(25)僕を食べてください(BL)

 

 

「昨日一緒にいたみたいだが...向こうでもそうなのか?」

 

ユノとは数日前に知り合ったばかりだ。

僕は首を左右に振った。

 

「こっちに来て仲良くなった...」

 

Sさんは僕の答えを聞くと、うーんと唸った。

 

「痛い目には、あっていないんだな?」

 

Sさんの言っている意味が理解できない。

 

「痛い目って...?

全然」

 

「ならいいんだが...。

お前も随分と、厄介なことに巻き込まれたな...」

 

「え?」

 

「この男に惚れたのか?」

 

一瞬で身体が熱くなった。

僕の言葉を聞くまでもなく、Sさんは僕の反応で理解したようだった。

 

「うーん...そうか。

そうなると、仕方がないな...」

 

「?」

 

パチンと、Sさんが急に大きく手を叩いたので、僕はビクッとした。

 

「『毒を食らわば皿まで』だ!

チャンミン、気を確かに持てよ。

この男を助けたいんだろ?」

 

「うん」

 

なんだかよくわからないが、必死だった僕は大きく頷いた。

不思議だらけのユノだった。

首をかしげることも多く、でもそれらの疑問は脇に置いていた。

謎めいていて不気味なことを一切無視できてしまうくらい、僕はユノに夢中だったからだ。

不思議が多いほど、ユノの魅力が増していったから。

 

「逃げ出すなよ?

絶対に、だ」

 

「もちろん!」

 

 


 

 

その夜、僕はユノと交わっている夢を見た。

最初から夢だと分かっていた。

はるか彼方まで小金色の名前の知らない草が、小麦畑のように広がっており、その中にぽつんと池があった。

陽光眩しくて、水面は白く反射している。

手ですくうと、指の間から黄金色の水がゼリーのようにしたたり落ちた。

舐めると、メープルシロップのような甘い味がした。

粘性の高い、とろっとした液体が満ちたその池を、僕は泳いでいた。

ひとかきすると、腕や肩に温かいぬるみが肌を滑って気持ちがよい。

急に足首をつかまれ、僕はずぶずぶと池の底に引きずり込まれた。

口の中にとろとろのゼリーみたいな池の水が流れ込んで、僕はあっという間に窒息しそうになる。

このままでは溺れてしまうのかと覚悟していたら、いつまでたっても苦しさを感じない。

この蜜のような液体で僕の肺は充たされて、僕は呼吸をする必要がなくなった。

僕はこの蜜に取り込まれて、この池と一体となったのだ。

池底ではユノが、落下する僕を待っていた。

僕が池底に着地すると、仰向けになった僕の上にユノは覆いかぶさった。

どちらからともなく、互いの唇を合わせ、貪るような深いキスを交わす。

僕らの口の中は池の水でいっぱいに満たされ、ユノのキスも甘くて美味しい。

僕らの肌が密着してこすれあうと、ゼリーが肌の間を滑ってよだれを垂らしそうになるくらい気持ちがいい。

ユノの上で僕が、腰を揺らして踊っている。

池の水も温かく、ユノのそれも温かい。

ユノの両胸に両手をついて、振り落とされないよう身体を支えていた。

僕の腰が真下に突き落とされるたびに、僕の手の平がぬるりとユノの肌の上をすべる。

ユノの方も両手を伸ばし、僕の両胸の上を往復させる。

ユノの手の平が何度も、僕の先端を刺激するから、僕はそのたびに喘ぎを漏らす。

僕の中で、ユノのものが膨れてきたのがよく分かる。

ああ、なんて気持ちがいいんだろう。

中も外もとろとろで、温かくて、これぞ恍惚の世界なんだ。

水中では腰を激しく早く動かせないから、ユノの動きに身を任せた。

奥の奥、行き止まりまでぐりぐりと攻められる。

僕らの間で踊っていた僕のものは最後、ユノの手の中で果てた。

僕の上からユノは身体を離した。

そして、僕から手を離すとその姿が小さくなっていく。

ユノの身体が水面にむかって上昇していっているのだ。

慌てて僕もユノの後を追う。

ふわりと浮くから、大した苦労もせずぐんぐん上昇していける。

とろっとした水面から頭を出すと、沈む前に見たのとは景色が違っていた。

辺りは薄暗く、見上げた空が灰色の雲に覆われている。

空気は鳥肌がたつほど冷えている。

ユノの姿が消えていた。

先ほどまでの、幸福と快楽で満ち足りていた僕の心が、しんしんと冷えていき、胸が詰まりそうな怯えが這い上がってきた。

濡れた顔を両手で拭って、その手を目にして僕の喉から声にならない悲鳴が漏れた。

両手が真っ赤だった。

水面から出た僕の腕や肩、胸をみると、真っ赤な水で濡れていて、一瞬のうちに恐怖で凍り付いた。

おそるおそる指先の匂いを嗅いで、ひと舐めしてみる。

鉄さび味を予想していたら、この赤い液体も甘く、フルーティだった。

この味は...ザクロか。

ザクロの果汁がたたえられた池で僕は、まるで真っ赤な血を頭からかぶったかのように、赤をまとって、その池から上がったのだった。

こんな夢を見たのだった。

 


 

