(63)時の糸

 

 

 

頭の芯が痺れそうになったユノは、ぐいぐい攻めてくるチャンミンの舌を押し戻す。

 

(待て待て...これ以上は...)

 

チャンミンは体重をかけると、ユノを仰向けに押し倒した。

 

「待てったら!」

 

ユノはチャンミンの両頬を挟んで引き離した。

 

「病人を押し倒してどうすんだよ?」

 

「あ...!」

 

「ちゃんと寝てろって言うけどさ、『寝る』の意味が違うんじゃないかね?」

 

「......」

 

片手で口を覆うと、チャンミンの顔が真っ赤になった。

 

「ごめん...そういうつもりじゃ...」

 

「そういうつもり満々じゃないかよ?」

 

「いや...その...僕はそういうつもりは全然なくて...」

 

「俺を『押し倒す』とは!」

 

「いやっ...それは...!」

 

(これ以上責めたら、チャンミンが可哀想だ)

 

ユノはしどろもどろのチャンミンを睨みつけていたが、きっぱり言い放つ。

 

「もう帰れ」

 

「え!?」

 

きょとんとしているチャンミンに、ユノは目を見開く。

 

「...え?

今夜も泊まっていくつもりだったわけ!?」

 

「え...そのつもりだったんだけど...?」

 

(やっぱり)

 

「あかんあかん!」

 

「どうして?」

 

「俺はもう、一人で大丈夫だから。

看病は十分だ、お腹いっぱい、ありがとな。

ってことで...帰れ」

 

「いや...でも、ユノをお風呂に入れないと...。

髪の毛べたべただろ?」

 

「嘘っ!?

臭い?」

 

ユノはくんくんと自分を嗅ぐ。

 

(待て...。

風呂に入れる...だと!?)

 

「チャンミン!

あんた、俺を裸にしたいのか?」

 

「!!」

 

「俺の見事なボディを見たら、おさまりがつかなくなるだろ?

いいのか?

ヌードは近いうちに見せてやるから。

今夜は早くお帰り。

子供の寝る時間だよ?」

 

壁にかけた時計を指さす。

 

「!」

 

「...おやすみ」

 

耳まで真っ赤にしたチャンミンが玄関ドアの向こうに消えて、ユノは大きく息を吐いた。

 

(キャラクターが安定していないせいか、こっちの方が振り回されてるよ、全く)

 

 

翌日、事務所で顔を合わせた二人は、滑稽なほどぎょっとし合った。

 

「お!

チャンミン君、顔を赤くして初々しいのぅ」

 

照れ臭くて仕方がないユノは誤魔化すようにバシっと、チャンミンの背中を叩く。

 

「違っ!

寒いところから暖かい部屋に入ったから...それで顔が赤くなって...」

 

もごもごと言い訳をするチャンミン。

 

「着がえなくちゃ!」

 

両耳を赤くして、ロッカールームへ早歩きで向かうチャンミンの後ろ姿をユノは見送った。

 

(俺はこの背中にくっついて寝ていたんだな...。

 

何なのこのトキメキは...恋だねぇ)

 

 


 

 

「...報告書にある通り、被験者186番は順応度が高まってきていると思われます」

 

60代の白衣の男性の前で、ユノは直立不動になってそう報告を終えた。

 

その男性は手元のディスプレイを睨んだまま、たっぷり1分近くも無言でいた。

 

「Q所長?」

 

ユノに声をかけられ、はっとしたようにQ所長は顔を上げると口元を緩め、

 

「失礼。

予想以上に早くて驚いていたんだ」

 

「やはり、相性がよかったからでしょうね」

 

この部屋には、ユノを含め十数人の男女がひとつのテーブルを囲んでいた。

 

同じテーブルについた白衣の40代男性が

「あの時の高熱は、順応しかけた兆しだったのでしょうね。

頭痛、発熱、痙攣、一時的な意識混濁...過去の事例も多くは、体調の急変です」

と言った。

 

大型ディスプレイに顔写真を幾枚も並べて見せる。

 

「ユノ君があの場に居合わせて、M大学病院に運んでくれたおかげだ」

 

白衣の40代男性...チャンミンを急患で診た医師は、立ったままのユノに座るよう促した。

 

「半年前から、頭痛に悩まされていました。

彼の場合、他人への無関心さが特に目立っていましたので、受診のきっかけ作りに苦慮していたのです」

 

「186番については、しばらくの間順応の具合を観察しよう。

稀に見るペースですから、慎重に進めないと」

 

「しばらく、とは、どれくらいの間でしょうか?」

 

ユノはおずおずと尋ねる。

 

「彼の場合はまるで読めない」

 

「怖いのは感情の暴走ですね。

彼は薬の服用は続けているようですか?」

 

「はい」

 

チャンミンの自宅で、さりげなく確認した薬のボトルの中身が減っていたことを思い浮かべながら返事をした。

 

(ごめん、チャンミン。

あんたが服んでる薬は、ただの頭痛薬じゃないんだよ。

処方箋も薬のラベルも全部デタラメなんだよ)

 

「ユノ君はこれからも彼の観察を続けるように。

慎重を要する時期にさしかかっているから、より注意深く。

君からの報告をもとに、ここへ戻すタイミングを判断する」

 

「はい」

 

「それでは、次の被験者についての報告は?」

 

 

(よかった...。

 

これでもうしばらくチャンミンの側にいられる。

 

でも、お役目御免になったら、次の任務では遠方に行かなければならなくなるかもしれない。

 

この仕事を続けている限り転勤族だし、被験者にべったりと張り付くことになるから、誰かと交際するのは難しい。

 

かつての被験者と結婚したSは賢い。

 

以前担当していた被験者はほんの子供だったから、恋に落ちることはなかった。

 

恋愛感情は心を呼び覚ましやすい理由から、大抵は異性を担当する)

 

地下奥深くから高速で上昇するエレベーターで、ユノはため息をついた。

 

地上に戻ったユノは、エントランスホールに飾られた巨大な絵画を見上げる。

 

額に角を生やした白い馬に跨るのは、長い黒髪をたなびかせた目鼻立ちのくっきりとした女性。

 

左下の隅に『Changmin』とサインがある。

 

これを目にするたび、ユノの胸はしくしくと痛むのだった。

 

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”23″ ]