(18)添い寝屋

 

 

ユノの涙は僕の唇を湿らせ、その熱い水滴を全部、口に含んでいった。

 

しょっぱくて、ユノの哀しみがたっぷり含んだ水分。

 

僕の心に沁み入る...かすかすの僕の心に滲み入る水分。

 

嗚咽で震えるユノの肩を抱き、広い背中を擦ってやった。

 

ユノのママになった気持ちで。

 

「ユノはあの2人の夜を...引き受けたんだね」

 

「2度と目覚めない夜、をね」

 

ユノの言葉に、僕も「2度と目覚めない夜...」とつぶやいてみた。

 

僕らの隣で眠る客たちは、朝になれば目覚め(眠れない客は朝まで起きている)、目覚めた時に僕らの仕事は終わる。

 

ひと晩ひと晩、依頼された仕事をひとつひとつ、そうやって完了させていくのだ。

 

(寝坊助の客の場合、僕は身体を揺すって起こすのだ。時間ですよ、って)

 

じゃあ、目覚めなかったらどうなる?

 

ぞっとした。

 

ユノは2人の夜を引き受けたままなんだ、数年経った今も。

 

ユノの仕事は永遠に終わらない。

 

「心構えが甘かったんだ。

油断していた俺が悪かった」

 

「油断、だなんて...。

その場にいたのが僕だったとしても...」

 

と、そこまで言いかけて、僕ははっとして口をつぐんだ。

 

もし僕が、その2人の添い寝を依頼されたとしたら...と想像してみたんだ。

 

思い出話を語る2人に挟まれた僕はきっと、「お2人の真ん中に僕が寝るのはおかしくないですか?」って口にしてしまったり、

 

落ち着かない僕は、2人を残してベッドを抜け出して、ホットミルクを勧めたり、フットスツールに腰掛けて会話する2人を眺めたり、

 

もっと無責任なことに、2人に構わず寝てしまうかもしれない。

 

2人の選択が無事(という言い方も不謹慎だけど)決行できたのも、雇った添い寝屋がユノだったからなんだろうな。

 

添い寝したのが僕だったら2人の運命は変わっていたのに、という意味じゃない。

 

彼らは理想の添い寝屋を探し続けるだろう。

 

もし見つからなかったら、理想とは程遠い終わり方をしていたかもしれない。

 

「ねえ。

ユノは2人の望みを叶えたんだよ。

...思いっきりポジティブな見方をすればだけど」

 

「お!

チャンミンは俺を慰めてくれてるんだ?」

 

ユノは僕に、抱き枕みたいに四肢を絡めてきた。

 

涙と鼻水でべちゃべちゃの顔で、頬ずりをしてくるんだから!

 

「チャンミンは優しいんだな」

 

鼻声のユノ。

 

「優しくなんかっ...!

あーもー!」

 

枕元のティッシュをとって、ユノの汚れた顔を拭ってやった。

 

素直に顔をゆだねるユノが可愛くて、思わずキスしてしまった。

 

ユノの上品な鼻のてっぺんと、汗がにじむおでこにチュッチュッ、と。

 

僕の両手の間で、きらやかな一対が三日月型に細められた。

 

よかった...笑ってる。

 

「チャンミンは優しい添い寝屋だね」

 

「...そんな」

 

優しいだなんて言われたことは久しくなくて、照れてしまった。

 

(かつての僕は、かつての恋人に『優しい』とよく言われていた。それも遠い過去の話だ)

 

大胆になった僕は、ユノの髪を梳く。

 

ユノは「気持ちいい...」とつぶやいて、そのままじっとしているから、ますます可愛いと思えてしまった。

 

「あの後は、当然だけど大騒動だったよ。

全ての処理を終えた時、これまで以上に客をとった。

何百人もの客の目覚めを見届けても、俺の朝は訪れない。

俺の不眠がスタートしたのは、この頃からだ」

 

「夜じゃなくて、朝が?」

 

「夜でも朝でもどっちでもいいや。

そうだなぁ...夜でも朝でもない狭間で暮らしてるって感じかな。

隣で眠る客が目を覚まさなかったらどうしようって、眠るわけにもいかない。

睡魔に負けて眠ってしまったら、今度は俺の方が目覚めなくなってしまうかもしれない。

不眠の日々を積み重ねすぎていて、それを取り戻そうとしたりなんかしたら...眠りの世界に行ったきりになる」

 

ユノの恐れは極端過ぎだと思えた...でも、「悪いように考え過ぎだよ。もっと気を楽にして」だなんて、思わなかった。

 

「怖いんだね」

 

僕の鎖骨がじゅわっと熱いもの...ユノの涙で濡れた。

 

