(61)時の糸

 

 

 

「子供の頃、事故に遭ったんだ」

 

チャンミンの気迫ある眼差しに負けて、ユノは語り始めた。

 

「どんな事故?」

 

「列車事故だよ。

脱線して横倒しになって、炎上して...酷かったよ」

 

「......」

 

「その時に、足をやられたわけ。

命が助かっただけでも幸運だった」

 

「怖かった?」

 

「当ったり前だろうが」

 

「そうだよね、ごめん」

 

「気付かなかっただろ?

最近の義足はよく出来てるんだ。

サンダルとかは無理だけど」

 

「気付いてやれなくて、ごめん。

水に浸かって...冷たかっただろ?」

 

「あんたに気付いてもらおうなんて、これっぽっちも考えてなかったし、ずっと言うつもりもなかったし」

 

「ひどいな」

 

「日常生活で特に困ってることはないし、20年も近く前のことだし、トラウマでどうこうってことはない。

...これで、俺の昔話はおしまい」

 

そう締めくくったユノは、寝返りを打ってチャンミンに背を向けた。

 

「もう寝よう。

おしゃべりするのは、ちとキツイ」

 

背後からチャンミンの手が伸びて、ユノの額に当てられた。

 

「薬が効いてきたのかな。

さっきよりは下がったみたいだね。

もっと冷やした方がいい。

氷を買ってくるよ」

 

チャンミンはベッドを抜け出して立ち上がった。

 

「...チャンミンの方は、頭痛は大丈夫か?」

 

「え?」

 

「大丈夫か?」

 

ユノの質問に、チャンミンはすっかり氷が溶けてしまった洗面器を両手で抱きしめる。

 

「ねぇ、ユノ」

 

「ん?」

 

「タンクの上で、僕が言いかけていたことなんだけど...」

 

「うん」

 

「ひとつは、ユノのことが好きだって言いたかったみたいなんだ。

あの時は、うまく言葉にできなかった」

 

「うん」

 

「もうひとつは...僕の悩み、というか。

僕には相談できる人がいないからね。

ユノしかいないんだ...だから、話してしまうけど」

 

(そうだよ。

そのために、俺はチャンミンの側にいたんだよ)

 

チャンミンが自分に話そうとする内容が、なんとなく予想がついたユノは身を固くする。

 

「ユノが足のことを教えてくれただろ?

子供の頃のこと」

 

「うん」

 

「それから、ユノのことを知りたいって、言っただろ?」

 

「うん」

 

「僕も、自分のことをユノに教えてあげたいんだ。

ユノはどう思っているかは分かんないけど、さ」

 

「......」

 

「思い出せないんだ。

子供の頃だけじゃなく、つい数年前...いや、1年前のことすら思い出せない。

まるで僕には過去がないみたいなんだ」

 

「...うん」

 

「頭が痛いのも、脳に何か腫瘍があるのではと疑った。

でも、検査では異常はないし、処方された薬も調べてみた限りでは特別なものじゃなかった。

何かを思い出そうとすると、ひどい頭痛に襲われるのは事実で...」

 

「そうか...」

 

「もっと詳しい検査をすれば原因はわかるかもしれない。

多分、僕の頭は何かしら問題を抱えているのは、確かなんだ。

ねえ、ユノ。

笑わないでくれよ。

...僕は少しずつ忘れていっているんだと思う」

 

「チャンミン!」

 

ユノはがばっと起き上がり、瞬間ぐらりとふらついて駆け寄るチャンミンに支えられた。

 

「寝てなくちゃ、駄目だよ」

 

「忘れていっているなんて、そんなんじゃないって」

 

「どうしてユノに分かるんだよ?

僕が鮮明に覚えていることといえば、ついこの間以降なんだ。

ユノと話をするようになってからのことだよ。

あとはうすぼんやりとしている。

思い出そうとすると、ずきずきと頭痛がする。

だから、思い出すことは避けているんだ。

おかしいだろ?」

 

「そっか...。

それは辛いね」

 

ユノはチャンミンの頭をくしゃくしゃと撫ぜたが、チャンミンは「子供扱いするな」とユノの手を払いのけなかった。

 

「検査で異常なしなら、急を要するような事態にはなっていないって。

精神的なものかもしれないし、な?」

 

ユノの肩に額をあずけたチャンミンの頭を、ユノは撫ぜ続けた。

 

「よしよし。

俺も調べてみるから。

あまり思い煩うなよ。

しばらく様子をみようよ。

俺に話してくれて、ありがとうな」

 

ユノはじっとしているチャンミンを覗き込む。

 

「もう寝ようではないか?

遭難しかけたからな、俺たちは」

 

ユノはベッドに横たわり、腰掛けたままのチャンミンの手を引っ張った。

 

「チャンミンも、ねんねしなさい」

 

「子供扱いするな」

 

「俺のおっぱいを触っていいからさ」

 

「!」

 

チャンミンの視線が瞬時に、ユノの胸元に移る。

 

「冗談に決まってるだろうが?

俺のどこにおっぱいがあるんだよ?」

 

「僕をからかうな」

 

と不貞腐れながらも、チャンミンはユノの隣にもぐり込む。

 

「知ってるか?」

 

「何を?」

 

「俺たちは、『恋人同士』なんだぞ?」

 

「!」

 

(やっぱり、無自覚だった)

 

「『俺はあなたが好き』『僕もあなたが好き』...で終わりなのか?

それでいいのか?」

 

「......」

 

「恋人同士なら、互いの想いや体験を共有し合っていくものなんだ。

昔のことを思い出せなくたっていいじゃないか。

これから思い出を作っていけばいいじゃん。

あれ、俺ってばクサいこと言ってるな、ははは」

 

「そっか!」

 

「それにさ、俺らは『恋人同士』になったんだから、一緒の布団で寝るものなの」

 

「うっ...」

 

「今夜の俺は、具合が悪すぎるから、アレは出来ん」

 

「うっ...」

 

(一応、知識としては知っていたか...。

どうしてもチャンミンをからかってしまう)

 

「おっぱい触るくらいなら、いいけどな。

ぺたんこだけどな!」

 

「ユノ!」

 

「ごめんごめん。

じゃあ、手を繋ごうか?」

 

「うん」

 

間もなくチャンミンのまぶたは閉じたままになった。

 

(やれやれ。

看病する側が先に寝てどうするんだよ)

 

ベッドサイドに置かれた冷却シートを貼りかえながら、ユノは熱い息を吐いた。

 

(こういうとこが、チャンミンらしいと言えるんだろうね)

 

 

(第1章終わり)

 

 

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