(32)NO?

 

カジュアルなイタリアンでランチを済ませたユンと民。

いい天気だからと二人は、オフィスとレストランを徒歩で往復することにした。

初冬だというのに季節外れな暖かさで、二人は脱いだ上着を片腕に引っかけていた。

 

ユンは40歳。

40歳といえば、中年にさしかかった年齢。

ユンに対しては、中年とひとくくりには出来ない。

たるみと脂肪が全くない引き締まった180センチ超えの身体に、背中を覆う長い黒髪と彫りの深い顔立ちで、通り過ぎる者たちが振り返ってしまうのも無理はない。

ユンとは、ゴージャスでハイスペックな男なのだ。

その隣を歩く民も、振り返って二度見したくなるスタイルの持ち主だった。

 

(狼が舌なめずりして、襲うタイミングをはかっているというのに、危機感のない羊は「気取った店は量が少ないなぁ」と思いながら、「ご馳走様でした」と狼に礼を言っているのだ)

 

注目を浴びるに値するルックスだと、常に承知しているユンに対して、民の方は全く気付いていなかった。

ショーウィンドウにディスプレイされた秋冬ものに心惹かれ、よそ見する民はどうしてもユンから遅れがちになる。

亜麻色のコート、深緑のニットにレンガ色のスカート...なんだかんだ言って民は若い女性だ。

似合わないと分かっていても、気になってしまうのだった。

 

「着てみたらどうだい?」

民の気持ちを読んだユンはクスリと笑った。

 

「私が?」と、民は自身を指さすと、ユンは「そう」と大きく頷いてみせた。

「え、でも...それは...遠慮しておきます。

...わっ!」

 

ユンは民のウエストをさらうと、半ば強引にショップへと促した。

 

「ちょっ...待って、ユンさん!」

「待たない」

「無理ですってば」

「無理じゃないよ」

 

ちょうどこの時、ユンに腰を抱かれた民の姿を、商用車で通りかかったあの主任が目撃したのだった。

 

 

ユンは駆け寄った店員に「あれを」と、ショーウィンドウの方を示した。

ついで、審美眼に叶ったものに「あれと...それからこれも」と、てきぱきと追加していった。

店内を一周した頃には、二人の店員は山と商品を抱えていた。

その光景を民はぽかん、と口を開けて眺めていた。

 

(すごい量...。

リアさんにあげるのかな...。

でも、別れたって話していたよね。

新しいカノジョとか?)

 

ユンがセレクトした物は全て民の為だという可能性に、彼女は思い至っていなかった。

民がショーウィンドウ内のワンピースに見惚れ、ユンに店内へと連れられ、ポンポン商品を選ぶユンに驚き、ユンは会計を済ませ、自宅まで配送する申し出を断わって、呼ばせたタクシーに荷物を積み込み、深々と頭を下げた店員に見送られるまで30分も経過していなかった。

 

(映画の世界みたい...。

お金持ちの男の人が、主人公の女の子にドレスを沢山買ってあげるの。

そして、女の子をシックな大人な女性に仕上げるの)

 

これまでの展開についてゆけず、ぼぉっとしている民を、ユンはさりげなく観察していた。

両膝を付けて内股になった太ももから順に上へ、平らで薄い胸から華奢な鎖骨、細く長い首から顎へと。

 

「ん?」

 

民は視線に気づいて隣を見ると、愉快そうな笑みを浮かべたユンとまともに目が合った。

慌てて目を反らしたり、など絶対にしないユンだ、バチっと火花が散りそうな目力だった。

 

「...え~っと...なんでしょう?」

「後ろの...」

 

ユンはトランク...大量の洋服と靴、バッグが詰まっている...を親指で指し「誰の為に買ったと思う?」と尋ねた。

 

「誰って...ユンさんの彼女さんですか?

例えばリアさん...とか?」

 

ユンは民の回答がおかしくてたまらず、ぷっと吹き出した。

ユンは民の耳元に顔を寄せた。

 

(ひぃっ!)

 

ユンのスパイシーな香りと優しく耳たぶを摘ままれ、ぞくりと鳥肌が立ってしまった。

 

(ち、ち、ち、ちか、ちか、近いです!)

 

ユンは低い声で...数多の男女を蕩けさせた声で囁いた。

 

「君だよ。

民...全部、君の物だ」

「えええええぇぇぇぇぇ!!」

 

民の大ボリュームの叫び声に、ユンは耳を押さえて飛び退くしかなかった。

ドライバーもハンドル操作を誤り、一瞬ぐらりと蛇行した。

 

「無理無理無理無理です!

駄目ですって!」

 

民はユンとは逆側の後部シートに退いて、両手を激しく振った。

 

「駄目じゃない」

「駄目です!

買ってもらう義理も権利も、特権も礼も理由も何もないです!」

「理由はあるよ。

君にあげたいからあげるんだ」

「そんな...あげたいって...どうしてですか?

駄目ですよ。

貰えませんよ。

困ります!」

「貰ってくれないのなら、捨てるしかないね」

「そんな!

駄目ですよ、勿体ない!」

「それじゃあ、貰ってくれる?」

「でも!

変ですって!

私はただの従業員です!

あんなに沢山...あんなにたっかいものを...貰える立場にありません!」

「あるよ」

「ないったらないです!」

「素直じゃないなぁ」

「はい、その通りです!

私は素直じゃないです!

へそ曲がりで偏屈で根性曲がりの天邪鬼でひねくれ坊主なんです!」

 

ユンはハッとして、新鮮な思いで民を見た。

 

「私じゃなくて、リアさんにあげてくださいよ!」

「リア?

どうしてリアにあげなくちゃならない?

別れた女に?

それこそあげる理由がない。

お...着いた」

「スカートとか、似合わないです!

無理です!」

 

ユンは抗議する民の手を引き、揃ってタクシーから降りると、エントランス前に山と積まれたショッピングバッグを眺めて肩をすくめた。

 

「困ったね...こんなに沢山」

「知りませんよ...もお」

 

ダンディなユンが見せる子供っぽい笑顔に、民は図らずもドキッとしてしまったのだった。

 

(民くん...なんて面白い子なんだ。

いい。

ますます、いい!

チャンミン君には勿体ない)

 

(つづく)