~チャンミン16歳~
要点に触れない、上っ面をかするだけの会話。
それでいいんだ、僕と義兄さんには会話は必要ない。
意味深だった『身体を大事にしろ』の言葉以来、義兄さんは何ら深く追求してこなかった。
僕も頓着していないふりをしていた。
義兄さんが何に気付き、どう誤解したんだろうって、不安でいっぱいだったけれど、義兄さんの態度は今まで通りだったから。
僕にとっての初めては義兄さんなんだ。
義兄さんの為に、あれらの時はずっと心を閉じていたから、義兄さんは心配しなくていいんだからね。
でも、そんなこと...急に語りだしたら言い訳に聞こえてしまう。
黙っているのが、一番いいんだ。
週に一度、アトリエを訪れてモデルを務め、毎回じゃないけれど義兄さんに抱かれて、次の週末を心待ちにする。
それだけで僕は、幸せだった。
淡々と繰り返される僕らの関係に、普通は退屈と嫌気を感じて、変化を求めるものなんだろうけれどね。
僕らの関係で変化を求めたら、きっと壊れてしまう。
もっともっと欲張りになって、義兄さんを欲しくなる。
義兄さんを僕だけのものにしたくなった時、次は彼が僕から離れていってしまうのを恐れるようになる。
僕だって夢見たよ。
義兄さんが姉さんと別れれば、僕と大っぴらに会えるようになる。
でも、義兄さんがそんなリスクを負わなくても、僕らは義兄弟。
もともと、2人でいることを隠す必要がないんだ。
義兄さんの車の助手席に座っていても、一緒にどこかへ出掛けても、アトリエに入り浸っていても、家を訪ねていっても、何を疑うと言うんだ?
このままでいいじゃないか。
男同士でよかった、と思った。
それじゃあ、義兄さんが姉さんと別れたらどうなる?
義兄弟じゃなくなった僕と義兄さんは、他人同士になる。
義兄さんと交際したくて近づく女の人...男の人も...は沢山いるはずだ。
姉さんの夫でいる限り、妻の弟である僕をそう簡単には捨てられないでしょう?
だから、今のままが一番、いいんだ。
・
画材を変更して新たに描き始めた作品制作も順調そうだった。
あの男娼の絵はまだ制作過程だったのに、義兄さんがどこかに仕舞ってしまったらしく、ずっと目にしていない。
あのまま、描きかけのままにしておくのかな。
僕はデニムパンツ姿でスツールに腰をひっかけ、イーゼルの前でポーズをとっていた。
義兄さんに横顔を見せながら、彼と目を合わせられないのが残念だった。
モデルを務め始めた頃は、恥ずかしくて義兄さんの顔をまともに見られなかった。
今の僕は、義兄さんを真っ直ぐ見つめることができる。
・
僕らはオフィスのソファで抱きあったばかりで、離れたがたくて義兄さんの胴に腕を巻きつけていた。
「会期は1週間ずつの2か所なんだけどね、設営が大変なんだ。
それぞれにパーティも行われるから、ビシッとしていないとね」
義兄さんの仕事内容になんて興味がなかった僕は、彼と3週間も会えないのが寂しい寂しいと、そればかり繰り返していた。
デザインの仕事が忙しくて、絵を描く時間をなかなか確保できないことをぼやいていた。
加えて、全国2か所で開催されるアート展(新進気鋭のアーティスト5人のひとりに、義兄さんが選ばれたんだ)に同行するため、3週間ここを留守にする。
「...姉さんも一緒に行くんですか?」
意地悪な質問を口にしてから、僕は義兄さんの乳首をちゅっと吸った。
義兄さんは「んん...」と呻き、ちゅうちゅうとしつこく吸い続ける僕の頬を挟んで引き離した。
「赤ん坊みたいなこと、やめろ。
後半のパーティには参加するって言ってたけど...。
旅行がてら、ふらっと顔を出すかもしれないな」
「ふぅん...」
頬を膨らませて、不機嫌な拗ねた顔を作る。
義兄さんといるうちに、こんな幼稚な表情を見せられるようになった。
「...ごめんな、しばらく会えなくて」
義兄さんの大きな手、長く繊細な指が僕の髪を優しく梳いてくれて、とても気持ちがいい。
僕は義兄さんの胸から顔を起こし、彼を見上げる。
「僕も遊びに行こうかな...」
義兄さんの眼に一瞬、困惑の色が浮かんだことに、傷ついた。
「週末に遊びに行こうかな...。
義兄さんと同じホテルに泊まって...」
冗談っぽく言ってみたけれど、真剣みを帯びていたことに義兄さんは気づいたみたいだ。
ちゃんとしたベッドで...ソファの上なんかじゃなく...義兄さんと思いっきり深く深く繋がりたい。
昼間のアトリエで、ソファで慌ただしいセックスをして、まどろむ時間もない。
ひと晩中一緒にいられたら...素敵だろうなぁ。
「...駄目ですか?」
「...いいよ」
「えっ!?」
許してもらえるとは思っていなかったから、僕は驚いた。
「でも、オフの日はないし、夜7時までは会場にいないといけないから、会える時間は限られてるぞ?」
「いいんですか!?」
「ああ。
でも...Xさんもいるけど...いいのか?
