僕がLOSTにいた3年間の間、入所者の何人かは退所日を待たずにここを去っていった。
正面玄関ではない所から出て行ったのだ。
イコール、どこかに出口があるはずだ。
すみずみまで目をこらしても、それらしい箇所は見つけることができずにいた。
「はぁ...困ったなぁ」
洗濯室のテーブルに突っ伏して、洗濯機の丸窓を眺めていた。
ユノのパジャマがざぶざぶと洗われている。
椅子に座ることのできないユノは腕を組み、僕と同様洗濯機を睨みつけている。
僕と気持ちが通じあい抱き合う仲となったとしても、ユノの潔癖症は治ったわけではない。
「ふぅ...」
洗濯室をあらためて見回してみる。
ドラム式洗濯機が5台、乾燥機が3台。
1台だけ僕が入所した時から壊れっぱなしの洗濯機がある。
「!」
『使用禁止』の紙を剥がし、開けた扉の奥をぞいてみたけれど、ドラム式洗濯機であることには変わりはない。
「う~ん...」
次は床を踏み鳴らしてみたけれど、リノリウムが浮いた場所やツギハギがあったり、不自然なところはない。
「チャンミン...何やってんだ?」
「探し物」
ステンレス製のシンクの下は、こぼれた洗剤粉とホコリ、古びたバケツがあるだけ。
もう一度、洗濯室を見回した。
個人の部屋にはないと思う。
その部屋にだけ隠し出口がある構造になっているなんて不平等だ。
食堂にはスタッフステーションがあるから人目に付きすぎる、次の候補は面談室。
部屋の隅で埃をかぶっている観葉植物の造花の鉢を持ち上げながら、「そうなんだよ、僕はユノと脱獄しようとしてるんだよなぁ」と心の中でつぶやいた。
・
「婚約してた奴とどうやって知り合ったんだ?」
ふいにユノから尋ねられた。
「今から7年前に出会って、5年前に同棲を始めた。
そして、3年前に出ていかれた」
「7年...長いんだな」
「うん。
高校が一緒だった」
このところ、僕らはフェンスを挟んで荒野の彼方を眺めることが多かった。
「趣味は多く活動的なのに、他人と無駄につるむことを嫌っていた。
根本的には人嫌いで、余程の人物じゃない限りは、決して心を許さない。
そのうちの1人に僕は選ばれたかと思うと、鼻高々だったよ」
「そうだな。
恋愛関係に発展するということは、選び選ばれた者同士だからだ。
チャンミンが言ってた、『許す許される関係』
...その通りだな、と思った」
ユノの両手はカーディガンのポケットに突っ込まれていた。
出口探しでワンピースを汚すのが嫌で、僕はトレーナーとデニムパンツ姿だった。
「この人が全てだと信じていた。
恐らく、一生を共にするだろうと信じていた。
こいつ以上の者はいないと絶望していたのに、人の心とは信用ならんものだな。
びっくりだよ」
「ぽっかりとあいた穴が大き過ぎたからなのか、次の出逢いが強烈過ぎたのか...。
どっちがそうさせたのかな?」
「どっちも両方じゃないかな。
でも、後者が正解だと思う。
チャンミンが運命の人だったとか?」
「ユノって...さりげなく、凄い告白をしてくれるよね?」
「...あ」
僕の指摘で初めて気づいたらしい、ユノの白い頬が赤く染まった
・
「ラムネのとこを綺麗にしようか?」
1週間にわたった晴れ続きで荒野はからからに乾いていた。
地面から舞い上がった砂埃のせいで、温室のガラスは曇っている。
「暑いな」
片手をかざしたひさしの下で、ユノはまぶしげに目を細めていた。
まつ毛の先が日光で透けて見えた。
そうなんだよね、ユノの最大の魅力はその瞳なんだ。
ゴーグルに隠されていて、その他大勢の人々は気づけずにいる。
瞳の表情を探ろうと奥を覗き込むと、漆黒なのにカラフルな光が時折瞬いている。
その光が何色なのかは、今の僕にはまだ分からないけれど、例えて言うとそんな感じだ。
ユノの隣にいれば、いくつものユノを知ることができるのでは?...そう思った。
ユノと結婚していた彼は、ユノの瞳の美しさに惹かれただろう。
ユノみたいな面倒くさく重い男を愛した人だ。
なかなかの人物だと思う。
...でも、その彼はユノと浮気をしていたことになる。
ユノと彼との交際は『褒められた関係』じゃない...以前、ユノが話していた通りだ。
「チャンミンを愛した彼は、さすがだな」
ふいにユノは口を開いた。
「?」
「チャンミンって凄い奴だ。
こんないい奴を見つけてさ、恋愛して。
彼もいい男なんだろうなぁ」
「いい男だったけど、僕を置いて駆け落ちしちゃったしさ」
「そうだったな」
僕らは顔を見合わせ微笑した。
「今頃、彼は何してるだろうなぁ。
どこに住んでいるだろう。
駆け落ちした奴と一緒にいてくれないと許せない。
僕をLOST行きにするくらい苦しめてさ。
幸せでいてくれないと困るんだよ」
「チャンミン、いい奴だな」
ユノは僕の頭をガシガシ撫ぜた。
「あの世でどんな暮らしをしているんだろう?」
「心穏やかに暮らしていたらいいね」
天国からユノを見守っていたらと想像すると、僕らの恋は見張られているような気持ちになる。
死別して半年も経たずに『新しい男』と関係を持ったユノ。
僕に罪悪感を感じさせないように、平気そうな風を装っているのだと思う。
「ラムネの籠を掃除しようか?」
ラムネの世話もあと10回もない。
(つづく)
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