「昨日一緒にいたみたいだが...向こうでもそうなのか?」
ユノとは数日前に知り合ったばかりだ。
僕は首を左右に振った。
「こっちに来て仲良くなった...」
Sさんは僕の答えを聞くと、うーんと唸った。
「痛い目には、あっていないんだな?」
Sさんの言っている意味が理解できない。
「痛い目って...?
全然」
「ならいいんだが...。
お前も随分と、厄介なことに巻き込まれたな...」
「え?」
「この男に惚れたのか?」
一瞬で身体が熱くなった。
僕の言葉を聞くまでもなく、Sさんは僕の反応で理解したようだった。
「うーん...そうか。
そうなると、仕方がないな...」
「?」
パチンと、Sさんが急に大きく手を叩いたので、僕はビクッとした。
「『毒を食らわば皿まで』だ!
チャンミン、気を確かに持てよ。
この男を助けたいんだろ?」
「うん」
なんだかよくわからないが、必死だった僕は大きく頷いた。
不思議だらけのユノだった。
首をかしげることも多く、でもそれらの疑問は脇に置いていた。
謎めいていて不気味なことを一切無視できてしまうくらい、僕はユノに夢中だったからだ。
不思議が多いほど、ユノの魅力が増していったから。
「逃げ出すなよ?
絶対に、だ」
「もちろん!」
その夜、僕はユノと交わっている夢を見た。
最初から夢だと分かっていた。
はるか彼方まで小金色の名前の知らない草が、小麦畑のように広がっており、その中にぽつんと池があった。
陽光眩しくて、水面は白く反射している。
手ですくうと、指の間から黄金色の水がゼリーのようにしたたり落ちた。
舐めると、メープルシロップのような甘い味がした。
粘性の高い、とろっとした液体が満ちたその池を、僕は泳いでいた。
ひとかきすると、腕や肩に温かいぬるみが肌を滑って気持ちがよい。
急に足首をつかまれ、僕はずぶずぶと池の底に引きずり込まれた。
口の中にとろとろのゼリーみたいな池の水が流れ込んで、僕はあっという間に窒息しそうになる。
このままでは溺れてしまうのかと覚悟していたら、いつまでたっても苦しさを感じない。
この蜜のような液体で僕の肺は充たされて、僕は呼吸をする必要がなくなった。
僕はこの蜜に取り込まれて、この池と一体となったのだ。
池底ではユノが、落下する僕を待っていた。
僕が池底に着地すると、仰向けになった僕の上にユノは覆いかぶさった。
どちらからともなく、互いの唇を合わせ、貪るような深いキスを交わす。
僕らの口の中は池の水でいっぱいに満たされ、ユノのキスも甘くて美味しい。
僕らの肌が密着してこすれあうと、ゼリーが肌の間を滑ってよだれを垂らしそうになるくらい気持ちがいい。
ユノの上で僕が、腰を揺らして踊っている。
池の水も温かく、ユノのそれも温かい。
ユノの両胸に両手をついて、振り落とされないよう身体を支えていた。
僕の腰が真下に突き落とされるたびに、僕の手の平がぬるりとユノの肌の上をすべる。
ユノの方も両手を伸ばし、僕の両胸の上を往復させる。
ユノの手の平が何度も、僕の先端を刺激するから、僕はそのたびに喘ぎを漏らす。
僕の中で、ユノのものが膨れてきたのがよく分かる。
ああ、なんて気持ちがいいんだろう。
中も外もとろとろで、温かくて、これぞ恍惚の世界なんだ。
水中では腰を激しく早く動かせないから、ユノの動きに身を任せた。
奥の奥、行き止まりまでぐりぐりと攻められる。
僕らの間で踊っていた僕のものは最後、ユノの手の中で果てた。
僕の上からユノは身体を離した。
そして、僕から手を離すとその姿が小さくなっていく。
ユノの身体が水面にむかって上昇していっているのだ。
慌てて僕もユノの後を追う。
ふわりと浮くから、大した苦労もせずぐんぐん上昇していける。
とろっとした水面から頭を出すと、沈む前に見たのとは景色が違っていた。
辺りは薄暗く、見上げた空が灰色の雲に覆われている。
空気は鳥肌がたつほど冷えている。
ユノの姿が消えていた。
先ほどまでの、幸福と快楽で満ち足りていた僕の心が、しんしんと冷えていき、胸が詰まりそうな怯えが這い上がってきた。
濡れた顔を両手で拭って、その手を目にして僕の喉から声にならない悲鳴が漏れた。
両手が真っ赤だった。
水面から出た僕の腕や肩、胸をみると、真っ赤な水で濡れていて、一瞬のうちに恐怖で凍り付いた。
おそるおそる指先の匂いを嗅いで、ひと舐めしてみる。
鉄さび味を予想していたら、この赤い液体も甘く、フルーティだった。
この味は...ザクロか。
ザクロの果汁がたたえられた池で僕は、まるで真っ赤な血を頭からかぶったかのように、赤をまとって、その池から上がったのだった。
こんな夢を見たのだった。
目にしてきたものなのに、認識までたどり着かないように目を反らしてきたもの。
僕にとってユノは血の通わない人形だ。
これはどこかで見聞きした言葉なんだけど、「まるで神様がこしらえたかのような」精巧で美しい人形だ。
けれども、きめの細かい冷えた肌の下は温かく湿っているから、僕は大いに混乱してしまうのだ。
今朝のこと。
突き放されてパニックになった僕は、林の中で倒れこんだユノを欲望のまま押し倒してしまった。
僕にされるがままのぐったりとしたユノを所謂、犯してしまった。
そして、身動きしなくなってしまったユノに対して、僕は罪悪感に苛まれる間もなく、Sさんの助けを借りて林を抜けた。
処理場のステンレスの台の上で死体のように横たわるユノを、医者に診せることもしないSさんに僕は焦れた。
Sさんはユノのことを知っていた。
ユノとの関係性を問うたら、「ギブアンドテイクの間柄だ」と言っていた。
彼の口から語られた内容に僕は驚嘆した一方で、「やっぱり」と納得していたのだ。
どうりでおかしいと思ったんだ。
予感が的中、「なるほどそういうことなんだ」って。
ユノのことを不気味だと感じる以前に、答えが得られて満足していた。
確実なのは、ユノの正体を知ったからといって、彼から離れたい意志が僕には全然生じなかったということ。
おかしいだろう?
