(2)僕らが一緒にいる理由

 

今年は暖冬との予報は外れだ。

12月の中旬以降、早朝の気温計は氷点下を示していて、年が明けてからは下へ下へと毎朝新記録を打ち立てている(気温計は夫が中庭に面した縁側の軒下にぶら下げたもの)

寝起きの僕は、布団の足元から毛糸の靴下を探し出し、フリース素材のガウンを羽織り、「寒い寒い」と唱えながら寝室を出る。

わが家には断熱材など入っておらず、朝方などシンクの洗い桶の水が凍り付いているのだ(オリーブオイルなんて、寒さのせいで真っ白に凝固してしまってる)

真っ先に台所の灯油ストーブのスイッチを入れる。

給油ランプが点滅しているのに気づき、僕は舌打ちをした。

僕にばかり家のことを押し付けるなんて!

どうしてどうして、こういう細かな気配りができないのだろう?

ぷりぷりと腹をたてながら僕は、ヤカンとスープの鍋をガスにかけ、灯油タンクを持って中庭に下りる。

軒下に灯油ポリタンクを置いてあるからだ。

(3つのうち2つが空。9時を過ぎたら灯油店に配達の電話を入れること、とやることリストにメモした)

 

吐く息は真っ白で、冷え切って固くなったサンダルが足の甲に痛い。

夏の間水草を浮かべていた水鉢には、分厚い氷が張っている。

ポンプ内を勢いよく流れる灯油を無心に眺めながら、日常の積み重ねをすみずみまで味わい、共に生きる夫を愛し続け...そうありたいと願っているけれど...それって可能な話なのかな?

例えば灯油の補充をしていなかったように、小さな怒りが積もり積もって、ついには爆発し、離婚の危機に!?...なんてことになったりして。

 

「......」

 

でも、こういうことを思うことができるのも、今の僕が幸せボケをしていて、生活や仕事、両方において暇なんだからだと思う。

だから、夫の不審な外出という『謎を解く』という暇つぶしができたと捉えればいい。

夫へ不信感を抱かせることで、平和的な暮らしを当たり前のように享受する僕に喝をいれようとしているんだ。

まさか『あの』夫が僕を裏切るはずはない。

「俗にいう、サレ男?」

ぞくり、と心が冷えると同時にワクワク感も湧いてきた。

変なの。

 

 

灯油を入れ終えて、「よいこらしょ」っと立ち上がりついでに軒下を見上げた。

 

「マイナス7度...」

 

気温計をぶら下げるリボンは、人気洋菓子店のクッキー缶のラッピングで使われていたもの(夫の友人へ出産祝いを贈った際のお返しかなんかだったと思う。とても綺麗だったから捨てるのは勿体なかったのだ)

そのクッキー缶には、電池を収納している。

夫は僕の『そういうところ』に癒されると言ってくれるけれど、僕は所帯じみてしまった自分自身をカッコ悪いと思っている。

夫は、コーヒーの出がらしを消臭剤代わりに靴箱に入れる僕を見て、嫌にならないのだろうか。

 

 

『浮気』

 

生涯、縁のない言葉だと思っていた。

僕と夫の仲は、強固で不滅なものだと当たり前のように安心しきってきたけれど、それは思い込みに過ぎなかったのかもしれない。

友人関係だったのが、一気に距離を縮めた末、学生結婚した。

早すぎる結婚プラス、僕らは男同士だった為、どうしても周囲に理解されにくい。

それでも全然構わない、と開き直れるほど平気じゃなかった僕だった。

...いつの間にかすれ違いが生じており、気付いた時には2人は川の対岸同士に立っていて、広い川幅と流れの強さに阻まれて、対岸に渡るのは困難になってしまっている...時すでに遅し。

よくある話だ...と言っても、テレビや小説の世界で聞きかじった程度の知識に過ぎず、身近な人間関係で相談役をつとめたこともなく、リアルな『浮気』は想像するしかないのだ。

夫の浮気を疑った夫(僕は『妻』ではない。主夫と言った方が正確かな)がすることと言えば、『尾行』ではないだろうか?

 

 

「しまった!」

 

夕飯の食卓で、夫は不意に大きな声を出した。

 

「どうしたの?」

「忘れ物だ。

大事な書類を会社に置きっぱなしだったみたいなんだ」

「そんなの...週明けでいいじゃない」

 

僕は卵丼のお代わり(餡を注ぎ足しご飯も足しで、永遠に食べ終わらない)を頬張った。

 

「そういうわけにはいかないんだ。

忙しくってさ、週末中に片付けておきたいんだ」

「へぇぇ...。

せっかくの休みなのに...。

今って繁忙期だっけ?」

 

僕の問いを受け、夫は「えーっと」という繋ぎ言葉を発した。

 

「トラブルがあってね。

書類仕事が沢山あるんだ」

「ふぅ~ん...」

 

(なるほどね...)

忙しいなんて嘘なんだって、すぐに分かった。

(嘘が下手くそな夫ならば浮気なんて無理だろう、と甘くみていた)

僕は疑心でいっぱいな気持ちを気取られないよう、僕は「大変だねぇ」と言った。

 

「それにしては、今日も残業しないで真っ直ぐ帰ってきたじゃない?」

「それは...」

 

言葉に詰まってしまった夫に、僕はきょとんとした視線を送った。

今夜の夫はいつもより早めに外出をしたいようだ。

 

「やっぱ、チャンミンと一緒に夕飯食べたいじゃん?」

「嬉しいコトを言ってくれるねぇ」

 

僕は夫の罪悪感をかきたてようと...『何の疑いも持たず、夫の言葉に素直に喜ぶ夫』みたいな感じに...彼の背後からハグをした。

浮気相手との逢瀬だなんて、早合点だって分かってる。

夫は丼の中身をよく噛みもせずかき込むと、空になった米粒ひとつない丼をシンクまで運んだ。

 

「会社の鍵は開いてるの?」

「今週は俺が当番だから、鍵はバッチリ持ってる」

 

夫はコートを羽織った。

 

「今夜は特に気温が低い。

風邪をひかないよう、温かい恰好をしていって」

「わかった」

 

僕は、ボタンを締める間もなく外出しようとする夫を引き留めた。

 

「僕のマフラーを貸してあげる。

ユノのものよりあったかいし、大きいから」

 

紺色ベースのチェック柄のマフラーを、夫の首に巻き付けた。

 

「あ...ありがとう」

 

普段より3割増しに優しい僕に、夫は戸惑っている風に見えた。

配偶者の私物と香りをまとわせて、浮気相手に会いにいかせる僕...策士で意地悪だ。

 

(つづく)

 

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