1日の勤務を終えマイカーに乗り込んだ時、バッグの中のスマートフォンがメッセージ着信を知らせた。
「!」
ディスプレイを確認すると『ユノ』からのもので、チャンミンは喜ぶよりも複雑な心境になってしまった。
明らかに昼間見たSNSの投稿写真の影響を引きずっていた。
『今日、せんせんちに遊びに行っていいですか?』
チャンミンは既読スルーを決め込んで、自宅への道のりを急いだ。
予想通り、無視しきれなかったチャンミンは、
「明日まで我慢できないのですか?」と返答してしまった。
『できない』
『せんせに会いたい』
『顔を見たらすぐに帰ります』
『いいですか?』
『せんせ、お願いします!』
矢継ぎ早にメッセージが次々と届いた。
チャンミンはため息をつくと、『OK』のスタンプを送った。
すると、ぴょんぴょん飛び跳ねるウサギのスタンプの返信があった。
チャンミンはスマートフォンをソファに放り投げた。
(なんだよ...ユノは)
バウンドしたスマートフォンは、フローリングの床に落下し固い音をたてた。
チャンミンはスマートフォンをそのままに、ソファに身を投げた。
ユノに訊ねたいことがあった。
(...訊ねたいというより、問いただしたい。
あの女の子たちは誰?)
チャンミンは靴下を脱ぐと、部屋の向こうに放り投げた。
(心配することないさ。
ユノは友達が多い子だし、複数人だし、U君は意味深なことは何も言っていなかったし。
ユノは途中でいなくなった、って言ってたし。
きっと、僕と合流するためだったんだ。
友達同士でわいわい遊びにいっただけだ)
チャンミンは床に転がっていたスマートフォンに手を伸ばした。
(僕は何を気にしているのだろう?
胸がモヤモヤする。
ユノが女の子と会っていたこと?
それもそうだけど...)
「!!!」
勢いよくチャンミンは飛び起きた。
(そうだよ!
僕に嘘をついていたことだ!
花火大会に出掛けていたことを黙っていた!)
夜になってやっと、モヤモヤの原因が分かったチャンミンだった。
ソースを唇の端に付けたままのユノを微笑ましいと思っていたのに、なんだか騙された気分だった。
(嘘をついたのは、悪いことをしていた意識があったからだ。
ユノの嘘つき...!)
交際期間2週間では、探り合いのところが多くて2人の絆はまだまだ浅い。
1枚の写真、ユノの嘘。
不安感に支配されてしまったチャンミンだった。
・
指だけじゃ慰めきれず、洗面台下の棚から小道具を取り出した。
(ホントに僕って...カッコ悪い。
何やってるんだろ?)
チャンミンは寂しさとむしゃくしゃした時、小道具に頼ってしまう...そんな自分を浅ましく思うけれど、止められないのだった。
(もうすぐユノがやってくる。
急がないと!)
・
アルバイトを終えたユノは、真っ直ぐチャンミンの部屋を目指してペダルを漕いだ。
途中コンビニエンスストアに寄り飲み物を買うと、茶色のタイルのマンション前に自転車を停めた。
ユノの今日いちにちは充実していて、さらに一日の締めくくりに恋人に会えるのだから、気分の良さに鼻歌が自然と出てしまう。
(我慢できなくてせんせんちに押し掛けるなんて、強引だったな)
チン、と音と共にエレベータの扉が開いた。
(俺とせんせは今のところ平穏だ。
バレたら誤解を呼びそうなことしでかしたけど、まるちゃんのおかげで軌道修正できた。
口喧嘩もしていないし...)
ドアの前に立ったユノの、チャイムを押そうとする指が止まった。
(せんせのことは好きだけど...気を遣ってしまうところがある)
ユノは思いを吹き飛ばすように、首を振った。
(まだ付き合ったばっかだし。
こういうものだよな。
最初だからぎこちないだけだよな)
チャイムを押すと、すぐにドアが開いた。
「せんせ、こんばんは」
「ユノさん、いらっしゃい」
ユノの目には、チャンミンの表情が硬いように映った。
一瞬、嫌な予感が心をよぎった。
・
「どうぞ、早かったですね」と、ユノを部屋に通したチャンミン。
心に巣食いだした疑念を振り払えず、まともにユノの顔が見られない。
幾度か訪れているユノは、部屋に上がると迷わずソファに直行した。
ユノは「うちのバイト先でテイクアウト始めたんすよ」と、持参してきたものをローテーブルに広げ出した。
「いつもいつも貰うばっかりで、ごめんね」
「俺の気持ちですから、気にしないでください」
突っ立ったままのチャンミンに、ユノは「座らないのですか?」と声をかけた。
「すみません!」
慌てたチャンミンはその場に座ったのだが、それが姿勢を正した正座だったため、彼が緊張している心情がありありと現れてしまっている。
当然ユノは、ぎこちなさそうなチャンミンの様子に気づいていて、その理由について、スルーした方がいいのか追求した方がいいのか、迷っていた。
(せんせ...なんか変だ。
今日の昼間までは普通だったのに...)
「あの~。
夕飯まだだったから食べてもいいっすか?」と、容器の蓋を開けた。
「もちろんもちろん。
どうぞどうぞ」
「いただきます」
ユノは白米をもぐもぐ咀嚼しながら、「せんせが言葉を二度繰り返す時は、何かしら動揺している時だ」と思っていた。
(ドアを開けた時のせんせの固い表情。
最初は疲労や寝不足が原因なのかと思ったけど...そうではない気がする)
チャンミンは容器の蓋を片付けたり、ユノのためにお茶を注いだりと、そわそわ落ち着きがない。
目を合わせようとしないチャンミンを前にして、「何か怒らせるようなことしたっけ?」と首をひねったが、「もしかして...」と心あたりもあった。
(まさか、花火大会という名の合コンに参加したことを知ってるんじゃないだろうか?)
ヒヤッとしたが、すぐに「それは考えにくい」と否定した。
(せんせと花火大会との接点がどこにある?
俺を迎えに来た時、せんせの態度は普通だった。
だから、目撃はされていないはずだ。
誰かから聞いたとか?
せんせと繋がりがある奴なんていたっけ?
...免許取りたいって言ってた奴いたっけ?)
チャンミンにかまけた半年間、友人らと疎遠になっていたせいで、彼らの最新情報に疎くなっていた。
(あいつらは、そっけなかった俺を懲りずに誘ってくれる貴重な学友たちだ)
「......」
チャンミンは食事中のユノを、ちらりちらりと覗っている。
「せんせも食べてください」
「いえ...僕は今は大丈夫です」
ユノはチャンミンと目が合うごとに、笑い返したり食事を勧めたりしたが、チャンミンの態度がはっきりしない。
「......」
(...なんか...居心地が悪い)
(つづく)
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