その後、彼がユノに施した「処理」を目の当たりにして、僕は血の気がひき、吐き気をもよおした。
昨日からほとんど何も口にしていないせいで、何度えづいても吐き出されたのは胃液のみだった。
ユノの側にいるには、これらを受け入れなくてはならないんだと、口の中を苦みでいっぱいにしながら最後まで見届けた。
Sさんの車で、僕ら2人は廃工場まで送ってもらった。
ふらふらだが歩けるようになったユノを先に下ろし、車のドアを閉めた僕にSさんは言った。
「俺にはチャンミンに何もしてやれない。
チャンミンには気の毒だし、残念だ。
彼に魅入られてしまったら、遠くへ離れるか、行きつくところまで行くしかない。
お前に酷いことをする者じゃないが...。
ただし、命を大事にしろ。
お前にはばあちゃんがいるんだからな」
今の今まで、ばあちゃんのことが頭からすっぽりと抜けていた。
「命を大事にしろ」というSさんの言葉は、後々の僕に突きつけられる時が訪れることになるなんて、その時の僕は聞き流していた。
僕は今、マットレスに腰掛けて、汚れた衣服を脱いで着がえているユノの後ろ姿を見守っている。
ユノの動きは敏捷で、数時間前まで死体のようにくたりとしていたのが、嘘のようだ。
「チャンミンには心配かけてしまった」
スウェットの上下に着がえたユノが、僕の方へ歩み寄った。
ユノが差し出した手を握ると、僕は引き寄せられた。
「俺のこと...怖いだろう?」
ユノは肩に回された僕の腕の下から抜け出してしまった。
「離れていいんだ。
チャンミンは明日、街に戻る。
それっきり、離れて行ってしまって構わない」
「離れるもんか」
僕は再びユノの肩に腕をまわす。
「こんな言い方じゃ、チャンミンの意志に任せるみたいで卑怯だから、言い直す。
俺から離れて欲しい」
「嫌だ。
帰るのは止めにした。
学校なんてもう、どうでもいいんだ」
「駄目だ。
俺はそんなことを望んでいない」
「僕は覚悟を決めたんだ。
確かにユノは恐ろしい存在かもしれない」
薄墨色のユノの瞳が、僕の瞳から感情を読み取ろうとしているかのようだった。
見る度に目まぐるしく色を変えるユノの瞳に、僕は惹かれていた。
瞳の色の法則も何となく、読めてきた。
「確かに、とても驚いた。
驚いたっていうレベルじゃない」
ユノの頬を包み込むように、片手を添えた。
僕の熱い手の平が、ユノの肌で冷やされていく。
「『怖くなかった』は嘘になるから、正直に言うけど、ぞっとした」
僕の深層心理では、とっくに気付いてた。
だから、本当のことをSさんに教えてもらって、腑に落ちた。
「信じられないだろうけど、
本当のことを知って、これで真正面からユノを好きになれる、って安心したんだ」
「......」
「駄目かな?」
ユノは黒髪の間からのぞく白い耳をすまして、僕の言葉を考え深げに聞いているようだ。
「僕の身体だけが好きならば、それで僕は十分だ。
僕のことを少しでも気に入ってくれているのなら、離れろなんて言わないで欲しい。
僕の身体が好きだって言ってたよね?
僕は、ユノの側から離れないと決めたんだ」
僕の顔を穴が開くほどじぃっと見つめていたユノは、小さくため息をついて「そっか...」とつぶやいた。
「さて。
セックスでもしようか?」
「え?」
ユノに胸を押された僕は、マットレスの上に仰向けになった。
ユノの唐突な誘いに僕はポカンとしたが、僕らは会えば必ず交わる関係性だ。
ユノの「セックスしようか」の台詞は、僕の言葉に対する肯定の返事だと捉えた。
ユノの肩を引き寄せて、僕は彼に深く口づけた。
(つづく)