~春~
朝晩は冷え込む春先までは、チャンミンを湯たんぽ代わりに抱いて眠っていた。
チャンミンが段ボール製寝床で眠ったのは、この家にやってきた最初の夜だけ。
標高1,000メートルにあるだけに、冬は寒さ厳しく、夏は直射日光がぎらつき暑さも厳しいといった、過酷な地なのだ。
陽気がよくなってくるにつれ、チャンミンと寝床を共にするのが辛くなってきた。
チャンミンの体温は私より高く、熱の塊のようだ。
寝苦しく、チャンミンを肘で押しのけて寝返りをうつと、彼はごろんと1回転して私の脇腹にくっついてくる。
(チャンミンは仰向けで眠る習性がある)
チャンミンは私に身体の一部を密着していないと、安心して眠れないようなのだ。
「チャンミン...暑いよ。
あっち行って」
ベッドの真ん中で健やかに眠るチャンミンを起こさないよう、マットレスを動かさないよう、私はベッドの端ぎりぎりまで身体をずらした。
夢の世界で何か美味しいものを食べているらしく、チャンミンはくちゃくちゃと口を動かしている。
冷えたらいけない、お腹に毛布をかけてやった。
まるで人間みたい、と思った。
渦を描くへそが、呼吸に合わせて上下している。
身体も1か月ごとにひと回りずつ成長してきているから、1年後には私のベッドはチャンミンに占拠されるだろう。
チャンミンは寝相も悪い。
チャンミンに後ろ脚で蹴飛ばされ、私は寝返りをうってこれを避ける。
「ふごっ」と自分のいびきで目覚めたチャンミンは、離れたところにある私の身体ににじり寄る。
お尻を密着させて安心したのか、再び夢の世界へ。
暑いし、いびきはうるさいし、蹴飛ばされるしで、そっとチャンミンから離れる。
チャンミンはくっついてくる。
この繰り返しの末、私はベッドの端ぎりぎりまで追いつめられ、何度ベッドから落ちたことか!
深夜の静まり返った深夜、「どすん」という音に起こされたユノさんは、夢うつつの中くすり、と笑っていそうだ。
「今夜からユノさんがチャンミンと寝てよ。
寝相が悪いんだよ?
いびきも酷いんだよ?」
そう訴えたらユノさんは、チャンミンの両脇の下をつかんで抱き上げ、
「チャンミン、今夜は俺と寝ようか?」
と、自身の形のよい鼻をチャンミンの子豚のような鼻にこすりつけた。
チャンミンは「承知しました」と、ユノさんの鼻をべろりと舐めた。
これでひとりのびのびと安眠できる...と思いきや、眠れなかった。
裏山の木々がざわつく音、目覚まし時計のコチコチ音が耳にうるさい。
シーツの上に手を滑らしても、毛むくじゃらで柔らかいものに触れない。
寝返りをうっても、ぐにゃりと熱い塊がついてこない。
「ミンミン、すまない。チャンミンと寝るのは俺でも無理だった」と、ユノさんがドアをノックするのを待った。
ユノさんのベッドだからって、チャンミンはいい子ぶってお行儀よく寝ているんだろう。
私の負けだ...ユノさんに預けたャンミンを返してもらおう。
身体を起こした時、ガリガリとドアを引っかく音が!
私はベッドから飛び降り、ドアを開けた。
「チャンミン...!」
私のチャンミンがそこにいた。
後ろ立ちして、前脚で私の膝を甘噛みした。
廊下に髪をボサボサにしたユノさんが立っていて、「ほらね。こうなるだろうって、最初から分かっていたよ」といった風に苦笑していた。
チャンミンと向き合わせに横たわった。
寝室は夜明け間際の、白い霞みがかった空気で満ちていた。
チャンミンと目を合わせた。
チャンミンは目を反らさない。
初めて迎えた夜明けに、こうやってチャンミンの顔をしみじみと観察したんだった。
チャンミンのまばたきのペースが落ちてくる。
白い眉毛が脱力して下がってくる。
両耳が垂れてくる、鼻が乾いてくる。
丸い頭を撫ぜた。
不細工な顔に埋め込まれた1対の眼、美しすぎる瞳...冷たい水からすくい上げたばかりの琥珀色の宝石...に、心打ち震えた朝。
あれから、4か月。
朝日をもっと取り込もうと、カーテンを開けた。
分厚い秋冬ものから、春夏の軽やかなカーテンに付け替えよう。
今朝はこのまま起床して、ユノさんにお弁当を作ってあげよう。
あと10分はチャンミンの寝顔を見つめていよう。
来週になったら、チャンミンを散歩に連れていってやろう。
・
出勤するユノさんを見送った後、私はポーチのベンチに腰掛けぼうっとしていた。
私はこのままでいいのかな、と考え込んでいた。
ユノさんの家に引きこもって学校にも行かず、ここは隣家まで1kmも離れていて人目など気にしなくてもいいのに、目前に広がる空間に飛び込めずにいる。
裏手の雑木林なら木々に身を隠していられる安心感も手伝って、現に昨年の夏は毎日のように遊びに行っていた。
このまま、ユノさんの家で一生を終えるのかな。
ユノさんもいつかは恋人を作るだろうし、私が居たらその恋人は嫌がるだろうな。
私は何にこだわっているのかな。
足元に視線を落とした。
チャンミンは寝転がって、私のスニーカーの紐をしゃぶっていた。
「ねえ、チャンミン?」
私はチャンミンに声をかけた。
チャンミンは私を見上げた。
「お前は何を考えているの」
チャンミンは眼差しで答える。
「あなたと同じことですよ」
(つづく)
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