~永遠は幻想~
街に戻った前夜のこと。
3度目の絶頂後、息も絶え絶えな僕に対してユノはケロリとしていて、
「体力のない子だ。
チャンミンは若いんだろう?」
とくすくす笑いながら、僕の髪をすいていた。
よく冷えたミネラルウォーターを手渡してくれるユノに、彼の心を感じ取る。
気遣う心がある風を装っているのかもしれない。
僕に対して、愛情に近いものを抱き始めていたのだとしたら、僕は嬉しい。
繋がっていない時のユノは、礼儀正しく愛想笑いを浮かべたりするから、ユノの本性を誰も気付かない。
僕は「泊まっていく」と何度も言い張ったが、ユノは「帰れ」と頑として譲らなかった。
俯くと僕の胸に下腹に、無数の色香匂いたつ紅い花が散っている。
外は暗く、マットレス脇に置いた懐中電灯だけが唯一の灯りだ。
この灯りも、僕のためだけにユノが点けてくれているものだ。
ユノにとっては、眩しくてかなわないだろうに。
ユノの白いうなじを目にすると、その冷たく柔らかい皮膚に唇を這わせたくなる。
先ほどから冷蔵庫の方をちらちらと見るユノに気付いた。
「僕に構わなくていいよ」
僕は冷蔵庫の方をあごでしゃくった。
ユノはしばらく僕をじぃっと見つめていたが、やがてにっこりと笑った。
「チャンミンは強いんだな」
「どうかな...」
僕の心は元来タフじゃない。
ユノを求める強い愛情が、彼の全てを受け止めるだけの器を作っただけに過ぎない。
だから、タフでいられるのはユノに関することに限られるんだ。
「ごめん...僕がつきまとっていたせいで、ユノは自由に動けなかったんだろう?」
「ったく、そうなんだよ」
冷蔵庫の中からポリタンクを取り出したユノは、きっぱりそう言い切った。
ユノは僕が買ってあげた水筒に、ポリタンクの中身をとくとくと注いだ。
「危ない目にあったけど、チャンミンに助けられた」
注がれる液体の正体を思うと、不快感で胃の腑の辺りがむっとする。
「バッテリー容量が約半日と案外少ないんだ」
薄暗くて分からないけれど、ユノの瞳はきっと墨色に沈んでいるだろう。
「正体を知られて楽になった」
「僕も...正体を知って楽になった」
「チャンミンに全部教えてあげるよ。
今までの俺は、チャンミンに対してフェアじゃなかった。
質問には全て答えるよ。
...ただし」
言葉を切ると、ユノの瞳がぎらりと光った。
一瞬で身がすくむ。
「過去の恋愛については、詳しく話すつもりはない」
「そんな...」
「不安そうな顔をするな。
今はチャンミンだけだ」
ユノの目付きが優しくなって、僕の喉から顎へとつつっと指先でたどった。
たったそれだけで、僕の腰がかすかにうずいた。
「死ぬまで?」
「その通り」
よかったと僕は胸を撫でおろしたのだった。
・
「Sさんとは結局、どういう関係なの?」
「彼の伯父を看取った」
「看取る...」
「俺は死ぬまで離さないからね」
僕の胸の谷間を汗がつーっと流れ落ちた。
蒸し暑さのせいか、冷や汗なのかは分からないけれど。
鼓動が早くなった。
「...ユノが...殺したの?」
「チャンミンは、どう思う?」
ユノの握力なら僕の喉くらい片手で潰せるだろうけど、ユノはそんなことは絶対にしない。
しないに決まっている。
なぜって、僕を怖がらせるようなことを言うけれど、それは僕の反応を見て楽しむだけで、怯えた僕に憐れむような、慈悲深そうな微笑を見せるのだ。
身がすくんで逃げられないのではない。
自ら望んで、怯えることを『愉しんでいる』のだ。
僕もとうとうここまで歪んでしまったか、と呆れてしまうけど。
「チャンミンは甘いなぁ。
もし、俺が本気で襲ったらどうするの?
怖いだろ?
死にたくないだろ?」
「ユノは...そんな人じゃないよ」
でも...。
もしユノが僕の命を狙うようなことがあったとしたら、僕は喜んで餌食になっていそうだ。
それ程までに僕は歪んでいる。
「ユノは...いつから生きてるの?」
「時の流れがゆっくりなだけだよ。
チャンミンの20分の1くらいかな。
身体が冷たいのも、体温という無駄なエネルギーを使わないため」
「20年で1年...100年で5年...」
「退屈だよ。
繊細な精神を持っていたら、耐えられないだろうね。
感覚だけは敏感に研ぎ澄まされていくのに、感情はどんどん摩耗していく。
だから、身体の感触だけが「この世に存在する理由」を感じられる唯一のものになっていく」
ユノは僕の片手をとると、手の甲をすっと撫ぜた。
「撫ぜられると気持ちがいいだろう?