ユノの小さな頭をよしよし、と撫ぜた。

 

「深く愛し合う2人が羨ましかった。

悲劇を選んだ2人なのにね...おかしいよな」

 

ユノは寂しいのかな、と思った。

 

僕の方も、人のことを言えない。

 

僕もそう...寂しいのだ。

 

僕らは寂しい寂しい、添い寝屋だ。

 

寄り添い合って肌を重ねて、寂しさを慰め合っているだけなのだろうか。

 

 

 

 

「客の夜を引き受けて...どうして今のユノは平気でいられるの?」

 

仕事への向き合い方が、僕とは正反対のユノが心配になってきた。

 

「平気なものか。

心までは渡さない」

 

それを聞いてホッとした。

 

「ここにストーブがある。

ごうごうと勢いよく薪が燃えている。

距離をとっていれば、身体を温めてくれるし、心の緊張もほぐれる。

近づき過ぎたら火傷する。

誰もこの炎の中には飛び込めるはずはないんだ」

 

「......」

 

「あの時はホント、油断していた」

 

布団の中がサウナにいるみたいに耐えられない程、熱がこもっている。

 

汗をかくことなんてほとんどない僕でさえ、じわりと首の後ろが湿ってきた。

 

「あ...」

 

ユノの額に玉のような汗が浮いていた。

 

「...ユノ、辛いんでしょ?」

 

「...んー、ちょっとね。

チャンミン、俺にキスをして」

 

「キスなんてしたら、もっと熱くなる...」

 

ユノの乾いた唇が、言葉の語尾を覆いかぶせてしまった。

 

「...んんっ...」

 

それに応えて、舌と舌とをねっちりと重ね合わせた。

 

ユノの上顎から歯茎まで、丹念に舐め上げた。

 

積極的な自分に、ドキドキする。

 

僕の顎とうなじはユノの手に固定されて、逃れられない僕は彼のキスを受け止め続ける。

 

急くようなキスに圧倒されて、ユノの口腔に伸ばした舌が押し返されてしまった。

 

不意にユノから解放されて、口を開いたままの僕が取り残された。

 

あれ...?

 

「俺を抱きしめて」

 

パジャマの上をむしるように脱いだユノは、逞しい半身をさらした。

 

「冷やして。

お願い。

熱いんだ...チャンミンで冷やして」

 

切羽詰まったユノの声音に、僕は焦った。

 

「キスなんてするからだよ!

もー!」

 

こんなに苦し気なユノは3日間で初めてだった。

 

「冷やすよ。

冷やしてあげる」

 

僕の氷の身体が役に立つ時が来た。

 

身体に巻き付いていた毛布をはがした途端、ユノのしなやかな腕が伸びてきた。

 

僕を仰向けに押し倒して、ぴったりと半裸同士が重ね合った。

 

ユノの昂ったものが僕のそこに押しつけられる恰好となって、困ってしまう。

 

中心をずらせば、鼠径部にくっきりとユノのの形を感じとってしまって、もっと困ってしまった。

 

ユノは全体重を預けて僕にのっかっているし、まさか彼を押しのけることはできない。

だって、ユノにのしかかられて、ぬくぬくと温かいなぁ...って、この重みをもうしばらく感じていたいなぁって、思っていたから。

 

それならばと、腰を浮かせてユノのウエストを両脚で抱えこんでみたら、僕のお尻にそれが当たってしまって、もっともっと困ってしまった。

 

この恰好は、まるで...!

 

「チャンミン...『したい』の?

ヤル気が出たの?」

 

「えっと...えっと...そうじゃなくて!」

 

僕のものは、しょぼくれたまま。

 

ユノはいつも、僕をドギマギさせることを言う。

 

「ユノは黙って、大人しくしていろ!」

 

ユノの頭を胸に抱え込んだ。

 

僕の素肌が、沸騰したユノの体液を冷ますイメージを膨らませた。

 

熱い...。

 

ジュージュー音がしそうだ。

 

「水を...喉が渇いた」

 

突然、ユノは僕の胸から引きはがすように身体を起こしてしまった。

 

「どうしたの?」

 

「水、もらっていい?」

 

「ユノ!?

ふらふらだよ!」

 

ベッドから飛び降りて、ふらつきながら洗面所に向かうユノを追いかけた。

 

「水なら僕が持ってくるから!

ユノ!

横になってた方がいいよ!」

 

ユノには僕の呼びかけが聞こえないみたいだ。

 

「ユノ!」

 

おかしい...ユノが変だ。

 

...と思った時、ユノの膝がかくん、となって。

 

その場にパタリと崩れ落ちてしまった。

 

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]