意識を集中させて、どこか痛むところはないか全身をスキャンする。
手も足も問題なく動く。
起き上がろうとしたが、すぐさま身体をマットレスに沈めた。
廃工場内のプレハブのような小部屋の方から、物音がしたからだ。
元事務所だったそこにはデスクが置かれていて、ユノが揃えたと思しき真新しい収納ケースが積まれていた。
埃で曇った窓越しにユノが見える。
ユノが小部屋を出てくる足音がして、僕は慌てて目をつむった。
足の運びが不規則で、地面を引きずる足音が不自然だった。
ユノが足音を立てるなんて珍しい。
眠ったフリをして薄目で、ユノの行き先を見守る。
黒い長袖シャツを羽織り、細身の黒いパンツを履いていた。
どこへ行くんだ?
ユノがこちらを振り返りそうだったから、僕は顔の筋肉を緩めて眠りこけるふりをする。
ユノのX5のエンジン音がするかと耳をすましていたが、よかった、車は使わないんだ。
僕は跳ね起きると、マットレスの下に揃えて置かれたスニーカーを履いた。
開いたままのシャッターへ走る。
地面にビニール袋から飛び出たサンドイッチとペットボトルが散らばっていた。
右ひじをさすると、擦り傷がかさぶたを作っていた。
夜の出来事は、夢じゃない、現実だ。
暗闇の中で僕の腕がひっかけたものは、テーブルドラムに置かれていた水筒のようだった。
地面に転がるそれを目にして、胃の腑がせり上がってきたが、ごくりと唾を飲み込んで堪えた。
大きく深呼吸をして、吐き気を飲み込んだ。
シャッターをくぐって外へ出た。
ひんやりとした澄んだ空気と、空の色から明け方だと分かった。
廃工場から山道を見下ろしたが、ユノの姿はない。
小枝が折れる音を振り向くと、笹藪の陰に黒いものがちらついた。
山の中に入っていくようだ。
X5の陰にしばらく身を潜めたのち、砂利を踏むスニーカーが音を立てないよう小走りで斜面を駆け上がる。
うっそうとした下草をかき分け、林の中まで足を踏み入れた。
木立が朝日を遮って薄暗い。
黒づくめのユノが、両腕で身体を抱きしめるような姿勢でふらふらと歩いている。
具合が悪そうだ。
それに、どこへ行くつもりなんだ。
頭上で鳥のさえずりがする。
木の幹に隠れながら、ユノを追う。
降り重なった杉葉は柔らかく、足音を吸収してくれた。
ユノは振り返る素振りを見せない。
足音を立てずに僕に近づける敏捷なユノらしくなかった。
脚をもつれさせ、ふらふらな身体で、ユノには行きたいところがあるようだ。
額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
ユノを追いかけながら、僕は川水に身を浸しながら聞いたユノの言葉を反芻していた。
僕はユノについてこられないし、ユノも僕についてこられない、と言っていた。
愛情の熱量の差を言っているのだろうか。
僕に好きと言われて嬉しい、でも応えられない、と言っていた。
僕のことを嫌いになった、とは言っていなかった。
我ながら自分に都合のよい解釈の仕方だけれど、肝心な部分を避けて語られた言葉だったから、具体性に欠けていた。
結局のところ、「僕と離れたい」と言いたかったようだった。
僕は納得しない。
僕のどこがいけなかったのだろう。
ユノはドライな関係を望んでいたのだろうか。
一方の僕は、物欲しげにユノの元を訪ね、言葉を交わす間も惜しんでユノに抱きついていた。
短時間姿を消しただけでパニックを起こし、涙まで流してしまった。
昨日、僕は心を込めて(おかしな言い方だけれど)、ユノを抱いた...抱いたつもりだった。
僕の未熟なテクでは、ユノを満足させてあげられなかったかもしれないが、あの時のユノは気持ちよさそうにしていた。
