(56)時の糸

 

 

チャンミンの顔は切なげに歪んでいた。

 

ユノの上唇に触れる指は、優しい弾力で押し返されて、熱い吐息で湿り気を帯びてきた。

 

チャンミンの喉がごくりと鳴り、その指を引っ込めてこぶしを握る。

 

熱のせいで目の縁も赤く色づかせて、伏せたまつ毛が扇状に広がっている。

 

(ユノの顔って...綺麗なんだな)

 

美醜に無頓着だったチャンミンが、ユノの外貌が整っていることに初めて気づいた瞬間だった。

 

チャンミンはマットレスに片頬をつけて、ユノの顔の向きに合わせた。

 

寝ぐせだらけのユノの髪を指ですいてやる。

 

数日前、ユノに寝ぐせをからかわれたことを思い出した。

 

チャンミンの指は耳のラインにたどり、ピアスホールの開いた耳たぶを柔くつまんだ。

 

(柔らかい...)

 

数日前、ピアスを付けたユノの耳に触れたことを思い出していた。

 

手の甲で頬を撫ぜた。

 

(熱い...苦しそうだ)

 

ユノの首筋まで滑らすと、手の甲にドクドクいう脈動が感じられた。

 

チャンミンの脈拍も早かった。

 

(ユノに...キスしたい...)

 

下腹部を押えたチャンミンは身体を起こすと、眠るユノを見下ろしていた。

 

(濡らしたタオルで首を冷やしてやったら、少しは楽になるよな)

 

玄関に向かって左のドアが洗面所で、人感センサーで照明がついた。

 

棚にはバスタオルが2枚、タオルが数枚だけ。

 

洗濯洗剤のボトルが1本、持ち上げると軽い。

 

歯ブラシと残り少ない歯磨き粉。

 

チャンミンの口元が緩んだ。

 

(そんなことだろうと思ってたんだ)

 

買い物袋を置いたベッド脇にとって引き返し、目当ての物を持って戻ると、青りんご味の歯磨き粉、シトラスの香りの洗濯洗剤、マゼンタ色の歯ブラシを棚に置いた。

 

(ユノの部屋にマーキングしているみたいだな。

何やってんだ、僕)

 

チャンミンはタオルを1枚取ると、洗面器を探す。

 

洗面台下の戸棚を開け、中を覗き込んだ。

 

(あった!)

 

伏せられた洗面器を手に立ち上がろうとした時、チャンミンの視界をかすめたものがあった。

 

「ひっ...!」

 

勢いよく引っ込めた手から洗面器がカラーンと音を立てて、床に転げ落ちた。

 

洗面台脇に置かれたバスケットの中に、人の足が...くるぶしから下の部分があった。

 

チャンミンはたっぷり1分間、それを凝視していた。

 

唾を飲み込んで、もっと近くで見られるようにバスケット脇にしゃがんだ。

 

(...義足、か。

よく出来ている)

 

皮膚に透けた血管や、肌の赤みのむら感や、薄ピンクの爪。

 

両手でそっと持ち上げた。

 

肌に吸い付くような、柔らかさと弾力も感じられた。

 

(ユノの...。

ユノがいつも、編み上げブーツを履いているのも、これのせいだったのか。

事故か何かかな...?)

 

チャンミンは宝物を扱うかのように、そっと元あった場所に戻した。

 

洗面器を拾い上げると、脱衣所のドアを閉めた。

 

(見てはいけないものを見てしまったのかな。

ユノの「帰れ」に抵抗して居座ってる僕だけど、彼にとって本当に迷惑だったのかもしれない。

僕には人の言葉の真意がはかれない。

無神経なことを、いっぱい口にしていたんだろうな)

 

チャンミンはユノが臥せっているベッドを見つめながら、そう思った。

 

水を張った洗面器に残りの氷を全部あけたものを、ベッドサイドへ運んだ。

 

躊躇していたチャンミンの手が、掛布団に伸びる。

 

めくった布団の下から、ユノのむき出しの脚があらわれた。

 

(ユノ、ごめん...。

僕は今、とても失礼なことをしている)

 

膝の位置で丸まっていた毛布を引っ張って、ユノの左足とくるぶしから先を失った右足をくるんでやった。

 

(あれ...おかしいな)

 

いつの間に浮かんだ涙を、チャンミンは袖で拭う。

 

熱にあえぐユノの姿と、彼が抱える秘密を目にして、チャンミンの胸が締め付けられるように痛んだのだった。

 

(これは...涙?

どうして僕は、泣いているんだ?)

 

拭った後から次々と溢れてくる涙の理由が、チャンミンには分からない。

 

頬をつたう涙はそのままに、チャンミンはベッド脇にひざまずく。

 

キンキンに冷えた水にタオルを浸して、ゆるく絞った。

 

両手で広げたタオルでユノのあごを包むと、ユノからため息が漏れた。

 

「気持ちいい?」

 

うっすらと目を開けたユノの目が、真上から見下ろすチャンミンに驚き、大きく丸くなった。

 

「チャンミン...まだ帰ってなかったの?」

 

「帰って欲しかった?」

 

(チャンミンのバカ。

弱っている姿なんて見せたくなかったのに。

そんなに優しくしないでよ、慣れていなんだから)

 

ユノが首を横に振ったのに満足したチャンミンは、濡れたタオルでユノの耳の下を冷やす。

 

「気持ちいい?」

 

「うん」

 

ユノの手が、タオルに添えられたチャンミンに重ねられた。

 

「チャンミン...ありがとな」

 

「......」

 

(駄目だ...我慢できない)

 

「ユノ...あの...。

こんな時に、駄目だってことは分かってる。

ユノの体調が優れないときに...こんなこと。

でも...」

 

「おい!

こっちは頭が朦朧としてるんだ。

言いたいことがあるなら、はっきり、端的に言え!」

 

チャンミンは深呼吸をする。

 

「...キス、してもいい?」

 

「!!」

 

(キ、キス!?)

 

「...しても、いい?」

 

 

(つづく)

 

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