~チャンミン~
天井のファンが回る涼しい部屋のベッドの上で、現地のTV番組を見ながらビールを飲んだ。
エアコンで冷えすぎた身体を温めようと、バルコニーに出る。
湿った生温かい空気に、プランターから漂う南国の花の香りにむせかえりそうだった。
手すりから身を乗り出すと、ライトアップされたプールが眼下に見える。
「泳いだら、怒られるかな?」
「泳いできたら?
ピーって笛を鳴らされて、ホテルの人に見つかったら俺だけ逃げるから」
ユノのニヤニヤ笑いに、「薄情者!」と言って僕は膨れるのだ。
ユノの小さな鼻が日焼けのせいで光っている。
旅はまだ中盤。
こんなに幸せで、バチが当たりそうだと思った。
・
目覚めたら、すぐ目の前にユノの寝顔がある。
まつ毛が長くてびっくりした。
おでこから鼻先まで、鼻筋を人差し指でなぞったら、パチッと目が開いて、その目がにっこりと笑った形になった。
「おはよ」のひとことが照れ臭かった。
ユノはふわあぁっと大あくびをすると、僕の頬っぺたにキスをしてくれる。
日焼けあとが痒いのか、ぼりぼりと背中をかきながらバスルームへ向かうユノの後ろ姿。
短い髪なのに、あっちこっちに寝ぐせができていて、僕はくすりと笑ったのだった。
僕は朝食ビュッフェ会場へ、スリッパを履いたまま行ってしまい、ユノに脇を肘でつつかれて教えてもらった。
泊数と着替えの数を見誤ったユノは、着られる服がなくなって、マーケットで調達することにした。
配色センスが独特で、変な柄のシャツを堂々と着ているから可笑しいんだ。
後頭部の髪がはねたままだったけど、可愛くて、面白かったから指摘しなかった。
どうせこの後、プールで泳いで濡れるだろうからね。
起床してご飯を食べて、泳いだりプールサイドで読書して、午後は部屋で昼寝して、涼しくなったらマーケットをひやかし歩く。
1着だけ持ってきたパリッとした襟付きシャツは、2日目の夜、ホテルのレストランで食事をとった時に1度着ただけ。
あとは、水着でいるか、Tシャツ短パンで過ごした。
僕らは、くつろいでリラックスした姿をお互いにさらしていた。
・
帰国前夜。
荷造り作業がおっくうで、寂しくて仕方がない。
「帰りたくないですー」
「帰るのやめようか?」
「明後日から仕事だから、無理です―」
「辞めちゃえば?」
「出来るわけないでしょ?」
とっくに荷造りを終えたユノはベッドに腰掛けて、僕の荷造り具合を面白そうに眺めている(ユノはバッグに持ち物を放り込んで、ファスナーを締めるだけ。僕はシワがつかないよう畳んだり、ポーチに入れたりと段取りで時間がかかってしまうんだ)
「ユノとまた旅行に行きたいな。
稼がないとね~」
「次の旅行代は俺が出すよ」
「そんな...悪いよ」
「だって、今の旅行はチャンミンの奢りだろ?
次は俺の番。
そうだ!
今回はお土産を好きなだけ買ってあげるよ」
「ホントに!?
じゃあ、ドライフルーツがいいです。
マンゴスチン、買ってください!」
「マンゴスチン?
なんだ、それ?
オレンジ色の?」
「それは、マンゴー。
マンゴスチンは、白くてプルっとしてる果物。
ユノ、ビュッフェで山盛りにしてたでしょ?
あれがマンゴスチン」
「ふうん。
いくらでも買ってあげる。
甘いぞ~?」
「いいの?」
「うん。
スーツケースに入りきらなかったら、もうひとつスーツケースを買ってマンゴスチンをぎっしり詰めて帰ろう」
その光景を思い浮かべたのか、ユノは鼻にしわをよせて、くくくっと笑った。
そんなユノを見ていたらウズウズしてしまい、おでこに頬っぺたに鼻に、そして唇にキスの雨を降らせた。
「もお!
じゃれつくなって!」
照れ隠しとくすぐったいのとで、ユノは大暴れする。
力ではどうしてもユノに負けてしまう僕は、彼の肩や二の腕をかぷっと噛んでやった。
「お!
