「はあはあはあ...」
僕はレンガ敷の地面に膝をついて、息が整うのを待った。
「ユノっ...話の途中だよ...!
『恩人』...のところで、なに始めるんだよ!?」
「あ...そうだった」
と、ユノは笑って、僕を引っ張り起こした。
「話しにくいからって、こんなことするなんてっ...」
「バレてた?
そのわりに、すごい感じてたじゃないか?」
ユノとは既に数回、エッチなこと(未挿入)をしているけれど、それらが刹那的なものではない証拠に、こうやって軽口がたたける。
エッチなこととエッチなこととの間に、打ち明け話を挟む傾向があった。
洗いざらい過去の恋は吐き出すべきだ...ユノと僕との共通認識だ。
・
「『恩人』の存在が『褒められない関係』に繋がるんでしょ?」
「ああ。
思いっきり繋がってる」
「聞かせて」
僕らは温室を出て、僕らの指定席であるベンチについた。
こんなにいい天気なのに、中庭は僕ら二人だけだった。
(あんなことをしていたんだから、無人じゃなきゃ困るんだけどね)
「いいよ。
後味の悪い話だから、落ち込んでしまうけど...いいよな?」
「うん」
ユノはカーディガンのポケットからマスクを一枚取り出したけど、装着せずに手の中でもてあそび始めた。
節が太く、長くて美しい男の指に、目が釘付けになる。
この指が、僕の中で踊っていたのだ...。
「!」
ユノの指...さっきまで僕のお尻に突っ込んでいた指。
今さらながら、思い出した。
「ユノ!?」
僕はぞっとして、マスクをいじるユノの手を、自分の方へと引き寄せた。
「何だよ!」
ユノは勢いよく手を引っ込めると、僕を睨みつけた。
忘れてた...エッチなスイッチが入っていない時のユノは、取り扱い注意なのだ。
不意に素手で触れたりなんかしたら、ユノの潔癖センサーが振り切れてしまい、パニクらせてしまう。
「ごめん...。
指...汚いでしょ。
さっきの...だから、洗った方がいいよ、って思って...」
抱き合いキスをし、デリケートな箇所を触れあう仲にはなったけれど、長年にわたって築かれたユノのデフォルトは瓦解できるはずない。
僕は無遠慮だった。
「びっくりさせてゴメン」
しょんぼりしている僕に、ユノは「悪い」と謝り、僕の肩を抱いた。
「慣れていないんだよ。
それにこれくらい...」
ユノはパーに開いた手を子細に眺め、
「大したことない」と言って、指を...まさしく、僕のお尻に入れた指をぱくりと咥えたんだ。
「ちょっと!
何してんだよ!」
勢いよくユノから自分の手を取り戻し、彼に向けてべぇと舌を出した。
この子供っぽい仕草が、余程面白かったみたい。
「あはははは」
(あ...)
ユノ、笑ってる...と思った。
からからと明るく、透き通った笑いだった。
「ううん、汚くない。
洗わなくていいんだ」
「...ユノ。
無理するなよ。
僕が傷つくと思ってんでしょ?
あの後は手を洗うのは普通のことだよ?
僕だって洗うよ?
洗って欲しいんだ」
ユノという人間は、洗う洗わないの基準が一般的な人とは極端にずれているし、ユノ自身、その基準点がどこにあるのか分からずにいるのだと思う。
だから、僕と深い仲(未挿入だけど)になった今、手を洗う行為を目の当たりにさせてしまうことで僕を傷つけてしまうのなら、洗わないと決めたのだろう。
極端なあまり、一般的な感覚の持ち主なら絶対に洗う場面であっても、ユノは頑として洗おうとしないかもしれない。
汚いものを自ら口にするという、大胆なことまでして見せて、僕に好意を伝えようとしてくれる。
嬉しいけどさ...嬉しいけど、やりすぎだよ。
「ホント。
無理してない。
汚いと思う必要がなくなったんだ」
「?」
「この感覚...思い出したよ」
「!」
亡くした彼のことを思い出したのだろう。
この時ばかりは嫉妬で、僕の胸がズキっと痛んだ。
横目に映るユノの横顔は寂し気で、細めた目は遠いところを見ていた。
なるほど...僕と抱きあえるようになった理由はそこなのか...と思いかけた時、
「恩人の話に戻るね」と、ユノは話題を切り替えてしまった。
「彼との恋が褒められたものじゃない訳は、恩人、が関わっているからなんだ」
「おんじん...ですか」
伸ばした足をぷらぷら揺らして、ユノの語りを待つ緊張をほぐした。
「俺が一会社で働けるようになったのは、その人のおかげだった。
ご想像の通り、俺にとって社会とは、恐ろしいものだらけの辛い世界なんだ。
普通の会社勤めするには、相当な頑張りが必要だ」
と、ユノはベンチに置きっぱなしだったゴーグルを指さした。
「今ほど酷くはなかったけれど、克服しなきゃいけないことは沢山あった。
専門の施設に厄介になって、専門家の指導を受けながらの、社会デビューだ」
「施設?」
「ああ。
家族の元にはいられなくて。
俺は施設慣れしてんの。
LOSTとその施設の違いは、こっちの方が掃除がなっていない。
それから、もっと大きな違いは自分の意思で出られるか否かだね」
「そっか...」
「最初の一歩は独り暮らし...次に仕事探し。
外出は俺にとってサバイバル。
部屋探しから買い物に付き添い、日々の様子覗いと定期的なインタビュー。
...俺が独り立ちするまで、サポートしてくれる人が1人つくルールになっている」
僕らは今、世間と隔絶された閉鎖空間にいる。
ユノの普通っぽくないところは、大して問題になりにくいし、僕も気にならない。
むしろ、強力な魅力として映っていた。
僕らの恋を阻むものであり、恋を盛り上げる設定として。
でも、一般社会を生きていくには、ユノの傾向は度が過ぎているため、どんな暮らし方をしていたのだろう、と疑問に思っていたのだ。
ユノが話していたように、潔癖度はひどくなっていったそうだから、学校を卒業して、ハイ就職と、スムーズには進まなかっただろうと想像はできた。
手助けをする人物の存在。
「じゃあ、その人が?」
「ああ。
俺の恩人と言える人だ」
「結婚した『彼』とは別の?」
「ああ。
そうなんだ」
その人と、結婚相手とどう話が繋がっていくのだろうと、僕はユノの話の続きを待った。
(つづく)
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