~ユノ~
「余命というと...生きられる期間があと何カ月とか、寿命が限られているという意味ですね?」
チャンミンの問いに、「そうだよ」と答えた。
「ヨメイ...」とつぶやきながらチャンミンは目をつむる。
言葉の意味を覚える時のチャンミンの癖だ。
すらすら読めるほどまで習得していないため、チャンミンは今もテレビを中心に知識を得ている。
俺がチャンミンの親なり兄ならば、俺以外の親しい者が皆無の彼を心配して、どうにか知人だけでも作ってやろうとしただろう。
でも、最低な俺はチャンミンを独り占めしたくて、彼から乞われない限り、閉じた世界に閉じ込めておきたいと思っていた。
怖いのは万が一、チャンミンを1人残していかなければならない羽目になったときだ。
二重三重にも手を打って、チャンミンの将来を保証してやる。
金があればなんとかなると考えている俺は、軽蔑に値するだろう。
それがどうした?と思うのだ。
俺を軽蔑する者がいたとしても、そいつは俺の知人でもなければ、他人だと認識したこともない顔無し。
俺は閉じた世界で生きてゆく...チャンミンと、永遠に。
戸籍のない俺とチャンミンが現実世界で生きてゆくには、金はいくらあっても足りないのだ。
~チャンミン~
「俺たちはこうやって、現実社会に確かに暮らしているだろう?
俺は『ユノ』として、チャンミンは『チャンミン』として」
「はい」
「じゃあ、意地悪な質問をするよ。
チャンミンが『チャンミン』だと、どうやって証明する?
『僕はチャンミンです』と連呼しても、それを信じない人がいたとしたらどうする?」
「...書類」
「残念なことに、俺たちには正式な書類というものはないんだ」
「......」
「チャンミンは売られた時に、無かった者にされた。
俺も『犬』になる時に、無かった者にされた。
俺たちは同じだよ」
僕の背中がヒヤッとし、鳥肌がたり、体表に冷や汗の膜が張った。
無かったことにされた...「死んだことにされた」という意味だ。
一瞬迷った末、僕の鎖骨の窪みにおさまるお兄さんの頭を撫ぜた。
「戸籍が無いのになぜ、このマンションに暮らしてゆけているのでしょう?
答えは分かる?」
「...誰かがメイギを貸してくれている?」
「ほぼ正解。
このマンションもあの店も全部、俺の名義になっている。
正真正銘、俺の物だ。
ここに、俺の買い主が関わってくる」
「そうなんですか」
「チャンミンの戸籍はどうなっていると思う?
この世に存在していないことになっているなんて...俺は許さない。
覚えているかな?
チャンミンは素っ裸になってストライキした日があっただろ?
裸のまま家の中をウロウロしてさ。
うちを尋ねてきたアシスタントにヤキモチを妬いた日だよ」
「お兄さん!!」
そんな時もあったなぁ。
裸ん坊になって抗議するなんて...子供っぽいにもほどがある。
恥ずかしさのあまり、僕の頬はぼっと熱くなった。
「チャンミンの手続きが済んだと、彼女は報告にきてくれたんだよ」
「...そうだったんですか」と頷きかけてすぐ、疑問が湧いてきた。
僕の気持ちを読んだお兄さんは、「ふふん」と笑った。
「こういう時、リッチだと助かるよね。
俺ってほら、狡いから」
「僕はズルいお兄さん、大好きです」
「兄弟にしておこうかと思ったけれど、それじゃあね...のちのち困るから」
「?」
「分かるだろ?」
「分かるって...何をです?」
「分かってるくせに」
「分かりませんよ。
教えて下さいよ」
とぼけているのではなく、お兄さんの話の意味がホントウに分からない。
お兄さんはふっと笑って、僕の乳首をこそこそくすぐった。
「ひゃっ」
「そのうち分かるよ」
「ケチンボですね」
「買い主の話に戻ろうか。
あることを条件に、俺はその人に買われた。
俺は...その人の『孫』になったんだ」
全く予想もしなかった突拍子もない話に、僕は絶句する。
「まご...?」
「血の繋がりなど、全くないよ。
その人とは店で知り合い、その人にレンタルされた。
何度目かの時に、身請けが決まった」
「凄い...」
『犬』の夢は、店を出ること。
それは、客のショユーブツになることで、店で『犬』を続けるのと身分は変わらない。
それでも、店にいるよりも断然いい。
お客だったお兄さんと初めて出会った日、僕は彼におねだりしたんだった。
『レンタルだなんて言わずに、僕を買い取ってくださいよ。
僕をここから出して下さいよ?
お兄さんの家に連れて帰って下さいよ?』
無理だと分かっていたけれど、半分は本気でお願いしていた。
店を出たくて仕方がなかった。
あの頃の僕と今の僕。
ウンデイノサだ。
「条件のよさに、『犬』たちは俺を羨んだ。
俺を家族として迎え入れるのだからな。
夢物語だよね」
「『孫』になって欲しいって?」
「そうだ。
その時、俺は新しい名前を与えられた」
「『ユノ』っていうのは?」
「親が付けてくれた本当の名前だよ。
でも、身請けの時に、新しい名前を与えられたんだ。
悪い言い方をすれば、その名前を名乗れと強制されたんだよ」
「......」
「俺を孫に仕立てないといけない事情が、買い主にはあったってこと。
俺は感心したよ。
こんな『犬』の使い方もあるんだなぁと...なんて、呑気なことは言っていられなかったのが現実の話。
俺を『孫』にしたがったワケを教えてあげるよ」
ブーブーとフローリングの床を振動させる物があり、お兄さんの話は中断した。
エッチの時脱ぎに脱ぎ捨てた、お兄さんのズボンの中のスマートフォンだ。
コール数回は無視していたけれど、鳴りやまないスマホにお兄さんは「ちっ」と舌打ちをした。
「ちょっと待っててくれる?」
僕の腕の中からお兄さんは抜け出ると、スマホを持って寝室を出て行った。
(つづく)
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