(25)君と暮らした13カ月

 

 

~秋~

 

 

「ミンミン...ここまで一人で来たのか?」

 

私は頷いた。

 

「どうやって?

まさか歩いて!?」

 

「ううん。

本屋のおじさんがここまで送ってくれた」

 

ユノさんは口笛を吹くと、「凄いな」と目を丸くした。

 

「それに、チャンミンも一緒だったから」

 

私の背中でリュックサックの中身が、もぞもぞと動き出した。

 

「外に出して」とチャンミンが、私の背中を引っかいた。

 

「もうちょっと我慢してて」と言い聞かせたけど、我慢できないチャンミンは暴れ出した。

 

多分、私のお供を務めた自分を、ユノさんに褒めてもらいたかったんだと思う。

 

私はユノさんに問う視線を送ると、彼は私のリュックサックを引き取り、ついてくるよう頷いた。

 

私とチャンミンは門を抜けてすぐの、倉庫のような大きな建物に案内された。

 

コンクリート敷きの床には野菜くずが散らばり、枯れ草の束、木の枝、積み上げられた飼料袋、いくつものバケツ、壁際に大きな冷蔵庫が並んでいる。

 

ユノさんはリュックサックを床に下ろすと、紐を解いた。

 

ぴょん、とチャンミンが飛び出して来た。

 

押し込まれて縮こまった全身をほぐそうと、背中を反らしたり、脚の1本1本を順に伸ばしてストレッチし始めた。

 

ユノさんが「ミンミンを連れてきてくれてありがとうな」とチャンミンの頭を撫ぜると、チャンミンは得意げに顎をつんと上げた。

 

「わざわざここまで来た理由はなんだい?」

 

ユノさんは片膝をついてしゃがみ、私の両肩に手を置いた。

 

ユノさんは大事な話がある時は必ず、私の眼の高さになって水平に、真っ直ぐ見て話す人だかった。

 

のんびりはしていられない。

 

「あのね。

タミーがね、タミーが死んじゃうかもしれない...」

 

そう言った途端、ユノさんの顔色がさっと青くなった。

 

「タミーが!?

どんな具合なんだ?」

 

「ぐったりしてて、目をつむってて。

水を飲むのもやっとなの。

弱ってるの。

だから、ユノさんに付き添ってもらいたいの」

 

「そうか...」とつぶやいたユノさんの唇は小刻みに震えていて、私を見ているのにその眼は焦点が合っていなかった。

 

ユノさんは仕事中だ、どうしようか迷っているのだと思った。

 

「だから私たち、ユノさんを呼びに来たの」

 

ユノさんは立ち上がると、壁に取り付けられた電話の受話器を取った。

 

そして、謝ったり、電話口の相手に何か指示している。

 

私も立ち上がり、リュックサックに入るよう蓋を開けて見せたけど、チャンミンはぷい、と顔を背けてしまった。

 

「のけ者みたいに閉じ込められるのは、もうごめんです」

 

仕方なくユノさんのジャンパーを借り、チャンミンをくるんだ。

 

動物園の人に見つかったら大変だ。

 

アルパカの檻の中で見つかった「あの生き物だ」と気付かれて、動物園に連れ戻されるかもしれないから。

 

「行こうか」

 

ユノさんは私の腕からチャンミンを抱きとると、軽々と小脇に抱えた。

 

通用門を出、トラックが停めてある駐車場へと、早歩きのユノさんの後ろ姿を追った。

 

ジャンパーの裾から、チャンミンのお尻とだらりと力を抜いた後ろ脚がはみ出している。

 

チャンミンはユノさんの前だと、途端に聞き分けのよいお利口さんになるのだ。

 

全員が車内におさまると、ユノさんはトラックを発進させた。

 

急いでいるのに丁寧な運転で、「緊急事態の時こそ事故を起こしてしまったら元も子もないだろ?」とユノさんは言った。

 

頬かむりをしたままのチャンミンは、神妙な面持ちで車窓の景色を眺めていた。

 

 


 

 

この出来事は後年、ことあるごとに笑い話として話題に出た。

 

私にとって初めての大冒険の日だった。

 

世の中冷たい人ばかりじゃないと知った、初めての日でもあった。

 

「あの内気な君がね」と、ユノさんはくすくす笑う。

 

その度に私は、

「チャンミンがいてくれたからだよ。

感謝してもしきれないよ」と答えるのだった。

 

 


 

 

前庭へ頭から突っ込むようにトラックを停車させると、ユノさんは飛び降りた。

 

ポーチの階段なんて、2足で駆けあがってしまった。

 

「タミー!」

 

私とチャンミンも後を追った。

 

ユノさんは玄関に入ってすぐの所で立ち尽くしている。

 

ああ、遅かったんだ。

 

私が道を間違えたりしなければ間に合ったのに...のろまな私のせいだ。

 

チャンミンはユノさんと私の足の隙間をすり抜け、家の中に入っていった。

 

私はドア枠とユノさんの脇腹の隙間から家の中を覗き込んだ。

 

「...タミー」

 

そこで私たちが目撃したのは、室内を歩き回っているタミーの姿だった。

 

ボウルの中身(牛乳でふやかしたパン)は空っぽだった。

 

死にそうどころか、ぴんぴんしていた。

 

急激な気温差が老体に堪えたが、ゆっくり休んだら回復した...ただそれだけのことだったのだ。

 

 

その夜、私たちは夕食後で皆、思い思いに過ごしていた。

 

大冒険でくたくたのチャンミンは、タミーのお腹を枕に眠っていた。

 

「愛犬の具合が悪いからって、仕事を早引けするなんてな...ははは。

俺は動物が好きだし、世話をするうち懐いてくれると嬉しい。

動物園では、あの子が...今度はこの子がって具合が悪いのはしょっちゅうだ。

その度に、とても心配するし、できる限りの事はする。

...こういう時に、自分にとって一番大切なものが何なのか分かるよ」

 

しみじみとした言い方だった。

 

「ユノさんにとって、タミーなんだね」

 

「タミーだけじゃないよ。

ミンミン、君もだよ」

 

「私...も?」

 

「俺にとって大事な存在だよ」

 

「でも、私...他所の子だし。

ユノさんとは2年しか一緒にいないし」

 

「ミンミンが俺を呼ぶために、動物園まで来てくれた。

『ユノさんに会いたいと子供が来ていますよ。急ぎの用だそうです』と呼び出されてね。

俺を見た時の君の心底ほっとした表情と言ったら...。

嬉しかったなぁ。

ミンミンはどこか俺に遠慮しているところがあったからね」

 

ユノさんを迎えに行ってよかった、と思った。

 

 


 

 

これも後年、ユノさんが私に教えてくれたことだ。

 

実はタミーのことは、それほど心配はしていなかったそうだ。

 

常に動物の世話をしてきたユノさんだ。

 

タミーは大丈夫だと分かっていた。

 

勇気を振り絞ってユノさんを呼びに来た私を想って、家に飛んで帰ったのだ。

 

大袈裟に考え過ぎているだけだと、私を帰らせることなんて絶対にできなかったのだそうだ。

 

「ユノさん、ただ事ではないって顔してたよ」

 

「俺の演技はなかなかのものだっただろ?」

 

「うん」

 

この話題が出る度、私は頬かむりをしたチャンミンの姿を思い出すのだ。

 

本当に可愛らしかった。

 

(つづく)

 

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