ユノの涙は僕の唇を湿らせ、その熱い水滴を全部、口に含んでいった。
しょっぱくて、ユノの哀しみがたっぷり含んだ水分。
僕の心に沁み入る...かすかすの僕の心に滲み入る水分。
嗚咽で震えるユノの肩を抱き、広い背中を擦ってやった。
ユノのママになった気持ちで。
「ユノはあの2人の夜を...引き受けたんだね」
「2度と目覚めない夜、をね」
ユノの言葉に、僕も「2度と目覚めない夜...」とつぶやいてみた。
僕らの隣で眠る客たちは、朝になれば目覚め(眠れない客は朝まで起きている)、目覚めた時に僕らの仕事は終わる。
ひと晩ひと晩、依頼された仕事をひとつひとつ、そうやって完了させていくのだ。
(寝坊助の客の場合、僕は身体を揺すって起こすのだ。時間ですよ、って)
じゃあ、目覚めなかったらどうなる?
ぞっとした。
ユノは2人の夜を引き受けたままなんだ、数年経った今も。
ユノの仕事は永遠に終わらない。
「心構えが甘かったんだ。
油断していた俺が悪かった」
「油断、だなんて...。
その場にいたのが僕だったとしても...」
と、そこまで言いかけて、僕ははっとして口をつぐんだ。
もし僕が、その2人の添い寝を依頼されたとしたら...と想像してみたんだ。
思い出話を語る2人に挟まれた僕はきっと、「お2人の真ん中に僕が寝るのはおかしくないですか?」って口にしてしまったり、
落ち着かない僕は、2人を残してベッドを抜け出して、ホットミルクを勧めたり、フットスツールに腰掛けて会話する2人を眺めたり、
もっと無責任なことに、2人に構わず寝てしまうかもしれない。
2人の選択が無事(という言い方も不謹慎だけど)決行できたのも、雇った添い寝屋がユノだったからなんだろうな。
添い寝したのが僕だったら2人の運命は変わっていたのに、という意味じゃない。
彼らは理想の添い寝屋を探し続けるだろう。
もし見つからなかったら、理想とは程遠い終わり方をしていたかもしれない。
「ねえ。
ユノは2人の望みを叶えたんだよ。
...思いっきりポジティブな見方をすればだけど」
「お!
チャンミンは俺を慰めてくれてるんだ?」
ユノは僕に、抱き枕みたいに四肢を絡めてきた。
涙と鼻水でべちゃべちゃの顔で、頬ずりをしてくるんだから!
「チャンミンは優しいんだな」
鼻声のユノ。
「優しくなんかっ...!
あーもー!」
枕元のティッシュをとって、ユノの汚れた顔を拭ってやった。
素直に顔をゆだねるユノが可愛くて、思わずキスしてしまった。
ユノの上品な鼻のてっぺんと、汗がにじむおでこにチュッチュッ、と。
僕の両手の間で、きらやかな一対が三日月型に細められた。
よかった...笑ってる。
「チャンミンは優しい添い寝屋だね」
「...そんな」
優しいだなんて言われたことは久しくなくて、照れてしまった。
(かつての僕は、かつての恋人に『優しい』とよく言われていた。それも遠い過去の話だ)
大胆になった僕は、ユノの髪を梳く。
ユノは「気持ちいい...」とつぶやいて、そのままじっとしているから、ますます可愛いと思えてしまった。
「あの後は、当然だけど大騒動だったよ。
全ての処理を終えた時、これまで以上に客をとった。
何百人もの客の目覚めを見届けても、俺の朝は訪れない。
俺の不眠がスタートしたのは、この頃からだ」
「夜じゃなくて、朝が?」
「夜でも朝でもどっちでもいいや。
そうだなぁ...夜でも朝でもない狭間で暮らしてるって感じかな。
隣で眠る客が目を覚まさなかったらどうしようって、眠るわけにもいかない。
睡魔に負けて眠ってしまったら、今度は俺の方が目覚めなくなってしまうかもしれない。
不眠の日々を積み重ねすぎていて、それを取り戻そうとしたりなんかしたら...眠りの世界に行ったきりになる」
ユノの恐れは極端過ぎだと思えた...でも、「悪いように考え過ぎだよ。もっと気を楽にして」だなんて、思わなかった。
「怖いんだね」
僕の鎖骨がじゅわっと熱いもの...ユノの涙で濡れた。
ユノの小さな頭をよしよし、と撫ぜた。
「深く愛し合う2人が羨ましかった。