これならどうだ!」
ユノに羽交い絞めにされた途端、僕は抵抗するのを止めた。
この後の流れはご承知の通り。
僕らは唇を合わせたまま、身にまとったものを全部脱いで、それらをぽーいってベッドの向こうに放り投げた。
日焼けで火照った熱い肌同士が、隙間なくぴったりと重ね合う。
先ほど互いに塗り合いっこした、カラミンローションの匂いがする。
水っぽい音、肌を打つ音。
ユノの呻き、僕の喘ぎ、「好き」の連呼。
室内が薄暗いのは、外が眩しすぎるから。
冷房が効きすぎて寒いくらいなのに、僕らだけは火の玉のように熱いのだ。
絶頂の瞬間、シーツを握りしめた僕の手の甲に、ユノの節くれだった大きな手が重なった。
僕たちの旅が、もうすぐ終わる。
1週間前の空港での出来事が、うんと遠い。
小さなスーツケースに、ドライフルーツが詰まっている。
マンゴスチンが大嫌いになるくらい、沢山食べてやるから。
~ユノ~
『荷ほどきは終わりましたか?』
受話器から聞こえるチャンミンの声。
数時間前に別れたばかりなのに、俺は寂しさのあまり泣きそうになる。
「だいたい」
洗濯機の中で、南国の香りが染みついた夏服が洗われている。
明日から現実世界に引き戻される。
今日が終わるまでは、旅気分でいさせてくれ。
『楽しかったね』
「うん。
これまで生きてきたうちで、一番楽しかった」
『大袈裟ですねぇ』
チャンミンがふふんと、笑った。
~チャンミン~
いい加減、マンゴスチンに飽きてきた。
嫌いになりそうだった。
誰かに分けてあげればいいのに、欲張りな僕は一人で食べるつもりだった。
人にあげたら、ユノとの思い出が減ってしまうから。
思い出が逃げないよう、スーツケースも腕が入る分だけしか開けなかった。
残りわずかとなった時、取り出しにくくなって初めてスーツケースのファスナーを全開させた。
「?」
ビニール袋に気付いた。
味もそっけもない白いビニール袋だった。
「これって...」
旅先のマーケットで、ユノが着ていた悪趣味なTシャツが入っていた。
南国ではマッチしていたのに、白々とした蛍光灯の日常の景色で見ると、奇抜な色使いは派手派手しい。
手にしたこれから、エキゾチックな風が吹いてきた。
あの時の空気、音、匂い。
汗ばんでベタベタなのに、ずっと手を繋いでいた。
ありありと思い出せる。
胸に抱きしめると、ユノの香りに包まれた。
鼻を埋めて、胸いっぱいに吸い込んだ。
犬みたいにくんくん嗅いだ。
鼻の奥がつんとして、胸がぎゅうっと苦しくなった。
「...あれ?」
折りたたまれた紙切れはホテルの便せんで、ユノの文字が並んでいる。
飛び上がるほど嬉しい言葉が綴られていた。
『次はどこいく?』
涙が出そう。
もう泣いちゃってるけどね。
ユノに電話をかけなくては。
次は寒い国に行こうって。
それから、僕もユノが大好きだよ、って。
3回発信音が鳴った後、
『お!
やっとで見つけた?』って。
「あれ...洗濯してませんよね?」
『うん。
洗ったら匂いが消えちゃうだろう?』
「ナイスです」
『チャンミンの好物を仕込んでおいたんだ。
そろそろ、チャンミンが寂しくなる頃合いだっただろ?
くんくんしてもらおうと思ってさ』
「うん
...次はパンツが欲しいです」
『...本気で言ってるの?』
「うん...本気」
『よし!
今から会いにいく』
「ホントに!?」
『ああ。
明日、休みを貰えたんだ。
会いに行ってやるから、そん時にたっぷり匂いを嗅いでくれ』
「やった!」
僕は跳ね起きて、エプロンを付けてキッチンに立つ。
「寒い国と言ったらどこがいいかなぁ」と、いくつもの国を頭に思い浮かべながら、お鍋の中身をかき混ぜていた。
(おしまい)
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