【22】僕を食べてください(BL)

 

 

 

ユノが僕に別れを告げようとしている。

 

「嫌だ...。

僕は君から離れられない」

 

「チャンミン...」

 

ユノの顔が全然見えなかったけど、激しく首を横に振る僕を、哀しそうな、憐れむような表情で見ているのだろう。

 

「僕は納得なんかしないから!

僕を捕まえたのはユノ、君の方じゃないか!?

僕が美味しそうだからって。

僕を無理やり引っ張ってきておいて、今さら忘れろって...。

都合がよすぎるよ!」

 

「チャンミン...」

 

「どうせなら、僕を全部食べてしまえよ!

僕が美味しそうだったんだろう?

食べてしまいたいって言ってただろう?

僕はユノのことが好きになったんだ」

 

ここまでの激情を誰かにぶつけたことは初めてだった。

 

ユノを失ったら、死んでしまうとまで思った。

 

ここまで切迫した気持ちにかられる理由が、僕にも分からない。

 

パニックだった。

 

今のユノからは、あの甘い香りはしない。

 

「それじゃあ」

 

ユノの冷たい手の平が、僕の頬を包んだ。

 

「チャンミンの方から、離れていってもらうしかないなぁ」

 

「んっ」

 

ユノに唇を塞がれ、僕らは水中に沈んだ。

 

カエルの鳴き声が消え、ごーっという音に包まれた。

 

「んっ...!」

 

僕の口からこぼれる泡がごぼごぼと音を立てる。

 

僕の両頬は鋼のようなユノの手に挟み込まれている。

 

息が苦しい。

 

「ぷはっ!」

 

首を激しく振ってユノの両手から逃れて、水面に顔を出す。

 

僕の肺は大量の空気を必要としていた。

 

肩を大きく上下させて、息を吸って吐いた。

 

「はあはあ...」

 

呼吸を整えながら、周囲を見回していた。

 

「ユノ...?」

 

ユノがいない。

 

月明かりに照らされた川面が白く揺らめいていた。

 

ひたひたと僕の胸を叩く音だけが妙に大きく感じられる。

 

「ユノ?」

 

川岸に目をこらしても、動くものはいない。

 

両手を振り回しても、手に触れるものは何もない。

 

「ユノ!」

 

潜ってみたけれど、もっと暗くて何も見えない。

 

酸素を求めて川面へ顔を出し、再び潜る。

 

何度も繰り返した。

 

ここには、いないのか?

 

すねや爪先を川石に何度もぶつけながら、川岸へ戻ってみたが、いない。

 

あそこに沈んでいるのか?

 

パシャパシャと水を蹴散らし、元の場所へ向かった。

 

水深が一気に深くなって、胸の高さまで沈んだとき、膝にとんと、柔らかいものがぶつかった。

 

「ユノ!」

 

水底に沈む身体を引きずり上げた。

 

「ユノ!」

 

氷のように冷たい頬を叩いた。

 

ユノの口元に耳を寄せた。

 

呼吸の気配が何もしない。

 

沈んでいたのは、どれくらいの時間だった?

 

5分か?

 

10分?

 

もっとか?

 

耳の下に指をあてる。

 

脈動が一切感じられない。

 

「嘘だろ...!」

 

早く水から出て、心肺蘇生を施さないと。

 

ユノを肩に担ぎあげようとしたとき、僕の二の腕がギュッとつかまれた。

 

「!」

 

月明かりがユノの白い顔を照らして、ユノの瞳が赤く光った。

 

「どう?

怖いだろう?」

 

ユノの紅い唇がにたり、と歪んだ。

 

僕は気を失った。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

全ては俺が全部、悪い。

 

チャンミンがあそこまで、のめりこむとは想像もしていなかった。

 

軽い気持ちのはずだった。

 

性に未熟なあの子を夢中にさせてから、目的を果たす、はずだった。

 

俺は元来、冷血な性質の持ち主。

 

利己的で冷酷な言葉も嘘も平気で吐ける。

 

目的を果たすまでは、残酷さは封印して優しい言葉を、吹き込む。

 

何も知らない子。

 

俺の身体に夢中になってしまって...可哀そうに。

 

この先、どうなるのかも知らないで。

 

堅く勃ちあがった彼の先端に吸い付くと、瞬時に反応して上ずった喘ぎ声をたてる。

 

俺の下で上で、腰を揺らして恍惚の表情を浮かべるチャンミンを見て、ほくそ笑んでいた。

 

怯えて恐怖の香りを発散させたかと思うと、俺の放つ香りに我を忘れたり。

 

俺の口の中で彼の高まりがどくどくと大きく脈打つのを感じて、この子は温かい魂の持ち主であることを思い出させる。

 

あの時の子供がチャンミンだったとは、橋の欄干で告白されるまで気付かなかった。

 

当時は顔をじっくりと見る余裕がなかったから。

 

チャンミンの顔を汚す真っ赤な血に、顔を背けていたから。

 

あの子を見つめると、真っ直ぐな眼差しが返ってくる。

 

動揺したのを悟られまいと、俺は目力をこめて見つめ返した。

 

耳を当てなくても、皮膚の下でどくどくと温かい体液が全身を巡る音が聴こえる。

 

快楽によってゆがんだ唇から漏れるかすれた声。

 

潤んだ瞳は切なげで、必死で俺を求めている。

 

何を求めている?

