(19)添い寝屋

 

 

ユノがぶっ倒れてしまった!

 

困った、困ったぞ!

 

駆け寄った僕は、ユノの額に手の平を当てたところ...。

 

「あっつ!!」

 

微熱どころじゃない、高熱どころじゃない...異常過ぎる熱さだった。

 

どうしよどうしよ。

 

このままじゃ、ユノの脳みそがおかしくなってしまう。

 

ユノの熱を冷ますために、僕は何ができるだろう?

 

冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを取って引き返した。

 

ユノの額と首筋に、ちょろちょろと水を注いで濡らした。

 

それじゃあ追い付かないと悟って、ユノの胸に中身を全部ぶちまけて、空になったボトルを放り投げた。

 

「待っててユノ。

なんとかしてあげる...から...!

...ってか、重い!」

 

抱きかかえようとして、すぐに諦めた。

 

スリムなユノだけど、筋肉質で締まった身体、見た目以上に重いのだ。

 

マシンで筋トレをするのが日課なくせに、肝心なところで役立つ筋力がないことが情けない。

 

ユノの両脇に肘をひっかけて、ずりずりと浴室まで引きずっていった。

 

蛇口を最大まで捻って、バスタブに冷水を溜める(これしか思いつかない)

 

「...よっこらしょっ」

 

どうどうと注ぐ真下にユノの肩がくるように、彼を湯船に沈めた。

 

水しぶきで僕のパジャマのズボンはびしょ濡れになってしまったけど、それどころじゃないのだ。

 

再び冷蔵庫まで走っていって、氷の袋を持って引き返し、バスタブにそれを浮かべた。

 

次にクローゼットからサーキュレーターを抱えて引き返し、ユノの顔に向けて電源を入れた。

 

「えーっと、それから...そうだ!」

 

もう一度キッチンまで走っていって、食糧庫から食塩の大袋を持って引き返し、中身を全部バスタブに開けた。

 

「水!

水が飲みたいって言ってた!」

 

ミネラルウォーターを取りにキッチンに行きかけて、くるりと引き返す。

 

最後の1本を使いきってしまったんだった(買い置きするのをうっかり忘れていた自分が悪い。だって、僕の頭はスカスカだったんだから)

 

「おたんこなすだよ、僕は!」と悪態をついて、歯磨きコップに水を注いだ。

 

「ユノ、水だよ。

飲むんだ」

 

ユノの口にコップを当てがったけど、意識が朦朧な彼には無理な話だ。

 

そしてバスタブに身を乗り出して、ユノの顎をつかんで無理やり口を開かせた。

 

「よし!」

 

コップの水を口いっぱい含んで、わずかに開いた隙間から注ぎ込んだ。

 

ところが、ユノの口内を満たすばかり、注ぐそばから溢れ出てしまうのだ。

 

「ユノ...ちょっと強引だけど、ごめんね」と、ユノの小さく整った鼻をつまんで塞いだ。

 

かはっとユノの喉が鳴り、口で呼吸し出したのを確かめ、彼の口を全部塞いで水を注ぎこんだ。

 

「よし!」

 

ユノの喉がこくりと上下したのに安心した僕は、コップの中身が空になるまで同じことを繰り返した。

 

次に、洗面器ですくった水を、頭の上から浴びせる。

 

額に張り付いた髪をかきあげてやり、びしょ濡れになった顔面の水をはらってやる。

 

ユノの顔色は血の気を失っているのに、僕の手の平に触れる肌は熱い。

 

水面から出た肩から、湯気が上がるのが分かるくらい。

 

両目は固く閉じられたままで、こんな状況にこんなことを思うなんて不謹慎だけど...美しいなぁ、と感心してしまった。

 

陶器のようなつるりとした肌に、濡れたまつ毛が扇形に広がっていて、しゅっとした頬を下にたどると、そこだけぽっと紅い唇があって...僕の喉がごくりとなる。

 

やっぱり不謹慎なことに...キスしたいなぁって思った。

 

口移しで水を飲ませたくせに、あの時は必死過ぎてキスしてるなんて意識はなかったのだ。

 

鼻の下に指をかざすと、熱く湿った息がかかる。

 

よかった...さっきより呼吸が落ち着いている。

 

「ふう...」

 

僕はバスタブにもたれて、タイル張りの床に足を投げ出して座った。

 

ユノをこのままバスタブに浸けておくわけにはいかない。

 

「さむっ...」

 

ぶるりと身体が震え、両肩を抱きしめた。

 

冷え冷えとした浴室に、僕の身体は凍えそうだったのだ。

 

指先の感覚はなくなっていて、ふうっと息を吹きかけた。

 

「嘘...」

 

気休めに近いけど多少は温めてくれるはずの、自分の吐息が冷たい。

 

沸騰するユノに反して、僕は凍みついてきている。

 

歯の根も合わなくなってきた。

 

このままここにいたら、僕の方は凍えてきてしまう、と、毛布を持ってこようと立ち上がった時。

 

水面に浮いた氷のほとんどが溶けてしまっている。

 

「嘘だろ...」

 

手をつけてみると、バスタブの水がぬるくなっていた。

 

「...どうしよう」

 

(お医者さんに診てもらった方が、いいのでは...駄目だ駄目だ!