あの人のこと、嫌いなんだろう?」
「...Xさんも...どうして?」
「展示予定の作品の数点は...他のアーティストのも、俺のも...彼が所有しているものなんだ。
イベントのスポンサーのひとりだしね。
Mちゃんの絵も、彼からのオーダー品なんだよ」
僕は迷った。
「構いません。
僕のことを気持ち悪い目で見るから、苦手なだけです。
...じゃあ、会場には近づかないようにしてます」
X氏からの誘いを巧みに避けていた。
隠し撮りしたものをばら撒かれたらどうしよう、それが義兄さんの目にとまるようなことがあったらどうしよう、と恐れていた。
でも、そんなことは今のところなくて、きっと動揺する僕を見たかっただけだったんだろう。
「そうした方がいいね」
「ホテルで義兄さんを待ってます。
『愛人』みたいに、待ってます」
「チャンミン...」
義兄さんの眉はひそめられ、その眼は哀し気に潤んでいた。
僕はもっと、義兄さんに意地悪したくなった。
ホテルのベッドを想像してみたら急に、僕らのセックスは義兄さんのアトリエ内に限られていることが悲しくなってきたのだ。
「僕らの関係って...何でしょう?」
今までしたことのない質問。
義兄さんを困らせる質問。
「...そうだな...」
義兄さんは撫ぜていた僕の頭から手を放し、仰向けになると天井を見上げた。
「チャンミンとこういう関係になった時から、ずっと考えていた。
俺とチャンミンは、一体何なんだ?って。
『恋人』か?」
『恋人』の言葉に、僕の胸は熱いものでいっぱいになる。
でも、義兄さんは『恋人』だと言いきっていなかった、疑問形だった。
「ぴったりの言葉がありますよ。
それは...『セフレ』です」
「...チャンミン」
「僕は義兄さんの『セフレ』なんです」
「...確かにその通りだな」
自分で煽ったくせに、義兄さんの口からそう認められると、僕の心臓がナイフで刺されたみたいに痛んだ。
「義兄さんが惹かれているのは、僕の顔と身体でしょう?
会う度、僕らはヤラずにはいられない。
セフレそのものじゃないですか?」
『セフレ』なんて言葉、適当に聞きかじった程度の知識で、高校生が口にするものじゃない。
義兄さんが好きなのに、義兄さんを傷つけたかった。
僕のことで胸を痛めて欲しい。
困った顔をして欲しい。
初めて義兄さんを目にした時、階段ホールから見下ろした僕の心中に湧きおこった欲求を思い出した。
『義兄さんの美しい顔を、苦痛や悲痛で歪ませたい』
「単なる性欲のはけ口なんですよ。
僕という存在は!」
「チャンミン...!」
僕の顎は義兄さんにつかまれた。
「ひどいことを言うんだな...傷つくなぁ」
「その通りでしょう?」
僕は義兄さんの指から逃れ、身体を起こして彼を見下ろした。
しばらくの間、僕らは無言で睨み合っていた。
目を反らさない僕に、義兄さんは、ふうっと息を吐いた。
そして、こう言ったのだ。
「Bと...別れようか?」
...と。
(つづく)
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