でもね...チャンミン。
俺の指を噛んでみて」
「え?」
「いいから」
突き出されたユノの人差し指に、恐る恐る歯を当てる。
「もっと強く」
歯の下に小枝のような骨を感じた。
「もっと強く」
冷凍庫にいれたチョコレートを齧るみたいに、前歯に力を込めた。
僕の口から抜かれたユノの指には、歯型がつき皮膚が破れて赤いものが滲んでいた。
息をのむ僕に、ユノは眉を持ち上げた。
「驚いた顔をしてるね」
「だって...それ」
ユノの指から目を離せずにいると、ユノは声高らかに笑った。
「俺をなんだと思ってるの?
血くらい出るし、俺は怪物なんかじゃない」
「...ごめん」
「例えば、こんな風に。
力の加減によっては、快感が苦痛になってしまう。
でも、苦痛が快感に変わることもある。
快感と苦痛は紙一重。
チャンミンの表情を見ながら、その狭間を探っている。
これが俺の愛し方だ」
ユノはふふんと笑った。
「長く生き過ぎたせいで心はすり減ってしまった。
感触と、味と匂いから楽しみを見つけていかなければ、生き長らえるのは辛すぎる」
かつてのユノには、心があったのだ。
「感触と味と匂い...」
なるほど、と思った。
「動物的だろう?
素敵な痛みを俺に与え続けてくれるのなら、チャンミンがじいさんになっても構わない」
ユノはマットレスの上に仰向けに横たわり、組んだ腕に頭を預けた。
僕はそんなユノを見下ろして、何もかもが整った姿を美しいと思っていた。
「でもね、嫌になる。
美しかった人が、老いて醜くなっていくんだ。
俺だけが変わらない。
そして、俺の目の前で死んでいってしまう。
俺だけが残される。
ほんとうに...うんざりする」
「ユノ...」
失う度辛くなるのに、長くこの世に存在していれば、出会いは次々と訪れる。
傍らに男を置くのは退屈まぎれなのだろうか。
その男が死ぬまで愛するのなら、それは退屈まぎれではないと僕は思った。
「この身体を維持するのは大変なんだ。
買えないものは何もないよ、お金さえあれば。
でも、手に入りにくいものは高価だ」
ユノは、食事の調達について話しているのだ。
「俺が大金を持ってるのも、そのためだよ。
お金がかかる『お人形』なんだ、俺は」
自嘲気味につぶやくと、ユノはしばらく身じろぎもせず天井を見上げていた。
「人形...」
「処理場...あそこは俺が資金を出した」
「えっ...!?」
なるほどと腑に落ちた。
・
僕は死ぬまでユノと一緒...か...。
うつ伏せになった僕は、シーツの布地を片頬に感じながら、うっとりとその甘やかな未来と安心感に浸った。
突如湧いてきた考えに、僕は跳ね起きた。
「ユノ!」
ごろりと仰向けに寝そべるユノを揺すった。
「...じゃあさ、僕が先に死んでしまうってこと?
ユノは残されるってこと?」
「そりゃそうに決まってるじゃないか」
「...そんな...!」
「安心しろ」
僕の頬をユノはひたひたと、軽いタッチで叩いた。
「そんな顔するなよ。
俺にだって寿命はある。
永遠に生き続けるなんてことはないから...その点は救われるよなぁ。
死んでしまったチャンミンの意識は途絶えるんだから、俺の心配をすることは出来ないだろう?
...それに、何度も繰り返してきたことだから...慣れてるよ」
「嫌だ」
「チャンミンが嫌だと言っても、こればっかりは変えられないよ」
たった今浮かんだ思いつき。
どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったんだ!
「僕もユノみたいになりたい。
なる方法はあるんでしょ?
ほら、噛みつかれたら変身するって」
「だ~か~ら。
俺はそういうんじゃないんだって」
「ホントはあるんでしょ?」
「あるけど教えない」
「僕だけおじいさんになるなんて嫌だよ。
ずっとユノの側にいたい」
「...俗説では...よくある物語では、手元に長く置きたいからと恋人を自分と同じにするのを躊躇するだろ?
永遠に生き続ける退屈さ、目の前で繰り返される誕生と死。
愛する恋人にそんな目に遭わせたくないってさ。
ところが俺は利己的だから、綺麗ごと言ってんじゃないよ、って思う。
一緒にいたけりゃ、とっとと噛むなりなんなりすればいいじゃん、って」
「...え」
ユノの言葉に、僕の前に未来が広がった。
「それって...そう受け取っていいの?」
「...考えとく」
ユノは立ち上がると、大きく伸びをした。
そのシルエットは、漆黒のピューマが伸びをしているみたいだ、と思った。
(つづく)
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