~カイ~
「カイ君、ちょっといいかな?」
翌日、ユノさんに声をかけられた。
「どうしたんですか?
二日酔いしてないんですね。
ほんとにお酒が強いんですね」
「ハートが弱ってたせいだ...あれは、うん。
あれだけの量で酔っぱらうなんて、面目が立たないよ」
そこで、ユノさんは言葉を切った。
「あのさ。
カイ君、ありがとな」
ユノさんの言葉が嬉しかった。
「また飲みに行きましょうよ。
次は、僕の話を聞いてくださいよ」
「あはは、そうするね。
しっかし、カイ君。
あんた、モテるでしょ?」
「どうかなぁ」
「とぼけるなとぼけるな」
...と、以上がユノさんとの距離がぐんと近づいた出来事だ。
ユノさんは、1年くらい前にどこかの施設からここに出向してきた。
Tさんと組んで資料保管やデータ管理を行う部署に配属された。
作業着に着替えてドームへ出て、僕を手伝ってくれることもある。
グレーのつなぎと長靴姿が、まるで少年みたいだ。
この職場では僕が一番年少だったこともあって、周囲に頼りやすい立場だ。
面倒見のいいユノさんに、いかにも年下面して絡んだりして。
人それぞれキャラクターの役割があるから、「新人君」のふるまいは、職場の空気を和ませるんじゃないかと、僕は考えている。
ユノさん相手に、その立場を発揮させてもらった。
僕はとりたて、年上好きじゃない。
でも、ユノさんは面白いひとだなぁ、って、興味を持っていた。
方言交じりの話ことばや、いつも黒づくめで、自分のルックスがどれだけ抜きんでているか、ホントに気付いていないみたい。
Tさんにフラれたのに、ユノさんの仕事ぶりはいつも通りで、Tさんとのコミュニケーションもうまくやっているみたいだ。
そんな姿も、いいなぁって思った。
他のスタッフたちにはバレないよう、僕はさりげなくユノさんを見ている。
ぐいぐいとアピールしたら、きっとユノさんは困ってしまうだろうから。
そういえば、チャンミンさんも同時期にここに入職してきた。
ぼーっとしていて無表情な人で、他のスタッフたちと交わることもなく、いつも独りでいた。
そんなチャンミンさんの態度に構わず、僕は話しかけてるんだけどさ。
無口なチャンミンさんだけど、尋ねたことには答えてくれるし、勉強家で賢い人だと思う。
最近のチャンミンさんは、いつもと違う感じになってきた。
言葉数が多くなってきたし、笑顔を見せるようになった。
ぼんやりしているのは変わらないけど、以前は無心のぼんやりだったのが、最近のぼんやりは、明らかに考え事をしているみたいだ。
今日のチャンミンさんの目付きで、僕は気づいてしまった。
僕とユノさんが油を売ってたところに出くわした時の、チャンミンさんときたら。
これまでチャンミンさんには、職場で特に親しい人はいなかったはず。
だから、腹をたてる対象もいなかったはず。
それなのに、ユノさん相手に苛立った態度を見せたり、無視したりしてさ。
チャンミンさんの僕を見る目には、怒りがこもってた。
チャンミンさんに何か失礼なことしちゃったかな、ってふり返ってみたけど何もない。
先週、「恋わずらいですか?」ときいた時の、チャンミンさんの表情と、今日のエピソードをリンクさせてみて、僕は結論を出しましたよ。
チャンミンさんったら、分かりやすいです。
もしかして、僕が原因?
チャンミンさん、ユノさんのことが好きですね。
・
料理をする間外していたリストバンドを、エプロンのポケットから出した。
(ユノさんに電話をしてみよう)
時刻はまだ21時。
夕飯も済んだ頃で寝るには未だ早い、大丈夫だ。
ナンバーは登録してある。
発信音を7回聞いたところで、呼び出しを終了させた。
これ以上は、しつこい。
サラダを食べ終わった姉ちゃんは、ソファに寝そべってタブレットを見ていた。
ソファの側にも、箱が詰まれている。
「姉ちゃん、週末手伝ってやるからさ、共用スペースのものは一掃しちゃってよ」
「わかったわよ」
散らかったものは全部、姉ちゃんの部屋に押し込んでしまおう。
結局、姉ちゃんの世話をすることになるんだよね、僕は。
~ユノとチャンミン~
「狭い。
チャンミン、もうちょっと奥に詰められないわけ?」
「これが限界だよ。
ユノのお尻が大きいんだって」
「おい!」
ユノは肘でチャンミンの腹をつく。
「座るとユノって僕より背が高いね」
「おい!
胴が長いってか?」
ユノはもっと強く肘で突いた。
「あんた、失礼なことをちょいちょい挟んでくるよなぁ?」
「冗談に決まってるじゃないか!」
「だからこそタチが悪いんだよ!
冗談言わんかった奴の気まぐれ冗談は、本音に聞こえるんだよ!」
「ごめん」
体温を奪っていくだけの水から上がったおかげで、ずいぶんマシにはなったが、濡れた衣服と気温の低さのせいで、身体が凍えそうなのは変わらない。
ユノはつとめて天井に視線を向けている。
(下を向いたらいかん!)
ユノにしてみれば、数十メートル上の断崖にいる気分だった。
タンクの縁をつかむ手は、力を込めすぎて真っ白になっている。
チャンミン相手に文句を垂れて、恐怖心を紛らわせようとしていた。
「チャンミン!
あんたの腕が命綱なんだからな!
絶対に離すなよ!」
「しつこいなぁ」
換気口からいきおいよく噴出していた水も、ちょろちょろと壁を伝うまで減ってきた。
水面には排水口に向かって大きな渦巻きが出来ている。
水かさも、わずかずつ下がってきているようだ。
自分の腰を挟んでいるチャンミンの大腿や、背中に密着した身体も、ユノは意識する余裕がゼロだった。
(寒いし、高いし、サイアクだ!
早く、こんな状況から逃げ出したい!
チャンミンの馬鹿野郎!)
(つづく)
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