目にしてきたものなのに、認識までたどり着かないように目を反らしてきたもの。

僕にとってユノは血の通わない人形だ。

これはどこかで見聞きした言葉なんだけど、「まるで神様がこしらえたかのような」精巧で美しい人形だ。

けれども、きめの細かい冷えた肌の下は温かく湿っているから、僕は大いに混乱してしまうのだ。

今朝のこと。

突き放されてパニックになった僕は、林の中で倒れこんだユノを欲望のまま押し倒してしまった。

僕にされるがままのぐったりとしたユノを所謂、犯してしまった。

そして、身動きしなくなってしまったユノに対して、僕は罪悪感に苛まれる間もなく、Sさんの助けを借りて林を抜けた。

処理場のステンレスの台の上で死体のように横たわるユノを、医者に診せることもしないSさんに僕は焦れた。

Sさんはユノのことを知っていた。

ユノとの関係性を問うたら、「ギブアンドテイクの間柄だ」と言っていた。

彼の口から語られた内容に僕は驚嘆した一方で、「やっぱり」と納得していたのだ。

どうりでおかしいと思ったんだ。

予感が的中、「なるほどそういうことなんだ」って。

ユノのことを不気味だと感じる以前に、答えが得られて満足していた。

確実なのは、ユノの正体を知ったからといって、彼から離れたい意志が僕には全然生じなかったということ。

おかしいだろう?

その後、彼がユノに施した「処理」を目の当たりにして、僕は血の気がひき、吐き気をもよおした。

昨日からほとんど何も口にしていないせいで、何度えづいても吐き出されたのは胃液のみだった。

ユノの側にいるには、これらを受け入れなくてはならないんだと、口の中を苦みでいっぱいにしながら最後まで見届けた。

Sさんの車で、僕ら2人は廃工場まで送ってもらった。

ふらふらだが歩けるようになったユノを先に下ろし、車のドアを閉めた僕にSさんは言った。

 

「俺にはチャンミンに何もしてやれない。

チャンミンには気の毒だし、残念だ。

彼に魅入られてしまったら、遠くへ離れるか、行きつくところまで行くしかない。

お前に酷いことをする者じゃないが...。

ただし、命を大事にしろ。

お前にはばあちゃんがいるんだからな」

 

今の今まで、ばあちゃんのことが頭からすっぽりと抜けていた。

「命を大事にしろ」というSさんの言葉は、後々の僕に突きつけられる時が訪れることになるなんて、その時の僕は聞き流していた。

僕は今、マットレスに腰掛けて、汚れた衣服を脱いで着がえているユノの後ろ姿を見守っている。

ユノの動きは敏捷で、数時間前まで死体のようにくたりとしていたのが、嘘のようだ。

 

「チャンミンには心配かけてしまった」

 

スウェットの上下に着がえたユノが、僕の方へ歩み寄った。

ユノが差し出した手を握ると、僕は引き寄せられた。

 

「俺のこと...怖いだろう?」

 

ユノは肩に回された僕の腕の下から抜け出してしまった。

 

「離れていいんだ。

チャンミンは明日、街に戻る。

それっきり、離れて行ってしまって構わない」

 

「離れるもんか」

 

僕は再びユノの肩に腕をまわす。

 

「こんな言い方じゃ、チャンミンの意志に任せるみたいで卑怯だから、言い直す。

俺から離れて欲しい」

 

「嫌だ。

帰るのは止めにした。

学校なんてもう、どうでもいいんだ」

 

「駄目だ。

俺はそんなことを望んでいない」

 

「僕は覚悟を決めたんだ。

確かにユノは恐ろしい存在かもしれない」

 

薄墨色のユノの瞳が、僕の瞳から感情を読み取ろうとしているかのようだった。

見る度に目まぐるしく色を変えるユノの瞳に、僕は惹かれていた。

瞳の色の法則も何となく、読めてきた。

 

「確かに、とても驚いた。

驚いたっていうレベルじゃない」

 

ユノの頬を包み込むように、片手を添えた。

僕の熱い手の平が、ユノの肌で冷やされていく。

 

「『怖くなかった』は嘘になるから、正直に言うけど、ぞっとした」

 

僕の深層心理では、とっくに気付いてた。

だから、本当のことをSさんに教えてもらって、腑に落ちた。

 

「信じられないだろうけど、

本当のことを知って、これで真正面からユノを好きになれる、って安心したんだ」

 

「......」

 

「駄目かな?」

 

ユノは黒髪の間からのぞく白い耳をすまして、僕の言葉を考え深げに聞いているようだ。

 

「僕の身体だけが好きならば、それで僕は十分だ。

僕のことを少しでも気に入ってくれているのなら、離れろなんて言わないで欲しい。

僕の身体が好きだって言ってたよね?

僕は、ユノの側から離れないと決めたんだ」

 

僕の顔を穴が開くほどじぃっと見つめていたユノは、小さくため息をついて「そっか...」とつぶやいた。

 

「さて。

セックスでもしようか?」

 

「え?」

 

ユノに胸を押された僕は、マットレスの上に仰向けになった。

ユノの唐突な誘いに僕はポカンとしたが、僕らは会えば必ず交わる関係性だ。

ユノの「セックスしようか」の台詞は、僕の言葉に対する肯定の返事だと捉えた。

ユノの肩を引き寄せて、僕は彼に深く口づけた。

 

 

(つづく)