義弟(51)

 

 

~ユノ34歳~

 

 

実際に目で確かめるまでは、信用できない。

 

X氏の身体を押しのけて、部屋へ押し入った。

 

「ユンホ君!」

 

X氏の制止は無視して、真っ先にベッドを確認する。

 

「!」

 

ベッドに全裸でうつ伏せで横たわっているチャンミン。

 

涙や唾液で汚れた顔で、恍惚の表情を浮かべている。

 

ベッドの枕元や足元には、空き袋や使用済みのものが汚らしく転がっている。

 

部屋に乱入してきた俺に、目を見開いている。

 

 

 

 

...そんなシーンを、予想していた。

 

「え...?」

 

シーツは乱れているが、ベッドは空っぽだった。

 

俺は浴室に直行する。

 

ドアを開けると、湯気に満ちた空気に包まれたそこは、無人だった。

 

寝室に引き返し、クローゼットの扉を勢いよく開けた。

 

X氏の上等なスーツが吊るされているだけだった。

 

それならばと、窓際まで走りカーテンを引いたところで、嵌め殺しの窓だったことを思いだした。

 

「ユンホ君?」

 

俺の背後にX氏が立っているのが、窓ガラスに映っている。

 

「なんだって、チャンミン君が私の部屋にいるなんて。

まるで...」

 

「まるで...なんです?」

 

勢いよく振り返った先に、X氏の下卑た笑顔があった。

 

「ユンホ君が何を考えているか...よ~く分かるよ。

私がチャンミン君を連れ込んで、よからぬことをしている...そうだろう?」

 

「......」

 

奥歯を噛みしめて、X氏を睨みつけた。

 

「...随分失礼なことをしている自覚はあるのかね?

ご自身の立場はよく理解しているのかね?」

 

「ええ」

 

今後の仕事を失ってしまっても構わなかった。

 

依頼されている仕事の大半は、白紙に戻るだろう。

 

「ご覧の通り」

 

X氏は大げさな身振りで、部屋を見渡した。

 

「チャンミン君はここには『いない』」

 

それじゃあ、チャンミンはどこにいるんだ?

 

「失礼しました」

 

俺は頭を下げるしかない。

 

失礼極まりない行為に、言い訳も謝罪もする気になれなかった。

 

X氏を疑ったこと、家探しをしたこと、結局疑惑を裏付けるものは見つからなかったこと。

 

ちらっと視界をかすったあれは?

 

引き返してあらためてみたかったが、俺を部屋から押し出すように背後にX氏が接近していたため、出来ずにいた。

 

「尻の軽いネコは檻に閉じ込めておかないと、いけないよ。

おにいさん」

 

部屋の外までご丁寧に見送ったX氏は、そう言ってドアを閉めた。

 

黒だ、と思った。

 

チャンミンは、どこにいる?

 

 


 

 

~チャンミン17歳~

 

 

頭がガンガンする。

 

僕はバスタブにうずくまって、降り注ぐシャワーに打たれていた。

 

立てた膝の間で項垂れていた。

 

次から次へと溢れる涙が、熱いお湯に洗い流されていく。

 

「馬鹿!」

 

膝を引き寄せ背中を丸めて、「馬鹿馬鹿」とつぶやき繰り返した。

 

振り仰いで、大口を開けて、湯のつぶてで口内を濯ぐ。

 

『これだからガキは困る』

 

X氏の言葉がわんわんと耳の奥で、リフレインした。

 

そうだよ、僕はガキだ。

 

情けなかった。

 

こんな僕を知ったら、義兄さんは離れていってしまう。

 

じっとしていればよかった。

 

蜂の巣を突いたみたいな事態になってしまった。

 

今の僕を圧倒するのは、屈辱感と羞恥心だ。

 

伸ばした指に触れる割れ目の奥が、じんじんと疼いていた。

 

そんな自分の身体に、反吐が出そうだった。

 

「義兄さん...」

 

吐き気はするし、ふわふわと酔った頭なのに、意識だけははっきりしている。

 

X氏の湿ったあざ笑いと義兄さんの軽快な笑い声が、交互に僕の頭の中をぐるぐる巡って僕を苦しめている。

 

洗面ボウルの脇に置いたスマホが、先ほどから振動している。

 

義兄さんだ。

 

今日一日ずっと連絡を返さなかった僕を心配している。

 

義兄さんに会いたい...でも、会うのが怖かった。

 

義兄さんなら僕を見損なったりしない...その自信もわずか数パーセント。

 

でも、その数パーセントにすがりたかった。

 

いつまでもこうしてはいられない。

 

全身すみずみまで何度も洗ったし、シャワーに打たれ過ぎて手指はふやけている。

 

湯船をまたぐとき、ぐらりと視界が傾き、とっさにつかんだのはシャワーカーテン。

 

「あっ...!」

 

僕の全体重に引っ張られて、それはバリバリっとカーテンレールから金具ごと千切れる。

 

支えを失った僕は、シャワーカーテンごと固い床に横倒しになった。

 

