通い詰めだったクラブには、ありとあらゆる嗜好のものが集まる。
女の人限定の者、男限定の者、男女どちらもいける者、3人以上じゃなければ満足しない者、道具攻めを好む者。
見物するだけの者、見物しながら自身を慰める者、赤ちゃんになってしまう者、女装しないとイケない者。
僕は、と言えば、後ろを埋めてもらえればOK。
獣に成り下がった僕は、相手が男だろうが女の人だろうが拘らなかった。
とは言え、入店する男の客の大半は、女の人を好むノーマルな者だったから、お相手探しに僕は苦労した。
だからどうしても、カップリング相手は同じ顔ぶれになってしまうのだ(ニューフェイスが加わると、争奪戦になる)
「...僕さ、無職になっちゃった」
ある客(相性がよくて、顔を合わせれば毎回寝ていた男。名前は忘れちゃった)の腹を枕に、僕はぼそっとつぶやいた。
「どうやって食っていくんだ、これから?」
「そうなんだよねぇ。
困ったなぁ...」
「困っている風には聞こえないんだけど?
言い方がまるで他人事」
その客は笑い、むくりと半身を起こすと、僕の足の間からぶら下がる紐を力いっぱい引っ張る。
「ひゃぁんっ」
当然僕は嬌声をあげ、ここから第3ラウンド(4だっけ?)がスタートすることになる。
「自宅でできて、楽ちんで、金になる仕事...心当たりあるよ」
「...んふっ...それって...怪しいやつでしょ?
あっ...そこはダメだって!」
「怪しいものにするかしないかは、そいつ次第。
ルールは自分で決められるだってさ。
興味ある?」
僕の中に繋がる紐がぐいぐいと引っ張られて、その度視界に星が散る。
「やーっ、そこはっ、ダメだって!」
男の質問に答える余裕なんてありはしない。
これからどう生計を立てていけばよいかを考えるのは、イッてからにしよう。
濃い霧がすうっと晴れてきた。
白くぼやけていた黒い点々が徐々に濃くなって、光を集めて濡れたような輝きを認めた時...。
「わっ!」
ユノが僕を見下ろしていた。
「おはよう」
標高700メートルの草原を吹き抜ける、爽やかな5月の風。
ぱりっと乾いた真っ白なシーツ。
もぎたてフルーツの果汁100%ストレートジュース。
...こんな感じのユノの笑顔。
そんなユノの笑顔を目にすると、ジグソーパズルの最後のピースが、ばちっとハマったみたいに気分爽快になる。
不思議だよね。
寝室のカーテンは全開にされ、バルコニーの向こうは真っ青な空。
「...あ!」
サイドテーブルの時計を確認すると、すでにお昼近いではないか!
「寝坊しちゃった...。
え~っと...僕は?」
「チャンミンだろ?」
「当ったり前だ!」
ユノのとぼけにまともに答えてしまったと、悔しくて僕は頬を膨らませた。
「はははっ」
昨夜と同じ洋服を着た(モスグリーンのニット、革のパンツ)ユノ。
「もうすぐ出来上がるから、起きてこいよ」
そう言って、せかせかと寝室を出ていってしまった。
バターのいい匂いが漂ってくる。
僕が起きているか、見に来たんだろうね。
袖を肘までまくり、僕愛用のエプロンをしていたから、朝食を準備していたんだろうね。
腰で結んだ紐が縦結びになっていて、僕はくすりとしてしまう。
縛り直してやろうとベッドを抜け出した時、
「わっ!」
僕は叫んで、再びベッドの中にもぐり込むこととなってしまった。
だってすっぽんぽんだったんだもの。
ユノの身体を冷やそうと、昨夜パンツも何もかも全部、脱いでしまったんだった。
・
冷蔵庫を開ける音、フライ返しがフライパンをこする音、電子レンジの音、お皿がぶつかる音。
「あちっ」
「ちっ(舌打ちかな?)」
「やべっ」
「おっと!」
「...ま、いっか」
この物音から判断すると...クールに見えるユノは、実は台所仕事が不得手なのかな。
朝食の味はあまり期待しない方がよさそうだ。
でも、元気になったみたいでよかった。
昨夜は本当に、びっくりした。
ユノが死んでしまうんじゃないかと、本気で焦った。
僕なりに必死にユノを介抱してみたけど、やり方は正解だったみたいだ。
僕の氷の身体も、そう捨てたものじゃない。
...でも、今度は僕の方が苦しくなってしまって...。
ユノの体温を吸い込むうち、その熱が僕の中を異常発酵させた。
わっと昔の記憶が僕の脳を襲ったのだ。
敢えて思い出さないようにしてきた当時のあれこれを、頭の中でフィルムを回して、自分に向けて上映した。
下半身に支配されていた僕の、堕ちるところまで堕ちていた日々。
...一生分の精力を使い切ってしまったのかな。
ううん、違う。
