「ユノはホモなの?」
Qからの質問に、ユノは「違う」と即答した。
「急に何だよ?」
誰のことを念頭に置いてなされた質問なのか、ユノにはすぐに分かった。
「ユノが言ってた『好きな人』って、男の人でしょ?」
「それが何か問題でも?」
と、ユノは否定しなかった。
「やっぱりホモなんじゃん」
「男が好きなだけで、『ホモ』なのか?」
「そうでしょう。
普通なら同性を好きになったりしないわ」
疚しい気持ちは全くなかったユノだが、Qの好奇と嫌悪に満ちた表情を前に、「やっぱり、普通じゃないんだな」と思った。
この恋を第三者で知っているのは、まるちゃんだけだ。
(まるちゃんはリアル世界では経験することは出来ない恋愛を、バーチャルの世界で無数に経験してきたせいなのか、同性を好きになることなど恋愛のバリエーションの一つに過ぎないと思っていそうだ。本人に尋ねてみないとわからないが)
今のユノは、まるちゃん以外の第三者...Qの目にさらされている。
ユノにとって、チャンミンが好きなことと、男が好きなこととは別物だが、それを説明したところで、Qには理解できないだろうと思った。
もうすぐ次の教習が始まるようだ。
送迎バスの発車時刻のアナウンスに、BGMがかき消されてしまっている。
「騒がしくて助かった」とユノは思った。
「俺がもしホモだったとしたら、何が問題なわけ?」
2人の会話は、混雑したこの場所でするには相応しくなかったが、Qは一向に介さなかった。
「私と付き合えなかった理由が、そうなのよ。
男が好きならば、女の私じゃ相手にならないんだもん」
ユノは「全然違うのになぁ」と内心呆れていた。
「相手はあの先生でしょ?
ユノの担任の先生...チャンミン先生。
だって、ユノったら気持ちが悪いくらいに先生にまとわりついていたじゃない。
怖いくらいにハイテンションで」
ユノは否定するのも面倒になってきて、「そうだよ」と認めた。
「ユノ...正気なの?」
Qは、ユノがあっさり認めたことに苛立ったようだ。
Qにしてみたら、自分をフッておいて、「男が好きだ」と悪びれもせず堂々としているユノが許せなかったのだろう。
「誘われたんでしょう?
あの先生ってホモなんだって噂だよ?
知らなかったの?」
「全然。
そんな噂があるなんて、知らなかった」
ユノが知っている限り、そんな噂は聞いたことはなかった。
「先生がユノを『そっちの道』に引きずり込んだんでしょ?
先生は好みの生徒がいると手を出しているんだって」
「『いるんだって』って...誰が言ってたんだよ」
「え~っと...ここの卒業生の知り合いの人。
試験センターで知り合った人の知り合い」
男なら、女子の吐息が耳に吹きかけられたら、ぞくりと感じてしまうものだが、ユノには不快なだけだった。
チャンミンを好きになったことで女子が苦手になったのではなく、チャンミンを揶揄するような言葉混じりの吐息が嫌だったのだ。
「あっそ」
自身に顔を寄せたままのQから避けるため、ユノは身を引いた。
辺りをはばかる小声でなされた会話であっても、公共の場ではふさわしくない内容だ。
特にチャンミンの名前は聞かれたくない。
「Qの話は俺には理解不能だ」
ユノは会話を打ち切り、席を立った。
・
同時刻、待合室前。
こちらはチャンミン。
(!!!!)
可愛い女子がまさに今、ユノの頬にキスしようとしている(いや、キスの後か?)
人目があるけど、ほっぺにチュッくらいならいいよねと...彼氏の隙をついて彼女からの可愛いイタズラ。
チャンミンにはそう見えた。
ぎゅん、と心臓を握られたような、痛みは無いが全身の血流が一瞬で止まった感覚を覚えた。
ラブコメのルールによると、ユノと一緒にいた女性は彼の『妹』であるべきだが、残念ながら今回は、チャンミンの誤解を解くことはできない。
なぜなら、ユノの耳元に顔を寄せたQは、ユノの妹ではないことをチャンミンはよ~く知っていたからだ。
片方は友人のつもりでいても、もう片方は恋愛感情を持っているのがラブコメのお約束。
恋愛に関するセンサーが鋭いチャンミンは、ユノを見るQから、恋の匂いをかぎ取っていたのだ。
(あれは、ユノの不意をついて、彼女が仕掛けただけの行為だ。
ほら、ユノは不愉快そうな表情をしている。
ユノは僕に嘘はつかない。
『彼女は友達です』と言っていたけれど、安心はできないのだけど...)
