「帰ってきてるだろ、一度?」
「帰ってないよ」
「立派にバレてるから」
「バレてる?」
「3枚減ってた」
「何が?」
「パンケーキが減ってた」
「......」
「チャンミン、パンケーキが好きだろ?」
「甘いものは好きじゃないもん」
「俺が焼いたパンケーキは、好きだろ?」
「......」
「パンケーキのいい匂いに誘われて、チャンミンが帰ってくるんじゃないかなぁって」
「枚数をいちいち数えてたの?
ユノ、細かい男は嫌われるよ?」
「細かいのはチャンミンの方」
「むぅ」
「パンケーキ食べる?」
「夕飯に、パンケーキ?
ご飯と漬物だけの、質素なメニューを欲してるんですよねぇ」
「冷凍庫がパンケーキで、いっぱいなんだ」
「外食続きで太っちゃったかも」
「ホントだ」
「なんだって!?」
「嘘。
太ってないよ。
アイスをのせる?
ホイップクリームもあるよ」
チャンミンは疑わしそうに俺を睨んでいたけど、ふんと鼻をならしてダイニングチェアにすとんと腰を下ろした。
「僕を太らせる気?」
「アハハハ。
お尻がぷにっとなったチャンミンって最高」
「真に受けるからね、その言葉!
両方のっけてね」
「了解!」
・
チャンミンは俺の奥さんだ。
10日前、俺たちは喧嘩をした。
その結果チャンミンが家を飛び出してしまった。
チャンミンのことだから、マンション前の植え込みの陰にしゃがんで、追いかける俺を待っていたかもしれない。
でも、俺は相当腹を立てていたから、チャンミンを追わなかった。
それがいけなかった。
10日間のあいだ、どこで寝泊まりしてたのやら。
「奥さんが出勤していないのですが...?」なんていう連絡はなかったから、仕事には行っていたようだ。
「ビジネスホテル生活も、10日続くと辛い」
俺たちはレンジで温めたパンケーキを前にしていた。
焼き立ての時と比べると、ちょっとしんなりしているけど、アイスとホイップクリームにまみれて、ひと口ひと口が至福の塊だ。
「家出してごめんね」
「オレもキツイこと言って、ごめん」
・
喧嘩の詳細はこうだ。
友人夫婦に赤ちゃんができたと聞いて、お祝いの気持ちで赤ちゃんグッズをプレゼントしようと思いたったのだ。
俺たちのクローゼットには、赤ちゃんグッズが詰まっている。
赤ちゃん10人分。
これらは、永遠に誕生することのない俺たちの赤ちゃんのために、買い揃え続けてきたものだ。
俺たちには必要ないもの。
でも、手放しがたいもの。
とはいえ、永遠に溜め込みつづけるわけにはいかない。
少しずつ手放していかないといけない。
本当に必要としてくれる人の元へ、譲ってあげようよ。
チャンミンにその決心がつくまで、俺は待ち続けていた。
「少しくらい減ってもいいじゃないか。
また買えばいいじゃないか!」
って、酷い言葉を吐いてしまった。
・
チャンミンは、とにかく赤ん坊を欲しがった。
俺たちは男同士だから、赤ん坊なんて絶対に生まれない。
ところがチャンミンの頭の中は、赤ん坊のことでいっぱいだった。
その気持ちが強すぎて、定期的にチャンミンは『フェイク妊娠』する。
何かしら不安になることがあったりすると、チャンミンは空想の赤ん坊を宿す。
「赤ちゃんができました」のチャンミンの一言で、ゲームは始まる。
俺もチャンミンに合わせて、彼が『妊婦さん』であるかのように接する。
赤ちゃんの誕生を待ち望む夫婦の姿を演じる。
そしてある日突然、「赤ちゃん、駄目でした」で幕を下ろす。
可笑しいだろ?
『チャンミンが妊娠したかも』ごっこも、10回を迎えると疲れてきた。
哀しくなってきた。
クローゼットの中には、回を重ねるごとに増殖するものたち。
夫の俺と、『赤ちゃん』と、どちらが大切なんだ?