常人じゃない体温に、大騒ぎになってしまう。

...僕が何とかするしかない!)

 

僕は髪をくしゃくしゃにかき混ぜながら、自慢の浴室をぐるぐると歩きまわる。

 

「そっか!」

 

ここでようやく、ポンと頭に浮かんできた解決方法。

 

どうしてこんなに簡単なことを思いつかなかっただろう!

 

脳ミソまで凍りついてしまったのか?

 

僕はユノの両脇に腕を通して、バスタブから引き上げ(さっきみたいに引きずっていくのはあまりにも可哀想だ)、渾身の力を振り絞って彼を抱き上げた。

 

「...よいしょ」

 

床に水たまりを作りながら、ぐったりと力を失ったユノを寝室まで運ぶ。

 

僕の腕の中で、ユノの首はぐらぐらしているし、ぶら下がった両腕がだらりと揺れている。

 

まるで死体を運んでいるみたいだ...とちらりと思えてしまって、頭を振ってその不謹慎な考えを振り払った。

 

ユノをベッドに転がすと(ユノ、ごめん。腕が千切れそうに疲れてしまったんだ)、僕は洗面所に走っていって、バスタオルを山と抱えて戻り、濡れた彼の全身をくるんで拭いてあげる。

 

「うーん...」と迷った末、全身と同様、ずぶ濡れになったパジャマのズボンを脱がしにかかった。

 

「!」

 

全裸になってしまったユノに、目を反らしてしまった僕だった。

 

広々としたベッドに横たわるユノは...これで何度目になるかの不謹慎な考え...西洋の古典画に描かれた男神みたいに綺麗で、僕は数秒ばかり見惚れてしまった。

 

ユノが数年間、誰にも言えずに胸の奥に仕舞っていた懸案。

 

これを僕に語ること、イコールその熾り火が火かき棒でつついたように、ぼっと炎が上がってしまったのだ。

 

ユノを挟んで天に召されてしまった1組の恋人たち。

 

添い寝屋として真正面からぶつかってしまい、ユノの心は壊れそうになっただろう。

 

彼らを羨ましく思ったその気持ち...うん、僕も理解できるよ。

 

ユノの話はまだ半分だ。

 

炎の身体になった原因を、作った出来事のきっかけだと話していた。

 

ということは、残りの半分を語る時も、苦痛を伴うんじゃないかな。

 

無理に話さなくていいよ、と止めた方がいいのだろうか。

 

それは駄目だ!

 

僕は全部、ユノの話を聞かなくてはならない。

 

僕はユノに雇われた添い寝屋なんだ。

 

ユノが眠りを取り戻し、すがすがしい心身で目覚められるようにしてあげるのが、僕の仕事だ。

 

放っておけないよ。

 

脱がせたユノのズボンと下着を拾い上げ、洗濯機に入れた。

 

僕のパジャマのズボンと下着も、洗濯機に入れた。

 

寝室に向かいかけて、下着をつけようか一瞬迷ったけど、「ま、いっか」と素っ裸でユノの元へ戻った。

 

そして、ユノの身体にぴったりと沿うように横たわった。

 

そういえば...ユノを背中から抱きしめるのは初めてだ。

 

客として、添い寝屋として僕のベッドに訪れた時から、ユノは僕の心も身体も丸ごとくるむように抱きしめてくれた。

 

僕にちょっかいを出してばっかりだったけど、それは僕の心身の緊張を解きほぐそうとしてくれた思いからなんだよね。

 

次は僕の番だ。

 

ユノは未だ、眉間にしわをよせて目をつむったままだ。

 

だからと言って、眠っているわけじゃない。

 

多分だけど...意識はあるはず。

 

それに、倒れたときよりは、頬のこわばりが和らいでいるように見える。

 

よしよし、とユノの濡れ髪を撫ぜた。

 

ユノの全身は、温もった空気の層をまとっている。

 

僕の氷の身体が役に立つ時が来た。

 

ユノが発散する熱を、僕の肌が吸い込んでいく。

 

腕も脚もユノに絡めて、彼の中にこもった熾りを冷ましますように。

 

火の身体、氷の身体。

 

僕らは全く正反対な添い寝屋だ。

 

ユノを抱きくるみながら、気付いたんだ。

 

ユノを癒すことは、同時に僕自身を癒すことに繋がるって。

 

 

 

(つづく)

 

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