チャンミンは、ジュースを買ったあの店で電話を借り、屋敷から車を呼んだ。
屋敷に着くなり俺は、無様にもベッドに伏せってしまった。
枕元にひざまずいたチャンミンは、難しい顔をして、俺の口から抜き取った体温計を睨みつけていた。
「ユ~ノ!
辛いのに我慢してますね!
お医者さんを呼ばなくて、ホントにいいんですか?」
「医者は...嫌だ」
「注射が嫌なだけでしょう?」
「......」
チャンミンは「ユノは怖がりさんなんですね」と呆れ顔を作り、
「身体を冷やしたせいですね。
あったかくしてよく眠るんですよ」
と、ベッドの中に湯たんぽを3つも押し込み、苦くて不味いだけの薬草茶を飲ませる。
立ち上がったチャンミンのシャツの裾を引っ張った。
「チャンミンが作ったココアが欲しい」
チャンミンのココアは、濃くて甘くて美味しいのだ。
「...甘えんぼさんですね。
分かりました。
薬草茶を全部飲んだら、作ってきてあげます」
「ちえっ」
顔をしかめながら最後の一滴までお茶を飲み干すのを、チャンミンは怖い顔をして見張っている。
空になったカップに、チャンミンは満足そうに頷いている。
ココアを作りに立ち去ろうとしたチャンミンのシャツを、俺は引っ張った。
「まだ欲しいものがあるのですか?」
いつまでもシャツを離さない俺に根負けして、チャンミンはベッド脇まで引き寄せた椅子に腰を下ろした。
「どうして欲しいんですか?
僕にできることなら、何でもしてあげますよ」
俺の手を両手で包み込んだ。
チャンミンのさらりと乾いた手の平が、熱のある俺にはひんやりと心地よい。
手の平を通して、チャンミンの優しい心が伝わってくるようだった。
「眠くなるまで、何かお話をして」
「どんなお話がいいですか?」
「...たまに検診を受けてるって言ってたよね?
どういうことをしてるの?」
チャンミンの手が、わずかに震えた気がした。
「僕の心臓が正常に動いているか、とか。
予防接種を受けたり...ユノが学校で受けているものと同じです」
「心臓?
チャンミンにも、心臓があるの?」
俺はチャンミンの整った顔を、真っ直ぐ見上げていた。
チャンミンはふっと笑い、「ありますよ」と言った。
「ドキドキしてるでしょう?」
「僕が泣いたり、汗をかいたり、それから...おしっこをするのも...あ、ずいぶん前に、ユノに見られましたよね、あの時は恥ずかしかったです。
つまりですね、僕の身体にも血液が流れている証拠ですよ」
「...そんな...人間みたいじゃないか」
「そう見えても当然です。
でもね...僕はあそこで造られたのです。
お母さんのお腹で育って、生まれたわけじゃないのです」
そうなのか...やっぱりチャンミンは、俺と違うんだ。
俺の曇らせた表情に気付いて、チャンミンは俺の背をあやすように、とんとんと叩いた。
「じゃあ、あの子供たちは?
ジュースを買った時、お店の前にいた子供は?
子供ってことは、成長するってこと?」
俺のイメージでは、1人分の大人サイズのパーツを組み立てると、アンドロイドが1人完成する。
チャンミンはしばし考え込んでいた後、俺の質問に答えた。
「あの子たちがアンドロイドというのはあり得ません。
たまたま、見た目が綺麗なだけだったのでしょう。
子供のアンドロイドは存在しません。
アンドロイドは成長しないのですから、もし子供のアンドロイドがいたら、ずっと子供のままなんですよ?
