チャンミンがやってきて2度目の冬。
屋敷は大勢の客たちで賑やかだった。
俺の誕生日パーティまでにまだ3日もあるのに、気が早い大人たちは...多分騒ぎたいだけなんだ...パーティ前のパーティを開いている。
主役のはずの俺をそっちのけで、大人たちは昼間からお酒を沢山飲んで、大音量で音楽を流して、歌って騒いではしゃいでいた。
俺はここ数日間、元気がなかった。
なぜなら、チャンミンが病気だったからだ。
従兄弟たちの中で一番年若く、身体の小さい俺は、彼らのいじめの対象になっていた。
何かの集まりがある度、うちにやってくる彼らが大嫌いだった。
彼らが帰ってしまうまでの期間、食事も部屋に運ばせていたくらいだったのだ。
「ユノ。
朝ご飯の時間ですよ。
早くしないと、片付けられてしまいますよ」
チャンミンは布団をかぶったまま俺の肩を、揺さぶった。
(寝坊助の俺をベッドから引きずり出すのに、チャンミンは毎朝苦労している。もちろん、実際に引きずりだすことはしないよ)
お腹がペコペコのチャンミンが可哀想で、俺は渋々ベッドを出る。
俺には強いチャンミンがいる。
従兄弟たちなんて、怖くないぞ。
俺は意を決して、チャンミンを伴って朝食のテーブルについた。
食堂は、一瞬で静まり返った。
7人の従兄弟たちが、チャンミンに注目している。
子供だけしかいないはずの食卓に、突然大人が紛れ込んできたからだ。
「ユノ!
こいつ誰?」
一番年かさのDが、チャンミンの方を顎でしゃくって言った。
「チャンミン」と、ぼそりと答えたら、
「おはようございます。
チャンミンです。
よろしくお願いします」
と、チャンミンはわざわざ席を立って、ペコリとお辞儀した。
その間、7人の従兄弟たちは、ポカンと口を開けてチャンミンを凝視したまま。
「これって、もしかしてアンドロイド?」
子供に向かって頭を下げたり、礼儀正しい言葉遣いに、チャンミンのことを使用人なのでは、と彼らは最初思ったのだろう。
ところが、チャンミンの美貌が「普通じゃない」と、敏感な子供の勘が働いたんだ。
普通じゃない...ここまで綺麗な人間は、普通じゃないって。
「...そうだよ」
認めたくないが、渋々俺は頷いた途端、
「ひゃぁー、すっげぇ!」
わらわらと従兄弟たちはチャンミンの周りに集まった。
身体の大きなEに押されて、俺はその輪からのけ者にされてしまう。
「すげぇ!
人間みたいだ」
年少の者は、チャンミンの手をまじまじと観察したり、ほっぺを挟んだりといった遠慮がちなのに対して、
DやEといった年長者は、チャンミンの髪を乱暴にひっぱったり、小突いたりしていた。
中学に上がるくらいの歳になれば、人間に逆らえないアンドロイドの身分の低さがどれほどのものなのか、理解しているからだ。
チャンミンは困った顔をして、彼らにされるがままになっていた。
「やめてください」と、彼らの手や腕を払いのけた時点で、暴力と捉えられかねない。
だから、チャンミンはじっと耐えている。
「やめてっ!
チャンミンが痛がってる!」
「だって、これってアンドロイドなんだろ?
これくらい平気だよ」
「チャンミンを壊したら、父さんが許さないぞ!」
カッコ悪いけど、この時は父さんの怖さをちらつかせるしかなかった。
泣きべそをかく俺にDは、
「つまんねぇの!
外に遊びに行こうぜ!」と叫んだ。
誰もDに逆らえないから、残りの従兄弟たちもDに習って食堂を出ていく。
彼らがいなくなって胸を撫でおろし、ぼさぼさ髪になってしまったチャンミンの頭を撫ぜた。
「ごめんね、チャンミン」
「どうしてユノが謝るのですか?」
泣きべそ顔の俺に驚いたチャンミンは、ひざまずいて俺の顔を覗き込む...。
「ユノ!