うっとうしがられるほど「好きだ」と繰り返して、ユノの頭にダイレクトに伝わるよう耳元でも囁いた。
絶頂の最中、ユノが頷いたのは僕の錯覚に過ぎなかったのかもしれない。
「!」
考え事をしているうちに、先を行くユノとの距離を縮め過ぎていた。
それでもユノは気付かない。
僕はユノを追っていた。
ユノの不調の原因を探りもしなかった。
案じさえしなかった。
手負いの小動物を追い詰める、捕食者の気持ちが僕の心を侵食していった。
僕から離れていくなんて許さない。
どこまでも食らいついていく。
ユノに飛びかかった時、曲げた僕の指に鋭い爪が生えているかのような幻影が見えた。
その爪がユノの両肩に食い込む。
逃げるなら、捕まえるまでだ。
ひっとユノの喉が鳴り、見開いた瞳に恐怖の色が浮かんだのを、はっきりと捉えていた。
僕に押し倒されて仰向けになったユノに、馬乗りになった。
「チャンミン...!」
「......」
ユノの唇を奪い、首筋を吸い、股間をつかんだ。
デニムパンツの上からこすり、満足いく大きさに育たないことにいら立って、ファスナーを下ろした。
「チャンミン...やめろ...!」
抗議の声を、唇で塞ぐ。
無理やり唇をこじ開けて、ユノの舌を頬張り吸う。
「んん...!」
ユノの抵抗する両手首をまとめてつかんで、頭の上で押さえつける。
抵抗されて、僕の欲が煽られた。
舌打ちをしながら、もたつく片手でボタンを外して、ユノのパンツを下着ごとまとめて引きずり下ろした。
「やめろ...」
さらされた白い裸身に、僕の肉欲に火がついた。
身体をよじらせるユノの力は弱い。
「僕から離れるな!」
露わになったユノのものを頬張り、しごき、懸命に育てる。
ユノの腰に跨った僕は、デニムパンツをずらして後ろを開放させた。
固さの足りないユノのものを、疼く中心にあてがって、ゆっくりと腰を落とした。
「やめ...ろっ...!」
狂ったように腰を動かした。
奥底まで届くよう、腰を突き落とした。
がくがくと揺さぶられているユノは、僕から顔を背けている。
ユノの小さな顎をつかんで僕を見上げさせると、半分落ちたまぶたから空色の瞳が覗いていた。
ユノの瞳はくるくると色を変えるが、ここまで明るい色は見たことなかった。
ユノがますます「人形」に近づいた。
温かい塊にあそこは埋められても、僕の心は満たされない。
僕の身体は、背筋を貫く快感の波を何度も浴びているというのに、まるで他人事だった。
「頼むから、離れないで」
嗚咽交じりに繰り返した。
肌を叩く音、粘膜をこする音、粘液がたてる音、そして僕のうめき声。
ユノは唇を引き締めたまま、何も言わない。
がくがくと僕に揺さぶられるがままだ。
僕は獣、だ。
「僕から離れるな!」
閃光のような快感と痙攣が下半身を襲った。
僕の白濁が、パッとユノの腹に散った。
しばらくユノの頭をかき抱いていた。
「はあはあはあ」
身体を離して、僕は我に返る。
僕は絶望感の大波にさらわれた。
木立の元、落ち葉にまみれたユノの白い身体が横たわっている。
青白い肌をして、下まぶたから頬にかけて大きな赤黒い隈が広がっていた。
いつからこんなにひどい顔色をしていたんだ?
思い出せない。
ユノを抱くのに夢中になるあまり、ユノと繋がることした頭になかった僕は、ユノの変化にまで注意を払っていなかった。
車内で「調子が悪い」と言っていたが、まるで聞いていなかった。
「......」
僕はなにを...した?
ユノの目尻から、つーっと涙がこぼれ落ちた。
僕は獣に成り下がった。
僕は最低だ。
(つづく)