(62)時の糸

 

 

「チャンミンさんは初めてでしたよね?」

 

小型フォークリフトをリモコンで操作しながら、カイは背後で作業をするチャンミンを振り返った。

 

「ああ。

僕はここに来て、1年経ったばかりだから」

 

外は真冬の風が吹きすさぶのに、ドームの中は温められた空気でジャケットなしでも平気だった。

 

(1年前のことすら僕はほとんど覚えていない。

『心配するな』とユノは言うけれど、

色鮮やかに記憶している今を思うと、それ以前の僕は濃い霧の中で彷徨っていたかのようで...。

このギャップに怖くなる)

 

「ビニールを剥いでください」

 

カイから手渡されたカッターナイフでシートを切り裂くと、圧縮されていた枯れ葉が飛び出した。

 

植物園ではあるイベント開催のため、この1週間浮ついた空気が流れていた。

 

年に一度の恒例イベント『落ち葉焚き』だ。

 

火気厳禁のドームだったがこの日だけは特別で、防火対策を万全にした上で焚火をするのだ。

 

スタッフの家族や友人も招待して、焚火料理を振舞って飲み食いを楽しむ。

 

炎を見る機会が皆無の世の中だから、赤い炎、ものが焼ける音、灰色の煙...。

 

燃焼する様を眺められるこのイベントを、皆心待ちにしている。

 

日頃のメンテナンスで大量に出る枯れ葉や枯れ枝の処分は専門業者に任せているが、『落ち葉焚き』イベントのために一部はよけておく。

 

チャンミンとカイは、ドーム中央辺りの収穫を終えた畑に落ち葉の山を作る役目だった。

 

チャンミンは知らず知らずのうちに、ユノを目で追っていた。

 

「チャンミンさん、何か楽しいことでもあったんですか?」

 

「えっ!?」

 

カイはフォークの持つ手に顎を預けて、動揺するチャンミンを面白そうに見ている。

 

「さっきから心ここにあらず、って感じです」

 

「そうかな...」

 

カイの指摘が図星だったチャンミンは、くるりと背中を向けて作業に没頭するふりをした。

 

(最近のチャンミンさんは、全くもって変ですよ)

 

先ほどのチャンミンの視線の先...回廊をMと並んで歩くユノの姿を認めたカイは、おや、と眉を上げた。

 

 

 

 

『あの夜』の翌日。

 

熱の下がらないユノを案じたチャンミンは、「医者なんぞ絶対に行かん!」と駄々をこねるユノを無理やり、文字通り引きずるようにして病院に連れて行った。

 

診察室から出てきたユノの不貞腐れた顔を見て、連絡もせず仕事をサボっていたことにチャンミンははじめて気付いた。

 

この1年間、何の疑いも抱かずオートマチックに自宅と職場を往復していたチャンミンだったから、この日の自分の行動に愕然とした。

 

(前日の「好き」とか「キス」とか、「好き」とか「キス」とか...。

僕の頭はこのことでいっぱいだ)

 

タクシーの後部座席に並んで座るユノのくしゃくしゃ髪の後頭部。

 

チャンミンは片腕を伸ばしてユノの肩にかけると、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。

 

ユノの頭がことんと肩に落ちた。

 

視線を落とすとチャンミンのとっさの行動に目を丸くしたユノと目が合った。

 

熱のせいで目尻の縁が赤く、ユノの黒い瞳はやっぱり熱のせいでうるんでいた。

 

蛍光灯が一つだけだったボイラー室や、間接照明だけのユノの部屋ではぼんやりとしていた。

 

こうして昼間の陽光の元で見るユノ。

 

(これまでの僕は、彼のどこを見ていたのだろう?

「視界に入っていたのに、見ようとしていなかった」自分にあらためて気づかされた)

 

「ちゃんと寝てろよ」

 

ユノがベッドに横になったのを確認してから、チャンミンは出勤していった。

 

仕事を終えると真っ先にユノの部屋へ戻る。

 

食料品や日用品を買い込んだ袋を抱えて。

 

ベッドを抜け出してタブレットを操作しているユノに、チャンミンはユノを怒鳴りつけてしまった。

 

「駄目じゃないか!」

 

大きな声を出すチャンミンに、ユノは「うるさいなぁ」ってわざとらしく両耳を押さえてベッドに戻る。

 

「なんだか調子が狂うなぁ...」

 

買ってきたものを冷蔵庫にしまうチャンミンの背中を、片肘をついて眺めていたユノはつぶやいた。

 

「え?」

 

「チャンミンに世話をされるなんて......ムカつく」

 

「ムカつく、ってどういう意味だよ!?」

 

「世話をするのは俺の方、って感じだったから」

 

「なんだよ、それ」

 

レンジで温めたスープを手に、チャンミンはユノの枕元に座った。

 

「チャンミンのくせに生意気だ、って意味じゃないからな。

うーん...なんていうのかなぁ...うん、そうだ!

こんな風に優しくされることに慣れていないんだな、きっと」

 

ユノの言葉に、チャンミンは考え込んでしまった。

 

自分の行為のどこが「優しい」ことなのか、判断基準が分からなかったからだ。

 

(僕はしたいと思ったことをしているだけなんだけど...。

もし、的外れなことをしちゃって迷惑をかけているんだとしたら、どうしようか)

 

「ありがとうな」

 

そう言って、ユノの視線はカップを持つチャンミンの手に落とされる。

 

(まじまじとチャンミンの手をみるのは初めてかも。

神経質そうな指先が、チャンミンらしい)

 

視線を袖口に転じると、毛玉ひとつない黒のニットから覗かせたシャツが真っ白で「チャンミンらしい」と思った。

 

「ありがとうって、お礼を言われるようなことしたっけ?」

 

「いっぱいしてもらったよ。

挙げだしたらキリがないけどな、はははっ」

 

(チャンミンの言うこと、することは全部、見返りを求めていない純粋な気持ちからきていることは分かっているよ。

根が優しいんだ。

感動するよぉ...)

 

チャンミンは湯気がたつカップの中身を、スプーンですくってふうふう息を吹きかけた。

 

「口開けて」

 

口元に突き出されたスプーンにムッとしたユノは、チャンミンを睨みつける。

 

「子供扱いするな!

汁なんぞ、一人で飲める!」

 

「病人の看病は、こうやるものなんだって。

ほら、口を開けて」

 

「ったく」

 

よく冷ましたコンソメスープを大きく開けたユノの口に、ゆっくりと流し込んだ。

 

スプーンに触れる柔らかそうなユノの唇に、チャンミンの喉はごくりと鳴る。

 

気付けばチャンミンは、斜めに傾けた顔を寄せユノの唇を塞いでいた。

 

「チャ...」

 

スプーンがチャンミンの手からこぼれ落ちて、床に転がった。

 

「待て...」

 

ユノは口づけたままチャンミンの手からカップを取り上げると、手探りでサイドテーブルに置いた。

 

チャンミンは、両手でユノの頬をすっぽりと包んでキスに夢中になっている。

 

(おいおい)

 

間近に迫るチャンミンの閉じたまぶたとまつ毛を観察してしまうユノ。

 

(病人相手に...何するんだ!)

 

とまどうユノの唇をこじ開けて、チャンミンの舌が侵入してきた。

 

「んっ」

 

(この坊やは...なかなかどうして...。

 

積極的で...強引で... 。

 

ん?

 

ん?

 

おいおいおいおい。

 

どこでこんなキス覚えたんだよ!

 

上手すぎるだろ!)

 

 

(つづく)

 

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