(21)僕を食べてください(BL)

 

 

僕は跳ね起きた。

 

僕は暗闇にすっぽりと包まれていて、天井近くの窓から注ぐ光が、太陽から月のものに変わっていた。

 

肌に触れたら、衣服をなにひとつ身に着けていない。

 

僕は眠っていたらしかった。

 

「!」

 

隣で横になっていたはずのユノがいない。

 

思い出した。

 

ユノとのセックスに夢中になってしまい、2回果てた僕は疲労困憊になって、気を失うかのように眠ってしまったんだ。

 

ユノがどこかへ行ってしまわないようにと、ユノを後ろ抱きにしていたんだった。

 

ユノがいない。

 

すっと血の気が引くのが分かった。

 

「ユノっ!」

 

マットレスの下に投げ捨てた洋服を手探りで拾い集める。

 

闇雲に伸ばした手が何かに当たって倒れ、地面に転がり落ちてからんと音を立てた。

 

昼間、最初に脱いだTシャツは見つからなかった。

 

山中の気候は、日中は暑くても夜間は気温が下がって涼しい。

 

全身にかいた汗が冷えて、ぶるっと寒気が襲う。

 

ユノがいないことにパニックになった僕は、すぐに寒さを忘れた。

 

「ユノ!」

 

僕の声が、廃工場の高い天井に反響する。

 

僕はそろそろと足を交互に出し両腕を突き出して、入り口シャッターを目指す。

 

と、数歩目で何かにつまづいて、つんのめった。

 

前方に倒れ、とっさにかばった片腕がかっと熱くなる。

 

つまずいてしまったものの正体を手探りで確認すると、フィルムに包まれたサンドイッチがいくつかと、水滴がついたペットボトルだった。

 

買ってきたばかりだ、ペットボトルは冷たい。

 

ということは...ユノは近くにいる。

 

はやる気持ちをおさえて、注意深く前進する。

 

シャッターは僕の腰のあたりまで開いており、月光の淡い光がぼんやりと地面を照らしていた。

 

シャッターをくぐった僕は、夜虫とカエルの鳴き声に包まれた。

 

「ユノ!」

 

足元は真っ黒な闇に沈んでいるが、月光のおかげで周囲の景色をだいたいは判別できる。

 

建物に沿って裏手へ回る。

 

ユノのX5が停められていて、僕の心は軽くなった。

 

ボンネットに手を当てると、温かい。

 

ユノはどこかへ出かけて行って、戻ってきたばかりのようだ。

 

「ユノ!」

 

メガホンのように両手で囲って、大声でユノの名前を叫んだ。

 

谷川に面した工場裏に動くものがあり、ユノの姿だと分かった。

 

「ユノ!」

 

「チャンミン...」

 

「ユノ...」

 

蔓延るつる草に足元をとられるのに構わず、僕はユノの元まで駆け寄った。

 

ユノの白い顔が暗闇の中にぼうっと浮かんでいる。

 

「心配したんだ」

 

「サンドイッチを買ってきた。

チャンミン、食べておいで」

 

「......」

 

「そっか...。

暗いよな。

車のキーを渡すから、エンジンをかけて。

車の中で食べておいで」

 

「腹は減っていない」

 

「チャンミン、怖い顔をするな。

水浴びしてくるから、少しの間待っていてくれる?」

 

「水浴び?

こんな時間に?」

 

確かにユノはバスタオルのようなものを抱えていた。

 

「ああ。

おかしいか?」

 

「真っ暗だよ?」

 

「ここには風呂がないんだ。

知ってるだろ?

中で待ってて。

すぐに戻るから」

 

谷川の方へ歩き出したユノの手首を、僕はとっさに捕らえた。

 

捕らえた途端にぬるりと滑って、僕の手の中からユノの手首が引き抜かれた。

 

僕の手を濡らしたものの正体を確かめたくても、暗くて見えない。

 

「仕方がないなぁ」

 

鼻先にかざしていた僕の手が、ユノの手と繋がれた。

 

「チャンミンも一緒にいかが?」

 

僕の手を引いたユノは、草をかきわけ谷川までの急な坂を迷いなく下りていく。

 

視力を奪われると、匂いと音に敏感になる。

 

この匂いは...。

 

生臭い匂いが漂うのは、夜の草木が放つ呼吸のせいか、辺り一帯に潜む大量のカエルのせいか。

 

「ここに足をかけて...そう、ゆっくり」

 

足元がおぼつかない僕を、ユノが誘導してくれる。

 

「棘があるから」と、僕に当たりそうになった小枝を押さえてくれた。

 

岩のひとつを飛び降りて、スニーカーの底が砂地に沈んだ時、よろけた僕をユノは力強い腕で僕を支えた。

 

川の流れが立てるせせらぎの音が、間近から聞こえる。

 

闇に塗りつぶされた茂みの中で、カエルが鳴いている。

 

