~ユノ34歳~
その日は曇り空だった。
午前の早い時間にチャンミンの自宅まで迎えに行った。
行き先については譲り合いで、なかなか決まらなかった。
夏服でも買ってやろうかとショッピングセンターを提案したが、首を振られてしまった。
「どこに行きたい?」と尋ねると、チャンミンは「どこへでも」と答えた。
「義兄さんは行きたいところ、ありますか?」と尋ねられ、チャンミンと一緒なら行き先なんてどこでもよかった俺は、「どこへでも」と答えた。
「じゃあ、どうする?」
「ホテルに行きたいです」
あのイベント以来、素直になったチャンミンははっきりと言った。
「ドライブしてホテルに行って、ドライブして帰るのです」
「...わかった」
俺たちは会えば必ずヤラずにはいられない。
言葉の交わし合いが必要だとこれまでを反省したそばから、こうだ。
仕方がない...俺たちはこうするしか、愛情確認ができない。
・
自宅から2時間離れた場所、その手のところではなく、ミドルクラスのシティホテルだった。
俺たちは不倫カップル。
手ぶらの男同士が連れ立って、真昼間にチェックインする姿は不自然か...そうでもないか、兄弟、先輩後輩同士の場合もあるわけで...。
いくつもの言い訳を思い浮かべてしまう点が、悪いことをしている後ろめたさの意識があるせいだ。
案内を断り、キーを受け取った。
エレベータでも廊下でも、チャンミンの身体にはあえて一切触れなかった。
ただし、部屋のドアを開けるまでは。
この焦らしがこれからする行為への興奮を高めるのだ。
物欲しげなチャンミンの熱い目と目が合えば、「あと少しだ、我慢だ」の意を込めて見返した。
入るなり、互いの顔を引き寄せ舌を絡め合う。
チャンミンはディパックを床に落とした。
むしり取るように服を脱ぎ出すチャンミンを制した。
「慌てなくていい。
時間はある」
チャンミンにはこう言ったが、時間は限られていた。
俺たちの邪魔をするのは時間だけだ。
時間に追われながら抱き合うのはこれまでと変わらないが、俺たちの邪魔をする者はいない。
スマホの電源を落とし、仕事上の友人たちからの、そして妻からの連絡手段を絶った。
「風呂に入ろうか?」
「...僕と?」
「他に誰がいる?
一緒は嫌?」
「いいえ」
チャンミンは泣き笑いの表情で、首を振った。
・
シャワーの下に立った俺たちは、キスの続きを再開した。
頭上から降り注ぐお湯により、唇から垂れ漏れる唾液は流される。
「足をここに乗せて」
チャンミンは片足をバスタブの縁にかけ、俺の首に両腕を回した。
俺の手はチャンミンの背中から谷間の先端の間を何度も往復し、焦れたチャンミンに手首をつかまれ、そこへと誘導された。
中心点を探り当てた指でほぐし広げてゆくのだが、1か月ぶりにしては、そこは早々と指を飲みこんだ。
「ひとりでいじってたのか?」
俺の肩に額を押しつけていたチャンミンは、こくりと頷いた。
「俺を思って?」
「...はい」
「毎日?」
「義兄さん!」
睨みつけるチャンミンをなだめるように、額に口づけた。
笑みの形になった眼に、俺も微笑んでみせた。
ほぐしの段階でチャンミンの身体は、俺が腰を支えてやらないと崩れ落ちそうになっていた。
埋めた中で2本の指が蠢くごとに チャンミンの膝は小刻みに震えた。
チャンミンの勃ちあがったものも、ふるふると震えていた。
先端を濡らすとろみあるものは、水じゃない。
「義兄さんっ...早く...」
その頃にはチャンミンは立っていられなくなっていて、俺の胸にしがみついていた。
口は開きっぱなしになっている。
「チャンミンのお願いに応えてやるよ」
俺はチャンミンを肩に担ぎ上げた。
チャンミンはじっとしている。
過去にホテルの浴室で倒れていたチャンミンを、ベッドまで運んだことがあった。
X氏の一件だ。
あの時のチャンミンは唇を血で染め、酒に酔って朦朧としていた。
この子は出逢った時から今に至るまで、常に一生懸命だった。
危なっかしく不安定なこの子を、俺は全力で支えてやらないといけない。
俺の肩の上で大人しく身を預けるチャンミン。
むごいことにもうしばらくの間は...少なくともあと1年間は、チャンミンは我慢を強いられる。
たった今日一日の思い出が、今後耐えうるだけの支えになるはずはない。
そうであっても、今日一日は心を尽くして丹念に、愛そうと思った。
・
脱力したチャンミンを、優しくベッドに降ろした。
ベッドカバーが濡れるのも構わず、チャンミンを跨いで身体を伏せた。
額同士を合わせ、とろんと半眼になったチャンミンと目を合わせた。
「義兄さん...好きです」
「分かってるよ」
チャンミンの両目がうるんできた。
「今から泣くのか?
泣くのはこれからだぞ?」
「え...泣くようなこと!?
やだ...」
冗談のひと言を、チャンミンは違う意味にとったようだった。
「あまりにもよすぎて、チャンミンが泣いてしまうよ、って意味」
下がってしまった眉尻を、親指でもみほぐしてやった。
「...なんだ。
びっくりさせないでください」
「好きなだけ声を出していい」
「義兄さ...!」
チャンミンの口を手の平ですっぽり覆った。
「今日は『義兄さん』じゃない。
『ユノ』だ」
「......」
「呼べる?」
チャンミンはぷいっと顔を背けてしまった。
「...無理です。
癖になってますから。
それに...恥ずかしいです」
「ユノ、って呼ぶのが?」
「はい。
...それに。
僕は『義兄さん』と呼んでますけど、『義兄さん』のつもりでいませんから。
最初から、義兄さんは『義兄さん』じゃないんです。
...僕の中では。
義兄さんは『義兄さん』っていう名前なだけです」
「名前が『義兄さん』?」
「はい。
...ダメですか?」
俺は言いかけた言葉を飲み込み、「ダメじゃないよ」と答えた。
「1年後には『義兄』じゃなくなって、『義兄さん』と呼ばなくて済むんだぞ?」
と、チャンミンを喜ばせる台詞...過剰な期待を持たせるような台詞...は軽々しく口にできなかった。
チャンミンは分かっているようだった。
(つづく)
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