亡くした子供の身代わりに取り寄せたアンドロイドが、10年経っても子供のまま。
さすがに所有者も気味悪がります。
用無しになって手放した後、子供の精神と肉体しか備えていないアンドロイドの使い道は少ないのです。
こういった理由です。
技術的に難しいこともありますがね」
「...そっか。
ところでチャンミンって、いくつなの?」
「僕は年をとりませんが、強いて言うなら、8歳です」
「ええっ!?」
「冗談です。
ユノの7歳のお誕生日からカウントすれば、僕は8年間ユノの側にいました。
だから、8歳って答えてみました」
「そっか...」
チャンミンには子供時代が存在しないし、彼は永遠に今の姿のままだということだ。
確かに、チャンミンの肌にはシワもシミもなく、出逢った時の記憶のままの姿形をしている。
ということは、俺が年をとっておじいさんになっても、隣にいるチャンミンは青年のままでいるということか。
チャンミンが先に逝くことはない...この考えは俺を安心させた。
チャンミンには聞きたいことがいっぱいあった。
LOVEとLIKEが重なった今、チャンミン自身について知りたいことで、俺の中は溢れそうだった。
「あの工場には、チャンミンと同じ見た目のアンドロイドは、何人もいるの?」
「......」
黙ってしまったチャンミンを見て、訊いてはいけないことを訊いてしまったのかな、と自分の質問を後悔した。
でも、ドンホとの会話から連想した、工場内にずらりと並んだチャンミンの図が、色濃くこびりついているのだ。
「見たことはありません。
原則的に、同じ姿形のアンドロイドは、同時期に存在したらいけないそうです。
だから多分、いないと思います」
「もしも...もしもだよ。
今のチャンミンが...」
繋いだ手にぎゅっと力を込め、上下に揺すった。
「何かの都合でダメになってしまって...これは、万が一の話だからな。
チャンミンがダメになってしまうなんて、俺は許さないからな。
ダメになって、新しいチャンミンが代わりに俺のところに来た時。
それは『チャンミン』なのか?」
チャンミンが浮かべた笑みは、寂し気だった。
「前に同じような会話をしたこと、覚えていますか?」
「うん」
「ユノは、どう思いますか?
僕に尋ねる前に、ユノはどう考えますか?
僕は、同じでありたい、と思っています」
チャンミンの琥珀色の瞳が、俺を真っ直ぐに射る。
チャンミンがどんな言葉が欲しがっているのか、俺には大抵分かるようになっていた。
きっとチャンミンはこう言って欲しいんだろうなぁ、って。
分かる、ということは、チャンミンの心は俺と通じ合っているということ。
そして、チャンミンが欲しい言葉は、俺がチャンミンに伝えたい言葉と同じなのだ。
「...俺は、もちろんチャンミンの顔は好きだよ。
チャンミン、覚えてる?
ずっと前、俺の真っ黒な瞳が好きだって、言ってくれただろ?」
「お!
よく覚えてましたね」
「当たり前」
チャンミンからふんだんに注がれた褒め言葉が、どれだけ俺を救ってくれたことか。
「変な髪型になっても、チャンミンならサマになる」
「やっぱり、変だったんですね」と、チャンミンは口を尖らせていて可笑しかった。
「なぜだか分かる?
チャンミンの顔の造りが、いいってこと。
アンドロイドだから、いい顔をしているのは当たり前だけどね。
ねえ」
俺は布団から身を乗り出して、チャンミンのお腹にしがみついた。
「俺さ、チャンミンの眼が好きだ。
色が薄くって、チャンミンの心の中を覗き込めそうなんだ。
透き通っていて、俺の心まで洗濯されたみたいに綺麗になれる」
「ユノ...」
チャンミンは布団を引っ張り上げて、俺の肩にかけ直してくれる。
「俺はね、チャンミンの心が好きだ。
チャンミンの眼...心の窓を通して、チャンミンと会っているんだ。
だから、容れものが変わっても、チャンミンはチャンミンなんだ」
この言葉は、するするっと自然に出てきたものだった。
「ありがとうございます」
あ...鼻声になってる。
さては泣いているな。
チャンミンは感動屋だから。
チャンミンの大きな手が、俺の熱っぽい背中を擦ってくれる。
ちりんちりん。
サイドテーブルに置いた電話が、耳障りな金属的な音をたてた。
俺とチャンミンは、はっと現実に引き戻されてしまう。
俺より先に、受話器はチャンミンに奪われてしまった。
「はい...はい」と、チャンミンは受け答えしながら、俺には目線と頷きで早く寝ろと言っている。
受話器を置いたチャンミンに、「Kだったの?」と尋ねた。
「はい。
呼び出されました」
チャンミンは、毛布と布団を隙間が出来ないようにかけ直すと、俺の前髪をかき分けたそこに、そっと唇を押し当てた。
「ぐっすり眠って、身体を休めてください」
そして、部屋を出ていった。
(つづく)
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