~チャンミン15歳~
毎週日曜日、午前9時からの2時間、義兄さんのアトリエでモデルを務めることになった。
それ以外の6日間は、義兄さんのことばかり考えていた。
学校での僕は孤立していたから、思う存分物思いにふけることができて幸いだった。
今では義兄さんは、僕のことを「チャンミン」と呼ぶ。
君付けが嫌だった僕は、「その呼び方...止めてください」と。
困ったクライアントについて面白おかしく話していた義兄さんは、一瞬口をつぐみ、「わかったよ」と言って、ニカっと笑った。
綺麗な白い歯と細めた目が、30過ぎのおっさんのくせに無邪気で、僕の胸は苦しくなった。
「チャンミンも、俺のことを『ユノ』と呼んでいいよ」
義兄さんはそう言ってくれたが、僕は首を振った。
呼び捨てで名前を呼ぶ気安い関係にはなりたくないと、考えを改めたんだ。
意に反していたけど、夕食に誘われて義兄さんと姉さんの家を訪ねたことがあった。
2人が暮らす部屋は、白と黒に統一された生活感ゼロの空間に仕上げられていて、居心地が悪かった。
家具も電化製品も、名前の分からない観葉植物も、僕が手にしたグラスもきっと、高価なものに違いない。
「本業の絵よりも、副業の方が忙しくてね。
俺の才能もこの程度ってことさ」
義兄さんは謙遜していたけれど、彼の絵がびっくりするような価格で画廊のショウウィンドウを飾っていたのを、僕は知っている。
ファストファッションを身につけた自分が、みすぼらしく思えた。
来るんじゃなかった。
校内で僕に憧れる女子が沢山いようと、ここでの僕は中学男子に過ぎないのだ。
悔しいことに、大人な二人には叶わない。
ベージュのニットワンピースを着た姉さんと、同じくベージュのニットを着た義兄さん...この2人にとって、僕は『弟』に過ぎないのだ。
不愛想で無口な僕に慣れてしまった義兄さんは、「もっと食べなさい」と料理をすすめてくる。
僕も話したいことなんて何もなかったから、目の前のものをひたすら口に放り込むことに専念した。
テーブルにずらり並んだ、色とりどりの料理。
姉さんが料理上手だなんて知らなかった。
「チャンミンは太らないの、羨ましい」
僕はムッとして、姉さんを睨みつけた。
「やだ、怒らないで。
痩せの大食いって、チャンミンのことを言うのよね」
痩せっぽっちの身体はどうしようもできない。
男の僕は、柔らかそうな身体にはなれないのだ。
体重を増やしても、脂肪を醜くまとうだけで、アトリエで見た女たちのような曲線は作れない。
悔しい。
僕はどうすればいい?
義兄さんの愛情を独り占めしている女。
葉っぱばっかり齧っていないで、テーブルの上のもの全部食べて、ぶくぶくに太って醜くなればいいんだ。
義兄さんに飽きられればいいんだ。
「俺はスリムなチャンミンが、気に入っているんだ」
翌週、アトリエでそう義兄さんに言われた僕は、返答に困ってしまって俯くしかなかった。
嬉しかった。
でも、悔しい。
でもやっぱり、嬉しい。
両耳が熱い。
赤くなった耳が義兄さんにバレてしまっているに違いないことも、悔しかった。
~ユノ32歳~
いきなり全裸になったチャンミン。
恥ずかしがる素振りが一切ない潔い行動に驚いた。
若い女の子のものだったら、少しはドキッとするけれど、頭の中が作品作りでいっぱいな俺には、性的欲求は起こらない。
そういう対象で見ない。
だが、俺も男だからその主義が揺らぐ時もある。
例えば、心惹かれ合う人と出会ってしまった時...Bだ...のように。
「どんなポーズをとればいいですか?」
チャンミンの声に、物思いにふけっていた俺はハッとする。
ひょろ長い身体を見せつけるように、チャンミンは頭の後ろで両腕を組んでいた。
わずかに見せてくれた笑みは消えてしまっていて、残念だったけど、安堵もしていた。
なぜなら、唇の端だけで見せたあの微笑は、子供がするものじゃない...あれはいけない。
裸になってみせたのは、俺がどんな反応をみせるのかを、試そうとしているんだよな。
ほら、俺を睨みつけることを忘れてしまっているよ。
俺の反応を見逃さまいと、目をキラキラさせちゃって、...興味津々なことはバレバレだよ。
妻の弟なんだからと、気安くモデルを依頼した自分の甘さを反省しかけたが、作品制作に意識を戻す。
現在、2作品を並行して手掛けているところで、そのひとつは大学生の女の子をモデルに描いている。
在学中から精力的に展覧会に出品し続け、それなりの賞を次々とさらっていくから、展覧会荒しだと友人たちからたしなめられたくらいだ。
それなりに認められて、それなりの価格で、それなりの数が売れるようになった。
来年のY展の出品を見据えて、テーマを探していたところに、チャンミンが目に留まった。
このタイミングでの出逢いに、ちょっとした運命を感じた俺は大げさかな。
ところが、裸の男を描くのは学生時代以来。
男を描くつもりは全くなかった。
チャンミンだから、描きたくなった。
画家の目でチャンミンを見る。
ソファの肘掛けに頭を預け、背もたれに片腕をだらりと乗せている。
喉をのけぞらせて、うつろな眼差しの先はどこでもない宙。
必要最小限の筋肉の上に、うっすらついた体脂肪。
あばらの浮いた薄い胸、平らな腹へと、なだらかに凹凸なく繋がっている。
体毛のない滑らかな肌。
骨っぽい脚は、生まれたての小鹿のように細く長い。
男でもない女でもない、大人でもない子供でもない。
立てた片腿で、ちょうど肝心なところが隠れていたから、余計にそう見えた。
欲情を抱いたら罰があたってしまう。
それくらい、神聖さを漂わせた美しい身体、だと思った。
チャンミンに声をかけてよかった。
半年後じゃ遅かった。
今しか目にすることができない肢体なのだから。
ついひと月前まで、同じソファで裸体を横たえていたBを描いていた。
そして現在、Bの弟が一糸まとわない姿で、同じようなポーズをとっている。
おかしな気分になって、くらりと眩暈がした。
なんだ、この感覚は。
今の俺はいけないことをしているかのような気分になった。
(つづく)
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