増殖する性欲を、ひしゃくですくって排出させないと、あっぷあっぷ...その中で溺れそうだった。
あの後僕は、圧倒的な経験をして、徹底的に、根こそぎ性欲を失ってしまったのだ。
「はあ...」
今も脇の下とうなじの髪が汗で濡れている。
べとべとして全身が気持ちが悪いけど、汗をかけるようになった点は一歩前進だ。
「こっちの方は...?」
掛け布団の中に手を忍び込ませ、そうっと脚の付け根に指を這わす...。
「!!!!」
布団を持ち上げて、目で確かめる。
「ユノーーーーー!!!」
気付けば大声でユノを呼んでいた。
「どうした!?」って、トングを片手にユノが駆けつける。
「ユノ...見て...」
ユノを手招きして、件の箇所を見せてあげる。
僕の可愛らしいものが、ほんのちょっと...ちょっとだけ膨らんでいるようなのだ。
僕らは顔を見合わせた。
「やったじゃん!」
ユノの目がきゅっと細くなって、口角もきゅっと上がって、歯は真っ白で...そんなパーフェクトな笑顔を見せてくれるのだ。
僕は嬉しくって、ユノの首に抱きついてしまった。
「あ...」
途中でなぜだかとても恥ずかしくなってしまい、ユノの首に回した腕をゆっくりと下ろした。
夜の仕事をしているせいなんだろうな、午前の日差しのもとは、プライベート感が増してしまい、言動の全てが生っぽく感じられてしまうのだ。
赤くなった顔を隠そうとうつむいている僕を、ユノはきっと、じぃっと見ている。
「チャンミンが寝てる間、揉んでやったんだ」
「えええっ!?」
「ふにふにっとしてて、可愛かったなぁ...」
「可愛いって言うな!」
「ふにふにふにふにしてたらね、1立方センチメートルくらいは膨張してきたよ」
「ユノの馬鹿!
それって全然、ってことじゃんか!」
僕らが話題にしているのは一体何なのか...もう、恥ずかしくて恥ずかしくて、誰にも聞かれたくない。
・
ぷりぷりしている僕の隣に、ユノは腰掛けて、こう言った。
「例のもの、出せ」
「え?
出せって?」
ユノの言葉が理解できない。
首を傾げていると、ユノは僕の両耳を引っ張った。
「昨夜、俺に話してたやつだよ」
「ゆうべ?
僕、何か言ってたっけ?」
「うん、寝言をね」
「寝言!?」
「溜まっていたんだなぁ、可哀想に。
ぺらぺらと喋ってたよ」
僕は思わず両手で口を覆ってしまったけど、一体何を喋ってしまったんだろう!?
昨夜の僕は、堕落しきった生活の頃を鮮明に思い出していた。
夢うつつの中、声としてこぼれ落ちてしまったんだろう。
「チャンミンがいつまでもいじけているのは、それをいつまでも持っているからだ」
「...『それ』って何だよ?」
ユノは大げさに、「はああぁぁ」とため息をついた。
「無自覚!
チャンミンのイケナイところは、『無自覚』なんだ」
僕にはさっぱり分からないのも、無自覚だからなんだろうか。
「よし!
俺が今から、チャンミンを楽にしてやるから。
お前の心の瘧(おこり)を見せてやるよ。
で、『それ』はどこにあるんだ?」
どうしよう。
ユノの指している『それ』が何なのか、全く見当がつかない。
ユノは僕の耳たぶを引っ張った(ユノの熱い吐息がぶわりと耳の穴を湿らせて、ぞくっとしてしまう)
そして、唇を寄せたまま、ユノは囁いた。
「あ!」
「思い出した?」
僕はこくん、と頷いた。
「『それ』はどこにある?」
「冷凍庫の中。
アイスクリームのパックの中...チョコレート味の」
「冷凍庫って...なんちゅうところに隠してるんだよ」
「...だって」
ユノは、立ち上がると僕の肩をぽんと叩いた。
戻って来たユノが手にしているのは、アイスクリーム容器。
「一緒に来い!」
ユノは僕の手をとり、ベッドから引っ張り出した。
「わっ!」
服を着ていない僕に構わず、ユノは僕の手をぐいぐい引っ張って、窓辺へと連れて行く。
窓サッシを開け放ち、裸足のままバルコニーへと出た。
ユノは、ぱこんとアイスクリームの蓋を開けた。
数年前の賞味期限が印字された、500mlサイズのアイスクリームの空き容器。
ユノはそこからベルベット地の小箱を取り出し、その中で鋭く輝くそれを、僕に握らせた。
「投げろ!」
日光に照らされたユノの顔...白皙の青年...は真剣だった。
「捨てちまえ」
僕は力強く頷いた。
そして、大きく腕を振りかざし、力いっぱいそれを空へ投げた。
地上46階の空中で、きらーんと小さく瞬いたのち、それは姿を消した。
それはかつての恋人に、渡すはずだった婚約指輪だったのだ。
(つづく)
[maxbutton id=”23″ ]