準備は徹夜だった。
俺は2DKのすみずみまで掃除機をかけ、ここに入居して初めて曇った蛇口を磨いた。
新品のシーツは一度洗濯をし、ダイニングテーブルにクロスをかけた。
チャンミンの顔を真っ赤に染めたくて、薔薇の花びらをベッドに散らし、評判のよいケータリングサービスを予約した。
店頭でアロマキャンドルを手に取ったが、止めにした。
もつれあう手足がぶつかって、火事になったらいけないからだ。
俺が出来る精いっぱいで演出された部屋が、今も俺たちの帰りを待っている。
チャンミンにしても、彼なりの方法で計画をしてくれていたらしい。
俺たちが今夜過ごすはずだったのが俺の部屋だろうと、チャンミンが用意した部屋だろうと、どっちだっていいんだ。
お披露目は出来なかったけれど、演出のために心をくだいた事実が愛。
俺からの無言の告白。
びしびしチャンミンに伝わってくれたかなあ?
ぬるめのお湯にひたひたと浸かった感じが、普段の心の通わせ方。
たまにはどかんと、ありったけの愛情をぶつけたかった。
今回のサプライズは、これまでの交際期間の中でもかなり凝ったものだ。
これが積み重ねてゆく思い出の地層の中でも、最大級に分厚い層になってくれるといい。
...実行はできなかったけれどね。
俺たちは、目に見える形でけじめをつけることができない。
互いが深く愛し合っているのなら、形にこだわらなくてもいいじゃないか?と、思われるだろう。
でも、俺はそこまで到達していない。
チャンミンも多分、そう。
「好き」の気持ちだけで、交際期間を延ばし続けることはできないと、俺たちは知っているのだ。
・
開けたサッシ窓から吹き込む風が、30℃近くあるであろう室内を冷やしてくれた。
それでも暑くて、俺たちは全裸のままでいた。
止めようにもエアコンのリモコンが役立たずになってしまったのだ。
広げたバスタオルが下腹に掛けられている訳は、腹を冷やしたらいけないとチャンミンがうるさいからだ。
いつもと違う環境に興奮した結果、ひと晩に3度も行為に及び、4度目は俺のものが役立たずになり中断してしまった。
「...チャンミン」
頭だけひねると隣のチャンミンと目が合った。
身体ごとひねって、チャンミンと真っ直ぐ目を合わせた。
「何?」
俺の迷いないあらたまった様子に、チャンミンの口元が引き締まった。
「俺たちは...恋人同士だ。
もし...もしもだぞ?
来年も5年後も、お前の隣にいられるのなら...」
「『もしも』なんて言わないでよ」
「ごめん。
俺たちはずっと一緒にいるだろ?
付き合い始めた時は大学生で、一緒にいられるだけで十分、ってノー天気で...。
でも、この年になるとリアルに将来を考えてしまう。
だろ?」
「うん」
「でさ、ふたりきりの人生が死ぬまで続くんだ」
「恋人どまりっていう意味だね」
「そこが大いに不満なんだ。
でさ...」
2個目の告白を前に、俺は深呼吸をした。
「...で、お前との子供を作ってやれなくて、その点は申し訳ない」
「ぷっ!」
吹き出したチャンミンに、どんと肩を突かれた。
「何言ってんだよ。
それは僕の台詞だよ」
これはチャンミンからの返事だと、俺は受け取った。
相手を想い、共に過ごす時間をおろそかにしたくない。
凸凹していても、二人の間で築いた思い出は崩れることなく天に向けて積み上げられる。
...多分、不安なのだろう。
小さなサプライズを不定期に仕掛けたいと思うのも、長く共に暮らしてゆきたいからだ。
俺たちは出逢った時から、こんな類の会話をよく交わしていた。
「僕らの会話って、いつも愛の告白になっちゃうよね」
「ひと言じゃ伝えきれないからじゃないかな?」
「ほらね。
それも愛の告白だね」
・
早朝のTVのニュースから、〇〇線が運転再開したと知った。
「工事の人たち、徹夜で頑張ってくれたんだね。
ありがたいね」
「俺たちも徹夜だったね」
「離してくれないユノが悪い」
「だって、昨夜のチャンミンの乱れっぷりが凄かった。
穴なんてひくひくしてたじゃん」
「は、恥ずかしいこと言うな!」
いい年こいて真っ赤になっちゃって。
投げつけられた枕をキャッチした。
「出勤ラッシュに引っかかる前に、帰ろうか?」
乾燥した部屋のおかげで、洋服は乾いていた。
・
雨は上がっていた。
湿ったスニーカーで水たまりを避けて駅へ向かう。
モーニングサービスの丸パンとコーヒーだけじゃ足りず、駅の売店でサンドイッチを買った。
電車を待つ間、ホームのベンチに腰掛けてそれを食べた。
そして、それぞれ用意していたプランを披露し合った。
お互い何となく、気付き合っていたのだ。
二人で紡ぐ物事を大切に生きる俺たちは、相手の表情や仕草、口調に極めて敏感なのだ。
「いつから計画してたの?