いい加減、隣にいる俺と正面から向き合って欲しかった。
「チャンミンには、俺が見えないのか!」って怒鳴った。
気持ちを切り替えて、俺と2人の人生を歩む覚悟を決めて欲しかった。
チャンミンの哀しみに寄り添ってきた俺だけど、とうとうやりきれない思いが爆発してしまった。
「いい加減にしろ!」って。
「俺がいるだけじゃ、足りないのか?」って。
「チャンミンの目には俺が映っていないのか?」って。
チャンミンは心底驚いただろう。
結婚して初めて、俺が怒鳴る声を聞いたんだから。
真剣に怒る俺を初めて見たんだから。
帰宅してソファに置いたばかりのバッグをつかんで、脱いだばかりのジャケットを羽織ると、チャンミンは無言のまま家を出ていった。
あれから10日間、家に帰ってこなかった。
携帯電話がキッチンカウンターに置きっぱなしで、チャンミンに連絡しようにも出来なかった。
・
「また買えばいい」だなんて酷すぎた。
赤ん坊を産めないチャンミンに言ったらいけない言葉だった。
それでも、いつまでもごまかしの日々は御免だった。
本音をぶつけたことを、俺は全然、後悔していない。
どこかで、伝えなくちゃいけない言葉だった。
伝え方が悪くて、チャンミンにショックを与えてしまったけど。
俺の正直な気持ちを隠すことなく伝えたかった。
俺はチャンミンのことが世界で一番大事だから。
・
「ねぇ、ユノ。
家出してる間にね、
ホテルのエレベーターの注意書きが、すごいシュールで面白かったんだ。
この可笑しさは、ユノじゃなきゃ理解できないくらいのシュールさだったんだ。
ユノと共有したかった。
でね、写真を撮ってユノに送ろうとしたんだけど、携帯を忘れていっちゃったから。
それで、取りに家に寄ったんだけど、なくて...」
「ごめん、俺が持ち歩いてた」
「そうだったんだ。
でも、かえって良かったかも。
全く連絡がとれなかったおかげで、ユノのありがたさが、よ~く分かりました」
「ありがたみ?
どれだけ俺のことを愛してるか、じゃなくて?」
「分かってるくせに」
「ははっ」
「ちゃんと帰ってきたでしょ?」
「チャンミンが帰る場所は、俺の場所~♪」
「ユノ、歌うまいねー」
チャンミンは、パチパチと手を叩いた。
俺は調子に乗って、言葉をメロディにのせた。
「チャンミン~♪
ひどいこと言って、ごめんね~♪
これからも~、チャンミンの~♪
『赤ちゃんできちゃったごっこ』を~、やろうね~♪」
「ユノー!」
チャンミンが俺に抱きついてきた。
「もうやりません」
「そんなこと言わないで。
いくらでも付き合うよ~♪」
「ううん。
もうやりません。
あの日、ユノの本音が聞けてよかった。
ユノの言葉で、目が覚めました」
「チャンミン...」
「自分の気持ちを押し付けてばかりだった。
悲劇のヒロインぶってた...あ、僕は男ですけどね。
ヒーローじゃ変でしょ?
ユノの気持ちなんか、全然考えていなかった。
ユノはずっと隣にいてくれたのに...」
「チャンミン...」
俺はチャンミンの頭をよしよしとなでた。
「怒鳴ってゴメン」
「キツい言葉だったけれど、あれがユノの本音でしょ?」
「うん」
「そういう正直なところに惚れました」
「だろ?」
「ユノが、僕の会社まで迎えに来なくてよかったー。
『妻は出社していますか?』なーんて、電話がかかってきたらどうしよう、って。
気持ちの整理ができる前に、ユノに会いたくなかったから」
「恥をかかせるようなことはしないよ。
俺がチャンミンを追いかけなかったのは、俺にも気持ちを整理する時間が必要だったんだ。
もしチャンミンがいなくなったら、俺はどうなっちゃうんだろうって。
確認してみたかったんだ」
「で、どうだった?」
「わかってるくせに」
チャンミンの膝裏に腕を通して、お姫様だっこする。
「ひゃー!」
チャンミンはこうされることが、好きなんだ。
「帰ってくるのが1日遅かったら、危なかったぞ。
明日になったら、チャンミンの会社に迎えに行くつもりだった」
「危なかったー」
「でさ。
そのシュールな注意書きって何?
教えてよ!」
「なんて言いつつ、
寝室に向かってるのは、どういうわけ?」
「新しいクリームを手に入れたんだ。
試してみようよ」
「ユノはえっちな旦那さんですねぇ」
「ふん。
えっちな旦那さんが大好きなえっちな奥さんだろ、チャンミン?」
「ひゃー!
お尻をガブッとしないでよ!」
(おしまい)
当作品は『禁じられた遊び』の続編にあたります
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