 

俺から何を引き出そうとしている?

 

あの時の、チャンミンの手探りのような愛撫は優しかった。

 

ゆるゆるとした愛撫は、ゆっくりと俺を高めてくれた。

 

ことの最中は冷静でいるはずの俺が、身体の芯に火がついた。

 

繋がる身体に夢中になり、のしかかった身体に抵抗できなかった。

 

ウエストを引き寄せられ、うねる中に飲み込まれ、締め上げられる度、目の前が真っ白になった。

 

耳に吹き込まれたのは、チャンミンの温かく湿った息と、「好きだ」の言葉。

 

俺にはなくて、チャンミンにはある「心」って、こういうものなのか。

 

チャンミンの「好きだ」の言葉にたじろいだ。

 

困惑する。

 

密着してこすれ合う肌から伝わるチャンミンの体温は、熱くて火傷しそうだった。

 

気付けば俺は、これまで出したことのない呻き声を上げていた。

 

愉楽に歪む顔を見られたくなくて顔を背けても、顎をつかんで視線を合わせてくる。

 

怖気付いたかと思えば、心中に湧いた疑問に蓋をして取りすがって来る。

 

ここまでは思惑通りだったが、目がいけない。

 

行き止まりに追い詰め、恐怖におののく姿を楽しむはずだったのが、いつしか俺の方が追い詰められていた。

 

立ち上がった途端、眩暈に襲われて膝から崩れ落ちた。

 

こぶしが小刻みに震えている。

 

川で失神したチャンミンを、ここまで運ぶのがやっとだった。

 

この数日、チャンミンにかまけていたら、このザマだ。

 

チャンミンに付きまとわれるのは、今の俺にとって邪魔でしかない。

 

苦労して見つけた住まいを離れるか、骨の髄まで恐怖で凍り付かせて、追い払うか。

 

遊びのつもりが、深みにはまった。

 

チャンミンを傷つけたくない。

 

マットレスに横たえたチャンミンを見下ろした。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

僕の部屋に、大きな箱が届けられた。

 

脚を折り曲げれば僕の身体が収まるくらいの巨大な箱だ。

 

まるで棺のようだった。

 

何が入っているのか、何故だか分かっていた。

 

包装紙を乱暴に破る。

 

幾重にもかけられた梱包紐に苛立ち、厳重に貼られたガムテープをはがす。

 

勢いよく引いたカッターナイフが、勢い余って指を切った。

 

ぷくりと膨らんだ血を口に含み、急く気持ちを整えるために深呼吸をした。

 

蓋を開ける手が震えていた。

 

人形が収められていた。

 

斜めに流した黒髪の下で、扇形にまつ毛を伏せた小さな顔。

 

陶器のような、生気に欠けた肌。

 

言葉で言い尽くせないほどに美しい人。

 

人形のようなユノが収まっていた。

 

箱の中に腕を差し入れて、ユノを抱き起す。

 

閉じられた瞼がぱちりと開いた。

 

抱き起すたび、くるくると目の色が変わる人形のように、ユノの瞳も墨色だったり、群青色だったりするんだった。

 

僕は絶句する。

 

どこにも視点が結ばれていないその瞳に、色がなかった。

 

1対の冷たく透明な瞳は、僕の魂を吸い込みそうに底なしに深くて、どれだけ覗き込もうと、その深淵には感情の揺らぎが一切なかった。

 

僕は辺りを見回した。

 

僕の指先からこぼれた血が黒い。

 

そこで初めて僕は、モノクロの世界にいることに気付いた。

 

白と灰色、黒色の景色がにじんでいき、目を開けているのか閉じているのか分からなくなった。

 

意識がふわりと浮上していく。

 

夢だったのか。

 

身体の感覚が、質量を取り戻した。

 

ここは...。

 

目だけを動かして、周囲を見回す。

 

見上げると、太い鉄骨の梁、外の光を透かしている波板トタン。

 

ユノの廃工場だ。

 

僕は、真っ白なマットレスの上にいた。

 

濡れたデニムパンツが脚に張り付いて気持ち悪い。

 

辺りは薄暗く、夜明けなのか日暮れなのか。

 

怖気だった記憶が僕の心をかすった。

 

夜の谷川での出来事だ。

 

水中に沈んだユノは、呼吸が止まり、脈も感じられなかった。

 

それなのに、ぱちりと目を開けた。

 

「怖いだろう?」って。

 

不思議なことに、恐怖は感じなかった。

 

ただショックが大きかっただけだ。

 

僕の予感が的中してしまった、と。

 

 

(つづく)

 

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