(68)時の糸

 

 

「ユノさん!」

 

カイはぴたぴたとユノの頬を叩いてみる。

 

かすかに顔をしかめたから、意識はあるようだった。

 

(震えている...)

 

宴もたけなわなメンバーたちは、ここの様子に気付いていない。

 

「ユノ...!」

 

会場に戻る途中だったMが、カイとユノの元へ駆け寄ってきた。

 

「やだ!

ユノ...どうしよう!」

 

ユノの肩を揺すったり、額に手を当てたり、下まぶたを押し開いてみたりするMに、

 

「事務所に連れて行きましょう。

ここは暗いですし」

 

カイはユノの膝裏に腕を回すと抱き上げた。

 

(ユノさんは...きっと、火が怖かったんだ。

しまったな...。

僕が火の側に連れて行ったりなんかしたから...)

 

おろおろするMを後ろに従えて、カイは軽々抱き上げたユノを事務所まで運ぶ。

 

事務所は暖房がよく効いており、温かくて静かだ。

 

ソファにユノを横たえると、カイは傍らに片膝をついて座った。

 

「ユノさん。

もう大丈夫ですよ」

 

 


 

 

~チャンミン~

 

「あの...すみません。

人違いをしているのではないでしょうか?」

 

この知らない女の人は、僕の胸に顔を押しつけて、背中に腕を回してしがみついている。

 

肩を抱くことも、無理やり引きはがすこともできずに、僕の両手はさっきから宙を上下している。

 

僕の顎のあたりに頭のてっぺんがきているから、女の人にしては背が高い方だろうか。

 

困ったなぁ...この人はもの凄い勘違いをしている。

 

全然知らない人だし、僕の名前は『マックス』じゃないし...。

 

この人が言う『マックス』という人物は、きっと僕に似た人なんだろう。

 

待てよ...。

 

僕の名前はどうして、チャンミンなんだろう?

 

どうして『チャンミン』は僕自身なんだと、認識しているのだろう?

 

ぐらりと視界が揺れた。

 

ダメだ。

 

自分探しは禁物だ。

 

ぶるっと頭を振って、遠のきそうな意識を取り戻した。

 

そして、僕の胸にしがみついたままの見知らぬ女の人を見下ろした。

 

物理的な接触には慣れていないし、苦手だ。

 

ただし、ユノだけは別。

 

本当は突き放したかったけれど、まさかそんなことは出来ない。

 

だから僕は彼女の両肩をつかんで、僕の胸からゆっくりとひきはがした。

 

「あっ...」

 

びっくりした。

 

彼女は泣いていて、僕の行動が不満だったのか眉をひそめていた。

 

あらためて彼女の顔を見た。

 

大きな眼。

 

化粧が濃いせいで、年齢がわかりにくいが、多分20代後半か30代。

 

女性の年齢なんて見当がつかないけど、ユノを基準にして推測してみた。

 

知らない人だ、と判断していたけど、どこかで見たことがある、と思った。

 

その発見に、僕は怖くなった。

 

僕が覚えていないだけで、この人とどこかで出会っていたのかもしれない。

 

僕は目をつむって、その記憶の欠片を探してみるが、見つからない。

 

「マックス...。

今までどうしてたの?」

 

「えっ!?」

 

「5年も行方をくらますなんて...。

私、あなたに何かあったんじゃないかって、ずっと...ずっと」

 

彼女はまた泣き始めた。

 

困ったな...。

 

彼女は僕の腕をぎゅっと握っている。

 

そこの部分だけ、彼女の体温で熱を帯びたみたいになって、僕の腕の筋肉がぴくぴくと痙攣している。

 

これ以上、彼女に触られたくない、と思った。

 

「どうしてたも何も...僕は『マックス』ではありません」

 

彼女は僕を見上げて、きっと睨みつけた。

 

「とぼけないでよ。

私がどんな想いをしていたのか...」

 

そんなこと...知らないよ。

 

「どなたかと間違えていませんか?

僕は、『マックス』ではありません。

僕の名前は...」

 

言いかけた僕の言葉に、鋭い彼女の声が覆い重なる。

 

「私たちのこと、何もなかったことにしたいんでしょ!?」

 

彼女はつかんだ僕の腕を揺するから、ニットが伸びてしまう、と顔をしかめた。

 

「だから!

僕は、『マックス』じゃありません!」

 

荒げた僕の声に、彼女はハッとしたように僕の腕から手を離し、僕は心底ほっとした。

 

しわくちゃになったニットの袖を撫でつけていると、彼女は僕から一歩下がってまじまじと僕を観察し始めた。

 

「本当に『マックス』じゃないの?

私のこと...覚えてない?」

 

「全然」

 

僕は彼女とまっすぐ視線を合わせて、ゆっくり首を振った。

 

目鼻立ちのくっきりとしていて、美人の部類に入るんじゃないかな...多分。

 

どこかで見たことがあるような気がしたけど、女の人はみんな似たり寄ったりの顔に見えるから、さっきの考えは恐らく勘違いだろう。

 

「じゃあ、僕は行かなくっちゃ」

 

「あっ...!」

 

僕は彼女の腕を振り切って、エントランスホールを後にした。

 

 

(つづく)

 

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