらしく、ユンホ先輩は私服姿だった。
ユンホ先輩の恋人を空想するたび、彼の私服姿も一緒に想像していた。
「さぞエッジのきいたファッションに身を包んでいるのでは?」の僕の予想を裏切って、気の抜けたものだ。
ノーマルなユンホ先輩の恰好なんだろうな、ラフなのにスタイルの良さが際立っていたもので、よく似合っていた。
「忘れてた...!」
ユンホ先輩はつぶやき、前方に見えるコンビニエンスストアへと駆けて行った。
「先輩!」
ユンホ先輩のスニーカーが付けた足跡を、そのまま辿りながら彼を追った。
身長は変わらないのに、ユンホ先輩の歩幅は大きかった。
ユンホ先輩がコンビニエンスストアに立ち寄ったのは、僕の下着を買うためだった。
「えっ?えっ?」
下着...ということは...?
「今夜のチャンミンは、俺んちに泊まるんだ」
「待ってくださいよ!
先輩んちにって...何も準備してないし、予定していないし...」
「お泊り発言」にびっくりしてしまい、相変わらずのユンホ先輩の強引さについていけずに、あたふたしてしまった。
「その準備を今してるんじゃないか?」
ユンホ先輩は僕の頭からつま先まで見ると、
「お前は...Mサイズでいいな。
あとは、靴下と...。
Tシャツは俺のを貸してやる」
僕の異議を差し挟む隙を与えず、てきぱきと買い物かごに入れてゆき、会計まで済ませてしまった。
店内の明るすぎる照明のもとで、案の定、ユンホ先輩はくすんだ肌色をしていた。
今のユンホ先輩は本人の言う通り、冴えている。
ユンホ先輩を注意深く観察するようになった1年半の経験上、そろそろエネルギーが消える瞬間が迫っている。
パチン、とスイッチが切れるかのように。
・
「...先輩」
僕は絶句した。
部屋はがらんどうだった。
敷布団が1組と折りたたみテーブルがあるだけ。
テレビも無くなっていた。
・
折りたたみのテーブルに、買ってきた食べ物と飲み物を広げ、ささやかな晩餐が始まった。
ユンホ先輩はおそらく、僕に話したいことがあるんだ、と直感していた。
僕はビールを、ユンホ先輩はジュースを飲んでいた。
後輩だけお酒を飲んでいていいのかなぁ、遠慮がちに口をつける僕に、ユンホ先輩は苦笑した。
「薬を飲んでいるから、アルコールはダメなんだ」
「そういうものなんですね」
初耳だったから驚いた。
「いっぱいあるんだ、食え食え」
ユンホ先輩は僕の前に、総菜のトレーを押しやってくれる。
冷えてぼそぼそした焼きそばを頬張る僕を、ユンホ先輩はニコニコしながら見守っている。
「若いっていいなぁ」
「先輩だって若いですよ」
「俺は30過ぎのおっさんだ」
「知ってます、先輩?
僕ももうすぐ30歳なんですよ?」
「え!?
若く見えるなぁ」
「よく言われます。
童顔なので」
物もなく、音もなく、色もない空間は、引っ越してきたばかりの部屋みたいで、僕らの声はよく響いた。
「お前、俺の尻ばかり見ていただろ?」
「えぇっ!?」
ユンホ先輩の突然かつ唐突な発言に、僕はとび上がった。
そして、僕の中でパチン、とスイッチが入った。
ビール2缶でほろ酔い気分の僕は、アルコールの力を借りることにした。
僕は胡坐から正座に座り直し、背筋を伸ばした。
「はい、見ていました」
僕ははっきり認めた。
そりゃそうだろう、ユンホ先輩の切れ長の目が真ん丸になった。
僕はユンホ先輩のことがずっとずっと気になっていた。
ずっとずっと、ユンホ先輩に気持ちを打ち明けたかった。
でも、それがしづらい理由があった。
「僕は...男が好きな男です。
僕の恋愛対象は男です。
だから...言えずにいました」
「...チャンミン...」
「先輩に気持ち悪いと思われたくなかった。
先輩のことだから、今までと変わらない態度で接してくれると思います。
でも、先輩のことを見ていたり、こんな風に...」
僕はユンホ先輩の肩に触れた。
「偶然、身体が触れてしまった時。
こんな風に。
下心があるんじゃないか、って警戒されたくなかったんです」
「......」
「僕っ...先輩のこと」
正座した太ももに置いた手を、ぎゅっと握った。
葉を落した欅の枝に雪が降り積もってゆく。
アイスクリームを食べた夏の日。
Tシャツ姿のユンホ先輩が頬杖をついていた窓辺。
結露した窓の桟に、抱っこサイズの真っ白な熊がちょこんと座っていた。
「...あ」
傷ついたユンホ先輩を見たくなくて、意気地なしの僕はぬいぐるみに向かって話したんだった。
これは残しておいたんですね?
今夜の僕はユンホ先輩の目を、まっすぐ見つめた。
ユンホ先輩と確かに目が合っている。
「好きです」
なぜ、心の内をさらけ出すことができたか?
それは、ユンホ先輩がどこかへ行ってしまうと、心のセンサーがキャッチしていた。
言い逃げのような形の告白。
意気地なしで弱虫な自分は昨年と変わりがなかった。
けれども、ユンホ先輩はここを去る覚悟を決めていると分かっていたから、大胆になれたのだろうか。
「俺はお前が好きだったよ」
「...先輩...?」
「好きだった」
「えっと...あの...その...」
ユンホ先輩の言葉の意味が数秒遅れで認識できた時、僕の脳内で花火が打ち上げられた。
「ええええっ!?」
どう解釈すればいいんだろう!?
ユンホ先輩の「好き」と、僕の「好き」が違っていたら大赤面ものだ。
(つづく)