悲劇を選んだ2人なのにね...おかしいよな」
ユノは寂しいのかな、と思った。
僕の方も、人のことを言えない。
僕もそう...寂しいのだ。
僕らは寂しい寂しい、添い寝屋だ。
寄り添い合って肌を重ねて、寂しさを慰め合っているだけなのだろうか。
・
「客の夜を引き受けて...どうして今のユノは平気でいられるの?」
仕事への向き合い方が、僕とは正反対のユノが心配になってきた。
「平気なものか。
心までは渡さない」
それを聞いてホッとした。
「ここにストーブがある。
ごうごうと勢いよく薪が燃えている。
距離をとっていれば、身体を温めてくれるし、心の緊張もほぐれる。
近づき過ぎたら火傷する。
誰もこの炎の中には飛び込めるはずはないんだ」
「......」
「あの時はホント、油断していた」
布団の中がサウナにいるみたいに耐えられない程、熱がこもっている。
汗をかくことなんてほとんどない僕でさえ、じわりと首の後ろが湿ってきた。
「あ...」
ユノの額に玉のような汗が浮いていた。
「...ユノ、辛いんでしょ?」
「...んー、ちょっとね。
チャンミン、俺にキスをして」
「キスなんてしたら、もっと熱くなる...」
ユノの乾いた唇が、言葉の語尾を覆いかぶせてしまった。
「...んんっ...」
それに応えて、舌と舌とをねっちりと重ね合わせた。
ユノの上顎から歯茎まで、丹念に舐め上げた。
積極的な自分に、ドキドキする。
僕の顎とうなじはユノの手に固定されて、逃れられない僕は彼のキスを受け止め続ける。
急くようなキスに圧倒されて、ユノの口腔に伸ばした舌が押し返されてしまった。
不意にユノから解放されて、口を開いたままの僕が取り残された。
あれ...?
「俺を抱きしめて」
パジャマの上をむしるように脱いだユノは、逞しい半身をさらした。
「冷やして。
お願い。
熱いんだ...チャンミンで冷やして」
切羽詰まったユノの声音に、僕は焦った。
「キスなんてするからだよ!
もー!」
こんなに苦し気なユノは3日間で初めてだった。
「冷やすよ。
冷やしてあげる」
僕の氷の身体が役に立つ時が来た。
身体に巻き付いていた毛布をはがした途端、ユノのしなやかな腕が伸びてきた。
僕を仰向けに押し倒して、ぴったりと半裸同士が重ね合った。
ユノの昂ったものが僕のそこに押しつけられる恰好となって、困ってしまう。
中心をずらせば、鼠径部にくっきりとユノのの形を感じとってしまって、もっと困ってしまった。
ユノは全体重を預けて僕にのっかっているし、まさか彼を押しのけることはできない。
だって、ユノにのしかかられて、ぬくぬくと温かいなぁ...って、この重みをもうしばらく感じていたいなぁって、思っていたから。
それならばと、腰を浮かせてユノのウエストを両脚で抱えこんでみたら、僕のお尻にそれが当たってしまって、もっともっと困ってしまった。
この恰好は、まるで...!
「チャンミン...『したい』の?
ヤル気が出たの?」
「えっと...えっと...そうじゃなくて!」
僕のものは、しょぼくれたまま。
ユノはいつも、僕をドギマギさせることを言う。
「ユノは黙って、大人しくしていろ!」
ユノの頭を胸に抱え込んだ。
僕の素肌が、沸騰したユノの体液を冷ますイメージを膨らませた。
熱い...。
ジュージュー音がしそうだ。
「水を...喉が渇いた」
突然、ユノは僕の胸から引きはがすように身体を起こしてしまった。
「どうしたの?」
「水、もらっていい?」
「ユノ!?
ふらふらだよ!」
ベッドから飛び降りて、ふらつきながら洗面所に向かうユノを追いかけた。
「水なら僕が持ってくるから!
ユノ!
横になってた方がいいよ!」
ユノには僕の呼びかけが聞こえないみたいだ。
「ユノ!」
おかしい...ユノが変だ。
...と思った時、ユノの膝がかくん、となって。
その場にパタリと崩れ落ちてしまった。
(つづく)
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