お前もさっさと外に出てこい!」
食堂の窓の外から、DとEがこっちに来い、と手を振っている。
従うしかなかった、いつものように。
深い森林を切り開いて出来た広大な敷地に、屋敷は建っている。
敷地内には小川も流れているし、ボート遊びができる湖もある。
冬になるとそこは氷と雪で覆われて、一面真っ白になる。
とはいえ、張った氷は薄いため、湖面に下りることは大人たちから禁止されていた。
俺たちは桟橋に立って、氷の欠片を凍り付いた湖面に向けて投げる遊びをしていた。
湖面の上を滑らすように低めに投げると、遠くまで飛ぶ。
高い放物線を描くように投げると、吹き溜まりで分厚く積もった雪面に、ぽすっと穴が開くのも面白い。
今日の俺も、心配性のチャンミンによってむくむくに着ぶくれていた。
そんな俺の姿を、従兄弟たちから「だっせぇ」と笑われた。
笑いの種をつくったチャンミンに、少しだけ腹を立てていた。
「チャンミンもさ、見てるだけじゃなくて、投げてみなよ」
「いいんですか?
僕は大人ですから、遠くまで飛ばせてしまいますよ?
D君たちに勝ってしまいますよ?」
チャンミンは俺のイヤーマフの側で、小声で言う。
「構うもんか。
あいつら調子に乗ってるから、チャンミンがこらしめてやってよ」
「いいのですか?」
「うん。
わざと負けたらだめだよ」
「うーん...気は進みませんが...」
チャンミンを自慢したかっただけなんだ。
チャンミンは凄いんだと、自慢したくなったんだ。
でもそれが、いけなかった。
俺が投げる氷片は、数メートルぽっちのところに無様に落ちるだけ。
チャンミンの長くて力持ちな腕なら、湖の向こうまで投げられるに決まってる。
従兄弟たちは、興味津々にチャンミンに注目している。
チャンミンは5センチサイズの氷を、手の平の上でぽんぽん弾ませたのち、投球ポーズをとった。
チャンミンが片脚立ちになった瞬間、
俺の目の前からチャンミンが消えた。
直後、鈍い音と共に水しぶきが上がった。
「チャンミン!!」
俺は桟橋の縁に駆け寄って、膝をついて下を覗き込んだ。
「チャンミン!」
氷に穿たれた穴から、真っ黒な湖面に、ぶくぶくと泡が湧き上がってきている。
チャンミンが湖に落ちてしまった!
「チャンミン!」
冷たい水の底に、チャンミンが沈んでしまった!
助けに行かないと!
割れた氷が漂う湖面の下から、チャンミンの頭が浮かんできた。
「チャンミン!」
浮かび上がったチャンミンは、水を吐き出しながら激しくせきこんだ。
「チャンミン!」
よかった、チャンミン、無事だった。
桟橋近くの水深は2メートルくらいだから、助かった。
それでもチャンミンは、立ち泳ぎをしてなんとか水面から頭を出しているのだ。
俺は立ち泳ぎをしているチャンミンに目いっぱい手を伸ばす。
桟橋から湖面まで2メートル近くあるから、俺が手を伸ばしたって、助けられるはずはない。
「ユノっ...!
駄目です!
あなたまで落ちて...しまい、ます」
「だって、だって!」
チャンミンの顔が真っ赤になっていて、濡れた前髪が額に張りついていた。
吐く息は真っ白で、濡れた髪から白い湯気がたちのぼっていた。
水をかく腕を休めると、チャンミンの頭は水中に吸い込まれてしまう。
パニックになった俺は、桟橋から身を乗り出して「チャンミン!」と叫ぶだけで、なんら助けになることが出来ずにいた。
俺の身体じゃ、チャンミンを引っ張り上げることは出来ない。
チャンミンが死んでしまう!
水を吸ったコートは重い。
凍てつく水の中。
チャンミンが凍ってしまう!
俺は助けを求めて桟橋の上の面々を振り返った。
けれど、5人の従兄弟たちは身を寄せ合って、おろおろと桟橋の俺と落ちたチャンミンを交互に見守るだけだ。
落ちたのが人間の子じゃないからなのかな。
「だっせぇ!」
その声に振り返ると、DとEが身をよじらせて笑っていた。
チャンミンの背中を押したのはDかEのどちらかだ。
犯人がどっちかなんてどうでもいい。
チャンミンを助けないと!
困惑した表情で立ち尽くすだけの、他の従兄弟たちにも頼るつもりはなかった。
がくがくと震える足を、力いっぱい叩いて喝を入れる。
俺は屋敷に向かって駆け出した。
(つづく)
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