月の光に照らされた川面がキラキラと揺れていた。

 

「冷たくて、気持ちがいいよ」

 

僕の手を離したユノは、手早く服を脱ぐとザブザブと川へ入っていく。

 

「チャンミンもおいで」

 

「う、うん」

 

スニーカーを脱いで、どうしようか迷ったけれどデニムパンツのまま、川の流れに足先をつけた。

 

冷たくて足を引っ込めたけれど、川べりでユノを待っていたくなかった。

 

ごろごろ突き出た川石につまづかないよう、慎重に歩を進めていると、見かねたユノが引き返してきた。

 

「あと2メートルで一気に深くなるから、気を付けて」

 

僕の腰に腕を回して誘導してくれる。

 

真っ暗闇で、どうしてユノは迷いなく動けるんだ?

 

疑問が浮かんだ。

 

ユノの案内通り、数歩目で僕は胸のあたりまで水に浸かった。

 

ずきっと右ひじに痛みが走って、転んだ際に擦りむいていたことを思い出した。

 

穏やかな流れに身を浸して立ち尽くす僕をよそに、ユノはすいすいと僕の周りを泳いでいる。

 

ごつごつとした岩の間をしぶきをあげる急な流れから、取り残されたかのように流れが凪いだ箇所があって、小さなプールのようになっている。

 

そこに僕らはいた。

 

映画のシーンで観たことがあったかもしれない。

 

人里離れた川で、無人島だったっけ?

 

無人の夜のプールだったっけ?

 

恋人同士が裸で泳いでいるんだ。

 

そう、今みたいに。

 

ちゃぷちゃぷと、水が肌をたたく音がうんと近くに聞こえる。

 

ユノを見失って、やみくもに両手を振り回した。

 

指先がユノの身体の一部に触れて、僕は迷わず両腕で囲い込む。

 

捕まえた。

 

「あははは」とユノは笑い声をあげた。

 

ユノの冷えた身体を抱きしめる。

 

きゅっと引き締まっていて、濡れてつるつるした肌が人形のようだと思った。

 

しかし、僕の手のひらを押し返す弾力からは、生命を感じる。

 

ユノは僕の腰を高く抱え上げ、僕は両脚を彼の腰に巻き付けた。

 

僕の顔を包んで、唇を割る。

 

そうなんだよ。

 

口の中は温かいんだよ。

 

喉の奥に届くまで舌を伸ばして、窒息させんばかりにユノの口内を僕の舌で埋める。

 

「ふ...んん...」

 

僕らは互いに粘膜を貪り合う。

 

「はあ...」

 

闇に包まれて視界を奪われ、感じるのはユノと繋がる唇の感触のみ。

 

感覚が研ぎ澄まされている。

 

「あっ...」

 

股間に手が押し当てられて、驚いた僕は腰を引く。

 

「駄目だっ...無理だ...」

 

今日一日で、4度も達していた僕にはもう、勃つ余力がない。

 

「そうだろうね。

こういうのはもう、止めにしよう。

お前は俺についてこられない」

 

僕の耳元に顔を寄せて、ユノはゆっくりと発音した。

 

「もう終わりにしよう」

 

「え...」

 

ユノの言葉が理解できない。

 

「終わりにしよう」

 

「どういう...意味...?」

 

「思わせぶりなことをしてきて、悪かった。

チャンミンは、俺にはついてこられない。

俺もチャンミンについていけない」

 

「急に...なんだよ」

 

「こんなタイミングに、悪かった」

 

「別れるってことか?」

 

「別れるも何も...付き合ってもいなかっただろう?」

 

付き合って、いない...?

 

この数日間の僕らは何だったんだ?

 

「そんな...。

僕のことを気に入ったって、そう言ってたじゃないか!?」

 

「チャンミンの顔も身体も、気に入っているのは本当だ。

チャンミンと抱き合えて、とてもよかった。

お前も楽しんだだろう?」

 

「...うん...」

 

その通りだ。

 

僕はユノに触れられ、目も眩むほどの快楽を知り、酔いしれていた。

 

ずぶずぶとユノに侵入され、溺れ、そのまま僕は恍惚の沼の底に沈んだままだ。

 

「確かに、楽しんだよ。

でも、僕はその場限りなんて嫌なんだ。

僕は、これから先もユノに会っていたい」

 

「『好き』という言葉をもらえて...嬉しかった。

...でも、よく考えてみた。

俺はチャンミンの気持ちに応えてあげられない」

 

「...そんなっ!

応えてくれなくても...いいから。

ユノのセフレでもいいから!

お願いだ、そばにいさせて...」

 

「チャンミン...。

そういうところに、俺はついていけなくなったんだ」

 

「嫌だ!」

 

ユノの肩をつかんで、ユノを前後に揺さぶった。

 

「チャンミン、俺のことは諦めろ」

 

説き伏せるように低くてしんとした声音で、ユノは僕にそう言った。

 

 

(つづく)

 

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