<朝帰り>
~ユノ~
さっきまでは真っ赤な顔をして、眉根を寄せて死にそうな顔をしていたくせに、注射一本で快復しちゃって。
チャンミンは、待合室のベンチの間をジグザグに行ったり来たりしている。
髪の毛はボサボサで、シャツはしわくちゃ。
いつもは、ピシッと隙なくきちんとしている彼なのに。
もの思いにふけっているのかチャンミンは、戻ってきた俺に気づかない。
処方薬のプラスティックボトルの入った紙袋がカサカサ音を立てる。
弱ってるチャンミンが、されるがままのチャンミンを可愛らしいと思った。
普段は、無表情で何を考えているかわからない。
職場が同じで部署は違うけど事務所は同じだから、毎日チャンミンとは顔を合わす。
彼の仕事ぶりは真面目で、手を抜かず黙々とこなす、といった感じだ。
俺とチャンミンは、ほぼ同時期に約1年前から公営の植物園に勤めている。
人類発展に伴い、繁茂する植物を封じ込めることが難しくなると、人類は都市とその周辺の木々や草花に至るまで、一掃してしまったのだ。
そのため、地面に雑草すら生えていない世の中になってしまった。
種の保存の理由から、代表的な植物を、調光と空調を管理したドーム型施設に一同に集め、栽培している。
チャンミンは標本樹の栽培、記録、種子の採取までを担当していて、俺は採取された種子の保管と、資料管理を行っている。
人見知りなチャンミンには、植物相手の仕事はぴったりだと思う。
休憩時間にスタッフたちと集まってお茶を飲んで、おしゃべりをしていても、彼はひとり離れたところにいたりする。
彼の性格を知っているから、スタッフの皆は敢えて声はかけずに、いい意味で放っておいている。
チャンミンは、人と目を合わせるのも苦手らしく、会話をしていても、話す相手の口元をみるのがやっとみたい。
業務連絡のやりとりで言葉は交わすが、それ以外だと、言葉数少なく、「あぁ」とか、「うん」とか、無言とか。
でも、彼はただの人嫌いじゃないと、俺は思う。
こぶしを口元にあてて、微笑している時があるから。
休憩中の輪から離れたところにいても、たまには会話を聞いているみたいだ。
チャンミンはただ、積極的に人付き合いをしようとしないだけ。
根暗な奴だと嫌われそうだけど、そうはなっていないのは、チャンミンの端正な容姿のおかげかもしれない。
チャンミンは、俺より少しだけ年下で、体は大きいのにベビーフェイスなところが、ついついちょっかいを出したくなる。
仕事の合間、日光を透かして白く明るいドーム屋根を見上げるチャンミン。
考え事をしているの?
それとも、無心?
地味な作業着さえクールに着こなしてしまう、手足の長い彼の後姿を、何度も見かけたことがある。
さぁ、早くチャンミンのところへ戻らなくちゃ。
白々と夜が明けようとしていた。
まだ外は薄暗いけれど、空のすそはほのかに白い。
ユノとチャンミンは、急患用出入口から外へ出ると、肩を並べて歩き出した。
きりっとした冷気が、まだ微熱のあるチャンミンの頬に気持ちよかった。
ユノはコートのポケットに両手を入れて歩きながら、隣のチャンミンに声をかけた。
「熱とだるさは、ただの風邪だってね」
「うん」
チャンミンのあご先は「ゾクっとしたらいけないから」と再び巻かれたユノのマフラーに埋もれている。
「よかったね」
「うん」
「頭痛によく効く薬をもらえてよかったね」
「うん」
さんざん検査を受けた結果、医師からの説明によると、あっさり異常なしとのことだった。
拍子抜けだったが、チャンミンのバッグの中には、3種類の錠剤が、プラスティックボトルの中で音を立てている。
昨夜の雨でまだ濡れているアスファルト。
シャッターの下ろされた店舗街。
煌々と明るいコンビニエンスストア。
まだ暗いオフィスビルのエントランスホール。
ユノが黙ってしまったので、チャンミンは右、左と交互に蹴りだす自分のスニーカーに視線を落とす。
隣には、ユノの頑丈そうな黒い靴。
細身の黒いパンツ。
(スタイルがいいんだな)
視界の左にちらちらする、鮮やかな赤。
赤いダッフルコートはユノによく似合っていた。
(彼は赤が似合う)
マフラーのないむき出しの首は寒々しくて、ほくろがある。
(髪の長さは僕と同じくらいだ)
短い髪から覗く冷気で赤くなった耳朶に、ピアスが2つ。
(ピアスしてるんだ...)
白い肌と濃い黒髪。
(色白なんだな...)
赤く色づいたぽってりとした下唇。
(柔らかそうだな...)
知らず知らず、チャンミンはユノをじっと観察していた。
(今まで、気づいていなかった。
隣を歩くこの人が。
どんな服を着ているのか?
どんなバッグを持っていて。
どんなヘアスタイルをしていて。
どんな横顔をしているのかなんて...)
・
ひょいっと横を向いたユノと、バチっと目が合ってしまった。
あからさまにビクッとするチャンミンの様子に笑うユノ。
「何だ何だ~?
じろじろと。
ユノさんがあまりにカッコよくて、見惚れちゃった?」
と、ユノは冗談めかしてこう言った。
すると、ユノと視線を合わせたままチャンミンは答える。
「うん」
「は?」
片足を踏み出したままのポーズで、ユノは一時停止してしまった。
チャンミンも立ち止まる。
黒づくめのファッションに、ふわふわしたマフラーを巻いているチャンミン。
乱れた前髪のひと房が、片目にかかっている。
チャンミンの瞳はしんと澄んでいて、まっすぐユノに視点を結んでいる。
笑いもせず、かといって無表情でもないチャンミンの今の顔。
(かあぁぁぁぁ...!)
自分の顔にみるみる血が上って、耳まで赤くなっていくのがユノには分かった。
「?」
チャンミンは口をぽかんと開けて固まっているユノを、不思議そうに見つめる。
「顔が真っ赤だよ。
ユノも風邪?」
~ユノ~
びっくりしたよ。
普通っぽくさらりと言うんだもの。
おそらくあの時のチャンミンには、照れも恥ずかしさもなかったのだろう。
思ったままを素直に口に出しただけだからね。
でも、なんか...感動したかも。
他人に興味をもたなくて、感情がわかりにくいチャンミンが、あんなこと言うなんて、ね。
俺のこと見てた、なんて。
ドキッとしちゃったじゃん。
これっぽっちで動揺する俺は、お子様か?
(つづく)
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