(痛いだろけど堪忍な)
ユノはチャンミンの頬を、ちょっと痛いかな、と心配するくらい強めに張った。
「う...ん...」
まぶたが震える。
(やった...!)
「チャンミン!」
「ん...」
「おネンネする時間はまだ早いぞ!
起きろ!」
ぱちり、とまぶたが開く。
チャンミンは、まばたきを繰り返す。
しばらく視線を彷徨わせていたが、ユノの腕の中の頭を持ち上げると...。
「あ...れ?
ユノ?」
と、うつろな眼でユノを見上げた。
「ど...したの?」
「......」
天井の照明がまぶしいのか、目を細めた。
「まぶし...」
「ど...ど...ど...。
『どうした?』じゃねーよ!!」
きょとんとしたチャンミンの様子に、パニック状態だったユノの緊張は解け、代わりに怒りが湧いてきた。
「馬鹿たれ!!!
どんだけ心配したと思ってんだ!?」
「あ...れ?
僕...」
チャンミンは半身を起こして、周囲を見渡し、倒れた拍子に打った頭をさする。
状況把握に時間がかかっているようだ。
「チャンミンの馬鹿やろう!!」
「...ユノ?」
ユノの顔がくしゃくしゃにゆがみ始めた。
「心配したんだよ?
てっきりかくれんぼしてるかと思ってて...。
っく...。
そしたら、床に転がってるじゃん。
つまづいじゃったよ。
...っく。
死んじゃったんかと思ったんだぞ?」
「...ユノ」
「うわーん」
ユノが天井を仰いで泣き出した。
「ユノ...」
チャンミンは、大泣きするユノをどうすればいいか分からず、数秒ほど見つめていたが、
「泣かないで。
ユノ...」
チャンミンは腕を伸ばすと、ユノの頭を引き寄せた。
「ユノ?」
「うわーん」
チャンミンの胸を、ユノの涙が濡らす。
(こんなシチュエーション、前にもあったな。
僕が風邪をひいて仕事を休んだ日の夜だ。
僕を心配して「不法侵入」してきたユノが、今みたいに泣いていた)
チャンミンはユノの髪を撫ぜる。
背中にまわされたユノの腕に力がこもる。
(あの時の僕はどうしたらいいか分からなくて、戸惑ってた)
手の平の下のユノの頭が小さくて、ショートヘアの黒髪が柔らかくて、チャンミンの心に温かいものが灯る。
(ユノが僕を頼ってくれている)
チャンミンはユノの髪を撫ぜる。
泣いているせいで、手の平に伝わるユノの体温が高かった。
「心配かけて...ごめんな?」
「ふう...」
ひとしきり泣いたユノは、むくりと顔を起こした。
(よかった...泣き止んだ)
チャンミンはほっと息を吐く。
「...チャンミン」
「ん?」
「あんたさ...服を着なって」
「わあ!!!」
「裸になるのは、もうちょっと後にしな」
「......」
「まずは酒でも飲もうか」
~ユノ~
「...体調は...もう平気なのか?」とチャンミンは訊ねてきた。
「ん?」
「ほら、具合が悪そうだったから...事務所で...」
俺は口いっぱいに頬張ったスナック菓子をビールで流し込み、「ああ!あれね」と答えた。
他人への関心が低い「あの」チャンミンが、人の不調を察するとは成長したものだ、と感心していた。
焚火の炎を見てフラッシュバックに襲われた。
意識が遠のきぶっ倒れてしまったとは、チャンミンを心配させてしまうから言えない。
加えて、「どうして火が怖い?」の質問に答えられないから言えない。
俺の右足...くるぶしから下の義足の理由...子供の頃に遭った事故のことについては、先日チャンミンに説明した。
具体的な説明は、今のチャンミンには出来ない。
今夜、心配していたのは俺の方だった。
めらめらと揺れる炎にチャンミンが恐怖するのを想定して、Sに来てもらった。
それとなく注意を払っていたのに、呑気に飯を食べる姿に安心した。
この男...意外に神経が太い奴なのかもしれない。
俺の方がダウンするなんて!
「気分が悪かっただけ。
復活したよ。
じゃなきゃ今、バクバク食べてないだろう?」
「確かに...。
丸一日餌をもらえていなかった犬みたい」
「おい!」
ポップコーンをチャンミンに投げつけた。
俺を皮肉る言葉がレベルアップしてきてるのが、小憎たらしい。
「はははっ。
どう?
もう1本飲む?
取って来るよ」
額に当たって落ちたポップコーンを口に放り込むと、チャンミンは立ちあがった。
「いや、もういらない。
そんなことより...」
俺はチャンミンのスウェットパンツの裾を引っ張り、座るように促した。
「あんたの方こそもう大丈夫なわけ?
ぶっ倒れてたじゃん」
ごろりと横たわったチャンミンの姿を思い出すと、今でもぞっとする。
YKさんの登場やら、その時はなんともなくても炎のショックは大きくて、時間差でガツンときたんだ。
負荷がかかり過ぎて、頭のネジが吹っ飛んでしまったのでは?と。
「う...ん。
前も話したけど、頭の中がぐらぐらするんだ。
ぐらぐら、というか、ぐちゃぐちゃになるんだ」
そうだろうね、と心の中で相槌を打つ。
「僕の頭は問題だらけだ。
覚えていない。
まるで僕には過去がなかったみたいに。
忘れていってるんだと思う。
そこに、YKさんとかいう女の人が出てきて...僕のことを知っているって」
チャンミンはここで言葉を切った。
「ねぇ、ユノ」
そして胡坐を崩すと、身を乗り出してきた。
「本当に僕は知らないんだ、あんな人。
僕に抱きついてくるし...触って欲しくないのに...!」
四つん這いで俺の正面に近づいたチャンミンは、俺の肩に手を置いた。
「僕が覚えていないだけで、あの女の人と何かがあったってことだろう?
だって、泣いてた。
僕のことを『マックス』だって言い張っていた。
...僕とそっくりな人、といえば、『双子』しか思いつかない。
でも、僕には『双子』の兄弟っていたっけ?って。
そこで気付いたんだ」
チャンミンの苦し気にゆがんだ顔。
「ぞっとした。
僕は...僕の家族。
...分からないんだ。
父も母も、妹や兄がいるのかどうかも...思いつかないんだ」
苦しむチャンミンを前に、俺の呼吸も苦しくなった。
「...そうか」
俺はチャンミンのうなじを引き寄せて、小刻みに震える背中をさする。
「僕は...誰、なんだ?
忘れているだけなのかな?
...非現実的な考えも思いついた。
ある日突然、ぽんとこの世に送りだされた人間なのかな、って。
ほら、クローン人間ってあるだろ?」
むすりと無表情の下で、賢いチャンミンの頭は不安を増幅させ、ありとあらゆる可能性を思考していたのだろう。
「...クローン...じゃないよ」
苦しむチャンミンの為に、わずかな救いにしかならないだろうけど、真実のひとつだけを差し出してやった。
(つづく)
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