シャワーヘッドがお湯を巻き散らしながら踊り、僕は固い床を半身に感じながら、目を閉じた。

 

 


 

 

~ユノ34歳~

 

 

身分証明書の提示もなく、俺の求めに応じたスタッフは、マスタキーでそのドアを開錠した。

 

お辞儀をして立ち去るスタッフに礼を言い、俺は室内に踏み込んだ。

 

ドアを開けた途端、むわっと湿気に包まれた。

 

照明のついていない部屋は暗いままで、不安が膨らむ。

 

灯りが漏れる、湯気の出どころでもある浴室を開け放った。

 

バスタブの中で上を向いたシャワーヘッドが、俺の服をたちまち濡らした。

 

「!」

 

俺の足をつまずかせたぐにゃりとやわらかいものに、心臓が止まりそうになった。

 

ベージュ色のシャワーカーテンにくるまった格好で、チャンミンが横たわっていた。

 

カーテンをめくって露わになったチャンミンの横顔に、一瞬ひるんでしまった。

 

倒れた拍子に唇を切ったのか、顎下を朱に染めていた。

 

それとも...X氏にやられたんじゃないだろうな?

 

そんな思いがよぎってしまっても、仕方がないだろう。

 

「チャンミン!」

 

濡れるのも構わずひざまずいて、チャンミンの肩を抱き起す。

 

「チャンミン?」

 

ぐらぐらのうなじを支えて、チャンミンの頬を軽く叩いた。

 

「チャンミン?

俺だ」

 

「...ん」

 

チャンミンのまぶたがうっすらと開いた。

 

X氏の部屋を出た後、俺はチャンミンの部屋へ直行した。

 

チャイムを鳴らせど、電話をかけても反応はなく、焦った俺は内線電話でフロントスタッフを呼び出したのだ。

 

チャンミンが部屋にいて、心底安堵した。

 

浴室の床に伸びるチャンミンの姿に肝をひやした。

 

「...に、いさん」

 

チャンミンの囁き声が聞き取れず、「何?」と口元に耳を寄せた。

 

酔っ払っている...そこから漂う香りで分かった。

 

「...僕は」

 

一日連絡が取れず、X氏の部屋にはおらず、部屋に戻っていたけど酔っぱらって浴室の床に転がっていた。

 

金具だけがレールにぶら下がっていることから、シャワーカーテンもろとも転んだんだ。

 

「頭は?

酔っ払った状態で風呂だなんて...危ないだろう?」

 

腕を伸ばしてシャワーを止め、ラックから取ったタオルで顔の汚れを拭ってやった。

 

「...よし」

 

チャンミンの後頭部や側頭部をあらためて、こぶがないことを確かめた。

 

「起きられるか?」

 

俺の問いに、こくんと頷いたから、意識ははっきりとしているようだ。

 

チャンミンに肩を貸してやったが、膝に力が入らないらしい。

 

「だいじょーぶです...。

にーさん、僕は、だいじょーぶですから」

 

「だいじょーぶ」を繰り返す舌ったらずな喋り方は、こんな状況じゃなければ色っぽく聞こえるだろう。

 

『チャンミン君はここにはいない』

 

X氏の言葉通りだったが、俺は信じていない。

 

チャンミンが酒に強いのかどうかなんて、共に酒を飲んだことはないから分かるわけない。

 

チャンミンは17歳で、今どき律義に守る未成年ばかりじゃない。

 

でも、缶ビール1本でああもアルコールの匂いをぷんぷんとさせられない。

 

「おっかしーな...ここは?

あれ?

あれれぇ?」

 

だから俺はしんと醒めた気持ちで、チャンミンが発する言葉を無視した。

 

抱きとめる俺の腕の中から抜け出て、チャンミンはふらふらな足取りで立ち上がろうとする。

 

「じっとしていろ」

 

「やっ...。

はなせ...いけるってば。

だいじょーぶですってば」

 

「チャンミン!」

 

チャンミンの胴にタックルして、その動きを封じた。

 

俺の腕の中でジタバタと暴れるチャンミンを、肩の上に担ぎ上げた。

 

「ばかぁ...にーさん、はなせ!」

 

ミニバーの前を通り過ぎた時、「やっぱり...」と暗い気持ちになった。

 

未使用のグラス、未開封のボトルが整然と並んでいた。

 

冷蔵庫を覗いてみると、1本分空いたスペースは多分、ミネラルウォーターのペットボトルだ。

 

チャンミンが酒を飲んだのは、この部屋ではないってことだ。

 

果たして本当に無事だったのかどうか...ベッドに下ろしたままの姿で眠るチャンミンを見る限り、確かめようがない。

 

頭にも手足にも打ち身らしいものは、表面上は見当たらなかった。

 

唇の傷はきっと、転倒した際にできたものだ。

 

そうであって欲しい。

 

確認すべき箇所はあるにはあるが、さすがに尻を割って中を探るわけにはいかない。

 

残された手段は、本人の口から確かめるしかないってことだ。

 

 

 

(つづく)

 

 

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