チャンミンは廊下から待合室の様子を窺っていた。
(なんだ...キスじゃなくて、ひそひそ話をしているのか)
さっきの立ち位置だと、角度的に頬にキスしている風に見えただけのようだ。
チャンミンはその場にい続けても不自然にならないよう壁にもたれ、スマホを耳に当てていた。
(ユノは否定していたけれど、僕のことを好きだと言ってくれたけれど、客観的に見て、ユノは彼女と...女の子と居た方が自然に見える。
でも...ユノは自分から言っていたではないか。
『俺はノンケで、女子が好きな男だ』って。
この台詞はきっと、『相当な想いがなければ、ノンケが同性を好きになれないよ』という意味なんだ。
自動車学校のように、密室空間で手取り足取りマンツーマンの指導を受けていれば、憧れ混じりの好意を指導者に抱いてしまってもおかしくない。
そして、ゲイカップルの修羅場を目の当たりしたショック体験。
これで、頭がおかしくなったんだ。
後になって冷静になった時、ユノは我に返るだろう。
あ~あ...僕って男は。
ユノの告白を受けたばかりなのに、もう彼の気持ちを疑うようになるなんて。
恋心を小出しして、肉体的な接触は手を繋ぐか軽いハグ、軽いキス...これくらいがユノの夢を壊さずに済む距離感だ。
僕も傷つかずに済む。
ところが、いよいよ恋人関係がスタートした時には、ほどよい距離感など保っていられなくなる。
ユノは、優等生風の仮面を外した僕を見て、引いてしまうだろう。
珍しさと、『男を好きになった俺』に酔っていただけだったノンケは、僕から離れていってしまった。
ユノは若い。
世間知らずで、恋の経験も僕よりも少ない。
(凄い『すけこまし』だったら話は違うけど...まさかね)
だからユノはきっと...)
数日前、ユノとプライベートな場所で、2人きりで過ごした時間がとてもとても楽しかった。
それなのに、今度の恋はなかなか警戒心を解きずらい。
「......」
チャンミンのスマートフォンは、いつの間にか耳から離れていた。
Qをその場に残して、ユノがベンチを離れたことにも気づいていなかった。
「せんせ?
こんなところで、どうしたんです?」
Qとの会話を切り上げ席を立ったユノは、待合室前でぼうっと立ち尽くすチャンミンを発見したのだった。
「ユノさん!」
チャンミンは、ユノが...思い煩う対象人物が、目の前に急に現れたものだから驚いた。
「あ~、もしかして...。
俺に会いにきたとか?」
「ばっ...違います!」
「『ば』って...『馬鹿』って言おうとしたでしょう?」
「ちがっ...違いますよ」と、チャンミンはユノにくるりと背を向けた。
ユノはチャンミンをからかっているつもりがないのだが、チャンミンはユノの言動全てに過剰に反応してしまうのだ。
なぜだか今、無邪気なユノに苛立ちを覚えた。
「あれ?
これからお帰りですか?」
ユノは床に置かれたトートバッグを見つけて、そう尋ねた。
「ええ。
ユノさんはこの後、模擬テストを受けるんですよね」
「受けるつもりだったっすけど、止めときます。
せんせと一緒に帰ります」
「ダメですよ!」
「今日の模擬を受けても、どうせ満点ですって。
俺、学科は優秀なんすよ」
「知ってます」
ユノが言う通り、学科試験については優秀だった。
「でしょう?」
ユノは正面玄関へと足を向けると、くるりとチャンミンを振り向いて、さも当然とばかりにこう言った。
「...ということなので、俺はせんせと一緒に帰ります。
行きましょう」
「僕は車通勤ですよ。
それに...」
「あー、はいはい。
生徒をマイカーに乗せるのは禁止だって言いたいんでしょう?」
「分かってるじゃないですか?」
「ご安心ください。
どこか途中で合流しましょうよ。
俺、せんせの車に乗ってみたいっす」
「自転車はどうするのです?」
「学校に置いておきます。
ほら、せんせ。
雨が降ってきましたし」
「本当ですね。
予報で雨になるなんて、言っていませんでしたよね」
ちょうど、雨が降り出したようだった。
アスファルトが濡れ始める匂いが、正面玄関の自動ドアが開閉するたび、漂ってきた。
傘が無くて空を見上げて、濡れて帰るかどうか迷う者や、髪と肩を濡らして、校内に駆けこんでくる者とで、周囲はがやがやと騒がしい。
「明日は?
検定があるでしょう?」
「電車と送迎バスを乗り継いでいくんで大丈夫ですよ。
なんとかしますから、大丈夫ですって。
ほ~んと、せんせって心配性ですね」
「明日、学校まで送っていきましょうか?」と提案しようか、チャンミンは迷った。
とその時、チャンミンはこちらに向かってくるQの姿を、ユノの肩ごしに見つけてしまった。
(...あ)
Qは自身に背を向けているユノではなく、明らかにチャンミンと目を合わせ、軽く会釈をしてみせた。
声には出していないが、「ど~も~」と言っているようだった。
「?」
チャンミンはマズいものを飲み込んだかのような顔で、ユノの肩向こうの何かに視線を奪われている。
ユノが後ろを振り向いた先に、こちらに向けて手を振るQがいた。
笑顔なだけに意味ありげだった。
「疑ってはいるけれど、確信は持てないでいる風だな」とチャンミンは思った。
チャンミンは長年の経験上、『そういう』視線には詳しかった。
(どうしたものか...)
Qとは手を振り合う仲ではないし、彼女の嫌悪感混じりの挑戦的な目に不快感しかない。
かといって、どう反応すれば彼女をやり込められるのかも思いつかないため、突っ立っているしかできない。
ユノはチャンミンの様子をちらりと覗うと、Qに負けない大きな笑顔で手を振り返した。
ユノの対応に、Qはたじろいだようだった。
バツの悪い顔を見せたくなかったのか、Qはつんと顔を背けると、階段を駆け上がってしまった。
(ふん)
ユノはチャンミンの耳元に囁いた。
「俺、校門横のコンビニにいるんで、そこで拾ってください」
「ユノさっ...!」
ユノはチャンミンの制止を無視して、正面玄関から外へと飛び出していってしまった。
(つづく)
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