義弟(9)

 

~チャンミン16歳~

 

Mはぶりっ子なのに不思議と、嫌な気はしなかった。

 

僕を見ても平然としていたから、「なんだ、こいつ?」と思ってもいいはずなのに、気にならなかった。

 

ねぇ、義兄さん。

 

仕事場に若い子を連れ込んだ理由は、姉さんに飽きてきた証拠でしょ?

 

喜びがふつふつと湧いてきた。

 

そう気付いてしまったことも、Mを毛嫌いしなかった理由でもあった。

 

多分...Mは義兄さんが好きなんだ。

 

義兄さんをぽぉっとした顔で見上げていて、分かりやす過ぎた。

 

女の子がする「そういう顔」を、いくつも見たことがあるから、すぐに分かった。

 

Mに同情した。

 

義兄さんは結婚してるんだよ。

 

義兄さんとどうかなりたかったら、不倫になってしまう。

 

僕の場合、モデルの役目が終わっても、「妻の弟」という確固たる立場があるけど、Mの場合はそうじゃない。

 

立位の絵が完成するまでに、Mは急がないといけない。

 

Mが義兄さんを繋ぎとめようとしたらもう...あの手しかないじゃないか。

 

Mには女の武器がある。

 

僕にはない。

 

Mの短すぎるスカートから、白いふっくらとした太ももが覗いていた。

 

僕にはないものを持っているMが羨ましくて、悔しかった。

 

悔しいけれど、答えが見つかって、目の前が開けたようで僕は上機嫌だったのだ。

 

3人でコーヒーを飲みながら過ごした30分間のことを、僕はほとんど覚えていない。

 

考え事に夢中だったのだ。

 

Mは舌っ足らずな話し言葉で、世間知らずと無知さを全開にして、義兄さんを笑わせていた。

 

大口を開けて笑い転げる義兄さんを初めて見られたのに、その感動も薄い。

 

義兄さんと打ち解けて会話するMに、嫉妬は感じなかった。

 

彼女は僕の敵にすらならない。

 

ぼやぼやしていたら義兄さんが盗られてしまう。

 

Mに、じゃない。

 

僕が知らないだけで、義兄さんにはいくつもの顔がある、大人だもの当然だ。

 

僕はアトリエの中の義兄さんしか知らない。

 

アトリエを出た義兄さんが、あちらこちらで出会うだろう大人の誰かに、彼を盗られてしまう。

 

急がないといけない。

 

「そろそろ帰ります」

 

そう言ったMに続いて、僕も立ち上がった。

 

その時の義兄さんの驚いた顔ときたら。

 

いかにも人嫌いそうな僕が、初対面のMと連れだって行こうとしたのだ、当然だ。

 

見送る義兄さんの視線を背中いっぱい感じながら、僕はMと肩を並べてアトリエを後にした。

 

しばらく無言の僕らだった。

 

無理に話題を探そうとしないMに、僕の中のMの評価は上がった。

 

派手な髪色と、肌の露出の多い恰好に騙されたらいけない。

 

Mは馬鹿な子じゃない。

 

僕らは似たもの同士。

 

Mは義兄さんに恋をしていて、僕の方は...義兄さんをどうにかしてしまいたい妙な思いを抱えている。

 

義兄さんを求めている点で共通していた。

 

「...チャンミン君は...ユノさんが好きでしょ?」

 

直球の質問に驚かなかったのは、この子は馬鹿なフリをしているのにそうじゃないことに気付いていたから。

 

甘ったれた言葉を発しているのに、その目はしんと醒めていた。

 

Mの質問に僕は答える。

 

「...嫌いだ」

 

僕の答えに、Mは気の毒そうに僕を見た。

 

「あんな恰好ができちゃうくらい...嫌いなんだ?」

 

「そう言うあんたこそ...?」

 

「うん。

ユノさんが好き」

 

「そう...」

 

「でもね、片想いでいいんだ」

 

「なぜ?」

 

「あたしみたいな凡人とは、立ってるステージが違うのよ。

チャンミン君...知ってる?

ユノさんって凄いひとなのよ。

絵ももちろんだけど、デザインの仕事も凄いの。

最近オープンしたカフェに行ってみた?

ユノさんが描いた壁一面の絵もそうだし、メニュー表もテイクアウトのバッグもすごくセンスがいいの。

知ってる?」

 

そういえば、義兄さんがそんな話をしていたような覚えがある。

 

でも、この前みたいに吹き出してしまうと悔しいから、大抵は考え事で頭をいっぱいにして、じっくりと話を聞いていなかった。

 

だから僕は、首を左右に振るしかない。

 

今度行ってみよう、思った。

 

「チャンミン君は、彼女はいるの?」

 

「...いない」

 

陰でこそこそと噂をしていることも知ってるし、数えきれないくらい想いを告げられてきた。

 

バッサリ切り捨てる僕に、当然彼女たちは絶望する。

 

大人ぶって似合いもしないメイクをして、プリーツスカートを揺らして白い脚を見せつけて、甘ったるい匂いをさせて。

 

英語の女性教諭が僕ばかりを見ていることにも、僕を指名する時の声がわずかに上ずっていることにも気づいていた。

 

彼女たちは、僕には相応しくない。

 

年齢が問題じゃないみたいだ。

 

中には可愛い子もいるにはいたけど、見た目重視という訳でもなさそうだ。

 

今までに3度、男子生徒からそれとなく迫られたこともあった。

 

男に告られることもショックだったし、彼らにそういう対象で見られていたことにもぞっとした。

 

でも最近は...当時の価値観は青かったと、思うようになった。

 

なぜなら義兄さんにそういう対象で見られたい、と望むようになっていた。

 

気持ち悪いだろ?

 

「へぇ、意外だなぁ。

チャンミン君ってカッコいいから、てっきりいるかと思った。

彼女、欲しくないの?」

 

「どうだろう...。

欲しいような欲しくないような...。

M...ちゃんは?」

 

女の子をちゃん付けで呼ぶことに慣れていなかったから、名前ひとつ呼ぶのに声を震わせてしまう自分がカッコ悪い。

 

隣を歩くMは大学生だけど成人していて、僕は制服を着た16歳のガキ。

 

駅の改札でMとの別れ際、僕は思い切って彼女に申し出た。

 

「電話番号...教えてくれる?」

 

Mは「まあ」といった風に口を丸く開け、それからにっこりと笑った。

 

「いいわよ。

チャンミン君のものも、教えてね」

 

Mと知り合って、僕はしたいことがあったのだ。

 

 

(つづく)

 

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