ちょっとはヒントをくれないとさ。
高級ホテルなんだろ?
ラフなコーデで恥をかくのは俺じゃん?」
俺の抗議にチャンミンは、「タキシード着ないといけない、って思ってるでしょ?」と呆れた表情になった。
「まあまあ小綺麗な恰好してるから大丈夫。
どうせ部屋から出ないんだしね」
「部屋に籠って何をするって?
えっちだなぁ。
でもなぁ、内緒にしてるとこがズルいなぁ」
「前もって知らせてしまったら意味ないじゃないの。
『え~~!』って驚かせたかったんだ。
『チャンミン、すげぇ!』って。
小さなお出かけ10回分レベル」
「なんでまた、今日...じゃなくて昨日?」
「...なんとなく。
同じ質問をユノにもするよ」
「俺もなんとなく」
「ほらね?
気を遣う、っていう意味じゃなくて、僕はユノとの付き合いを長く続かせたいんだ。
ずーっとね。
のんべんだらり、もいいけど、たまにはピリッと刺激が欲しいじゃない?」
「お!
俺も同じこと考えてた。
誕生日や付き合ってから×年記念日は、今まで通りちゃんとやりたいし」
「ある日突然、深い意味なしサプライズデー?」
「仕事帰りのチャンミンを拉致してさ、無理やり特急列車に乗せるの」
「で、いきなりバンジージャンプとか?」
「もっと凄いこと」
「勘弁して~」
電車の窓から注ぐ朝日が目にしみた。
停車する度に、車内は混雑してゆく。
めり込み気味に身を寄せて、席を詰めた。
「料理、どうしたの?」
「タッパーに詰めたやつを、後でピックアップしていくことになってる。
俺んちで食べよう。
...それより。
ホテル、キャンセル料取られただろ?
俺が負担するよ」
「ユノが思う程、高級ホテルじゃないから。
でね、電車の遅延だから仕方がないって、理解してもらった」
「そっか...よかった」
「来週は予定を空けておいてね」
「うん」
『恋人たちのゆーふぉりあ』をいよいよ使ってみよう。
来週はバッグに忍ばせていこうと、俺は内心ニヤニヤしていた。
(おしまい)
【裏話】
『キスから始まった』『恋人たちのゆーふぉりあ』の数年後の二人でした。
計画通り進んだとしたら、バッティングした二人のプラン。
それはそれで面白がる彼らだったでしょう。
でも、パッとしないホテルに閉じ込められたことで、サプライズの興奮に紛れてしまったであろう、自分たちの未来についての会話を交わしたり、荒々しく生っぽい行為に没頭することができたのでは?と思っています。
ハプニングもサプライズとして楽しむ二人。
汚れていて古びている場に置かれた物は、美しさが増して目に映ると言うそうです。
色あせ擦り切れたベッドカバーの上に横たわる恋人は、さぞ美しく色っぽく目に迫っただろうと想像しております。
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