【27】NO?

 

 

~帰りたくない~

 

 

「!!」

 

突然、チャンミンの耳に冷たいものが押し当てられて、チャンミンは飛び起きる。

 

「お水ですよー。

冷蔵庫の中も無料ですって。

冷たくて美味しいですよー」

 

「民ちゃん...それ」

 

チャンミンは民を一目見ると、思わずぷぷっと吹きだした。

 

薄ピンク色のシャツ型ガウンは、民が着るとつんつるてんだった。

 

「変...ですか?」

 

甘ったるく安っぽいボディーソープの香りを漂わせていた。

 

「変じゃないよ」

 

(変どころか...可愛い)

 

チャンミンはベッドの上にあぐらをかいて座り、民から受け取ったミネラルウォーターをあおった。

 

からからに干上がったチャンミンの喉を、冷えた水が滑り落ちて潤していく。

 

民はチャンミンの隣に座ると、ごくごくとオレンジジュースを一気飲みして、ぷはーっと息を吐いた。

 

「さて、と。

さっぱりしたところで、チャンミンさんのお話を聞きましょうか?」

 

ハイテンションだったこれまでとうって変わって落ち着いた、いたわるような口調だった。

 

「大丈夫じゃないですよね。

辛いですね」

 

「......」

 

チャンミンは頭をとんと、民の肩にもたせかけた。

 

民はチャンミンの頭を撫ぜながら、静かに話し出した。

 

「私はフラれてばかりだから、フる側の気持ちは想像するしかできません。

誰かと両想いになったことなんてありません。

誰も私を、カノジョにしたくないみたいなんですよ、悲しいかな。

でも、お付き合いしていた人との関係を終わらせるのって、大変なんだろうなぁ、って思います」

 

チャンミンの鼻先は、合成繊維の布越しに民の細い鎖骨を感じていた。

 

「......」

 

「私でよければ話を聞きますよ。

せっかく同じ顔をしているんですから。

独り言だと思って、お話しくださいな。

楽になりますよ」

 

「民ちゃん...」

 

チャンミンの目から、ぶわっと涙が湧いてきた。

 

チャンミンは堰を切ったかのように、リアとの出会いから同棲を始めるまでの経緯、その後の虚しい日々まで、全部、民に語っていた。

 

チャンミンの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 

「別れたいと口に出さなければ、今までのように暮らしていけたのに...」

 

(リアへの恋愛感情は消えてしまったけれど、リアと過ごした1年を思い出すと、胸が切なくて苦しいんだ)

 

「チャンミンさんは、今までの暮らしに戻りたいんですか?

もしそうなら、今ならリアさんとやり直せるんじゃないんですか?」

 

チャンミンは激しく左右に首を振った。

 

「...別れなくちゃいけなかったんだ。

僕はもう、リアの彼氏でいたくなかった」

 

(悲しいのは、僕らは『終わってしまった』、という事実だ)

 

「チャンミンさんは、そう決めたんでしょ?

自分の気持ちに正直でいることは大事、だと私は思ってます」

 

肩を震わせて泣くチャンミンの背中を、民はポンポンとあやすように優しく叩いた。

 

「失恋は...辛いですねぇ」

 

(民ちゃんの言う通りだ。

別れを告げたのは僕の方からだったとしても、やっぱりこれは失恋なんだ)

 

民のガウンに次々と溢れるチャンミンの涙が染みを作った。

 

(民ちゃんの前で泣いてしまった。

僕の色恋沙汰を赤裸々に暴露してしまった。

甘ったれた姿を見せてしまった。

民ちゃんなら全てを受け止めてくれそうな、安心感がある。

目の前にいるこの子に惹かれてしまうのは、僕と同じ顔をしているからか?

違う。

僕と同じ顔をしているからこそ、僕と違う部分がつまびらかに分かるんだ。

僕にはない美点が、宝探しのように次々と発見できるんだ)

 

「ほらほら、涙を拭いてくださいな」

 

民はガウンの裾を引っ張って、チャンミンの顔を拭った。

 

民の黒いショーツが目に飛び込んできて、チャンミンはここにきて初めて、自分たちがどこにいるのかをリアルに認識した。

 

(ラブホテルの円形ベッドの上...。

ヘッドレストの上には、ティッシュペーパーの箱とコンドームが2個並んでいて...。

なんていう光景だよ)

 

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「民ちゃん...パンツ見えてる」

 

「わっ!」

 

民ちゃんは短すぎるガウンの裾をかき合わせ、枕を引っつかんで膝の上に抱きしめた。

 

「民ちゃんときたら無防備過ぎるよ。

相手が僕でよかったね。

僕じゃなかったら、民ちゃん押し倒されてるよ」

 

ネオンピンクの照明の下でも、民ちゃんの顔がボッと赤くなったのが分かった。

 

「ここがどういうところか...分かってる?」

 

民ちゃんに全てを打ち明けて、胸のつっかえが取れた僕は余裕を取り戻してきた。

 

民ちゃんに意地悪をしたくなってきた。

 

「押し倒されても文句は言えないよ」

 

民ちゃんの肩がビクッとした。

 

「ごめんなさい...。

そういうつもりじゃ、なかったんです」

 

警戒心のない民ちゃんに、僕は複雑な心境だった。

 

民ちゃんに『そういうつもり』が全然なかったことは、よく分かってる。

 

「チャンミンさん、お家に帰りたくないって言ってたし、

辛そうだったから、元気になってもらおうと...」

 

民ちゃんは本当に、お泊り『だけ』するつもりだったんだ。

 

「分かってるよ」

 

垂れ下がって片目を覆った前髪を、耳にかけてやった。

 

分かってはいたけど、寂しいなぁ。

 

民ちゃんと今夜、どうにかなってしまったら困るけど、何もないってのもなぁ。

 

「ありがとう、民ちゃん」

 

民ちゃんは、目を伏せたまま「どういたしまして」とつぶやくように言った。

 

妖しいピンク色の照明が民ちゃんの顔に、妖しい影を作っていた。

 

僕のとは違う、ややふっくらとした頬のラインや小振りの顎に気付いて、胸が苦しくなった。

 

僕と同じ顔をしているのに、どうして民ちゃんは男じゃないんだよ。

 

どうして女の子なんだよ。

 

民ちゃんの目には、僕は『男』として映っていないんだろうか?

 

知らず知らずのうちに握りしめていた手をほどいて、民ちゃんの肩にかけた。

 

「ひゃっ!」

 

力任せに民ちゃんを仰向けにベッドに押し倒した。

 

真ん丸の目で僕を見上げる民ちゃんが可愛すぎて。

 

民ちゃんの首筋の、柔らかくて薄い皮膚に僕は唇を押し当てた。

 

ミルクのようないい香りがする。

 

押し当てるだけじゃ足りなくて、柔く食んだ。

 

無防備過ぎる民ちゃんを、滅茶苦茶にしたくなった。

 

 

 

(つづく)

 

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