~君が危ない~
〜ユン〜
「ユン...さん?」
「いや、ごめん。
驚かせてしまったね。
新しい作品のインスピレーションが、急に降りてきてね」
民の首から手を放して、民の背後にまわった。
「3本の腕があるんだ。
1本の腕は、滑らかで長い首をつかんでいる。
頭部はナシにしよう。
その代わり首から下、胸から腰までの流れを...」
説明しながら俺は、民の首の付け根の骨に、唇を触れそうで触れない距離で彷徨わせた。
「ひっ!」
民の首に鳥肌がたっていた。
カートの取っ手を握りしめる手が白くなっていて、うな垂れたまま俺に白いうなじをさらしている。
「すまないね。
俺は、作品のことを考えるとアチラの世界へ行ってしまうんだ。
こんな俺の側で仕事をするのは...無理かい?」
民の耳に寄せて囁いた。
民は首を左右に振って、「いえ...大丈夫です」とかすれた声で答えた。
「ありがとう。
お願いがある」
「はい」
「俺の作品のモデルになってくれないか?」
「え?」
「部下にこんなお願いをするのは、間違っているかな?
言い直そう。
モデルの依頼は、今の仕事とは別枠だ」
「......」
雑用の仕事に、裸になってポーズをとる仕事も含まれるとは考えられないだろうからな。
民を誘ったのも、この子を脱がして作品へ昇華させたかったからだ。
いきなり、ヌードモデルになってくれなんて頼んだら、初心そうなこの子のことだ、拒絶されるだろう。
俺に憧れ交じりの好意を持っているからこそ、いい被写体になる。
「はい。
私でよろしければ」
「ありがとう。
君のおかげで、いい作品になるよ」
民から身体を放すと、民の肩を叩いた。
「それじゃあ、この中の物を見ておくんだ。
それから、午後はおつかいに行ってくれるかな?
撮影の立ち合いは俺だけで事足りるから」
「はい」
消え入りそうな声で答えた民を、俺はこのまま保管庫に閉じ込めてしまいたい衝動を抑えていた。
チャンミンとかいう民の兄弟が、午後からアトリエにやって来る。
この兄弟はろくに連絡をとっていないのか、仕事の話はしない主義なのか。
民がここに居ることを知らない風だった。
2人並べて見るのは、もう少し後だ。
~チャンミン~
カメラマンを先に返した後、チャンミンはユンと次号の作品選定のためアトリエに残った。
後輩Sは、カメラマンに同行して行った。
「『冬の季節でも紫外線にご注意』というのが次号のテーマです。
よって、出来れば作品も女性のものがよいかと考えております」
ゆったりと椅子に腰かけ脚を組んだユンは、顎を撫ぜている。
「トルソーものはいくつかありますよ。
保管庫に案内しますから、ご覧になってみますか?」
「よろしいのですか?」
テーブルに置いたユンの携帯電話が振動し始め、チャンミンに目礼したユンは席を立った。
「やあ、どうしたんだい?
...目が粗い方だ...ない?...うん...それで?」
話が長くなりそうだと判断したチャンミンも席を立ち、事務所に連絡を入れることにした。
「民くんは今どこにいる?...ああ、合ってる...持って帰れる?」
チャンミンは通話を終え席に戻ってくると、ちょうどユンの方も用事が済んだようだった。
「今日はアシスタントさんはいらっしゃらないのですか?」
「ええ、今日は資材の調達に行かせています。
最近雇い入れたばかりの子ですが、飲み込みも早いし、力仕事も厭わずこなしてくれます」
「力仕事?」
「粘土は重いですからね。
若い男に限りますね」
いかにも女好きそうなユンが、身近に置くアシスタントに同性を選んだと聞いて、チャンミンは意外に思う。
チャンミンの考えが読めたのか、ユンは乾いた笑いをこぼした。
「女性は何かと使いにくいもので」
「はあ、そうですか」
(どうせ、自分好みの女の子を側に置いて、手を出しまくってトラブルになったんだろう)
「保管庫はこちらです」
ユンに促されチャンミンは、大型のスチール棚が3列並ぶ薄暗い部屋に足を踏み入れた。
「すごいですね...」
苦手なタイプな人物だとしても、ユンの才能は素晴らしかった。
女性的な滑らかな質感と緻密さと、男性的な粗削りな彫りが共存している。
作品ひとつひとつ、目の高さを合わせて食い入るように、見ていく。
白い彫像がゆとりを持って大小並べられていた。
「女性の顔がモチーフになっているものがいいのですね。
この辺りのものがそうですね。
ピンクの札がついているものは、買い手がついているものです」
女性の頭部ばかり十数体並ぶ一角がある。
ユンの形作る人体部分の肌感は産毛を感じられるほどだ。
「作品には、モデルは存在するのですか?」
一体一体丁寧に見ていくチャンミンを眺めていたユンは、棚にもたれていた身体を起こした。
「ええ。
中には想像上のものもありますが、大抵はモデルがおります」
「プロのモデルさんを雇うのですか?」
「そういう場合もありますし、知り合いに依頼することもあります」
「はあ、そうですか」
(想像した通りだ)
チャンミンはあることに気付いていた。
(これとこれは、恐らく同じ女性だろう。
それに、これは...欧州の人かな?
少女らしいものも3体ある...未成年じゃないだろうな?
この2体はアジア系...美人だな...こっちの2体はアフリカ系...。
この中の何人が、ユンのかつての恋人なんだろうか)
「これは、最近の作品のものですね」
髪のない丸坊主の女の頭を撫ぜながら言う。
「この子は、顔が素晴らしかった。
顔を活かすために、作品では髪を無くしました」
(過去形...モデルのその子とは別れたのか?)
他の個性的な顔立ちをした女性像と比較して、その作品は人種を越えた美しい顔立ちをしていた。
(典型的な美人か...。
どこかで見たことがあるような気がさせるのは、美人顔はどれも似たりよったりで、個性が薄いからか。
しかし、
自身の姿がここまで美しい彫刻作品に生まれ変わるのなら、恋人冥利につきるというか、一種の幸せを得られるだろうな)
次の表紙の被写体になる作品を3体まで絞ると、チャンミンは小型カメラで撮影させてもらい、ユンに礼を言った。
「写真が上がってきたら、一度見せてください」
「またご連絡いたします」
「チャンミンさん。
『スケッチを取らせてほしい』と申したことを覚えていらっしゃいますか?」
「ええ...まあ」
チャンミンを真っ直ぐに見据えるユンの凛々しい目がギラリと光った。
「本気でお願いしたいのですが?」
(こんな目で迫られたら、女性たちもたまらないだろう。
純な民ちゃんだったら、一発でノックアウトだ)
チャンミンは、手も首も振った。
「とんでもない」
「腕、だけですよ?」
「それでも、僕には無理です!」
チャンミンは、ユンに腕を撫でまわされた感触を思い出していた。
(気持ち悪い。
仕事以外の場で、ユンと関わり合いになりたくない。
ユンには得体のしれない、ぞっとするようなところがある)
「そうですか...非常に残念です」
眉をひそめて微笑を浮かべたユンに、「頭からばりばりと食べられそうだ」と身震いしながらチャンミンはアトリエを後にしたのであった。
(つづく)
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