(10)Hug

 

 

 

「チャンミン」

 

コンロの前に陣取って、山菜の天ぷらを揚げるチャンミンの耳元でユノは囁く。

 

「何?」

 

額に汗をかきかき、油の匂いに酔ったチャンミンは不機嫌そうだ。

 

「チャンミン!」

 

ユノは、チャンミンの袖を引っぱる。

 

「危ない!

火傷しちゃうじゃないか!」

 

「チャンミンに、相談があるんだ」

 

「相談?

聞いてあげるから、どうぞ」

 

「いや...ここではちょっと...」

 

隣に立つユノは、もじもじしている。

 

「ここでは、話せないことなんだ」

 

「えー?」

 

「お願い!

ちょっとだけ」

 

申し訳なさそうに手を合わせるユノを、チャンミンは放っておけない。

 

「おばあちゃん、ここお願い。

すぐに戻ってくるから」

 

祖母カツに火の番を頼むと、チャンミンは渋々ユノについて台所を離れた。

 

「相談ごとって何?」

 

チャンミンは腕を組んで、ぶっきらぼうにユノに尋ねる。

 

「チャンミ~ン。

そんな怖い顔をしないでよ」

 

忙しい中、無理やり連れてこられたチャンミンは、なかなか話し出そうとしないユノにイライラする。

 

「チャンミン。

近くに薬局ってある?」

 

「薬局?

ユノ...まさか...!

お腹が痛いの?

食べ過ぎないで、ってあれほど言ったじゃないか」

 

空腹だったユノは帰宅するなり、セイコが作り置いたおにぎりを5個も平らげていた。

 

「違うって!」

 

ユノはずいとチャンミンに顔を近づけた。

 

「念のため、チャンミンに聞くんだけど。

チャンミンって、もしかして、もしかしての話。

アレって持ってないよね?」

 

「アレ?」

 

チャンミンはきょとんとする。

 

「アレだよ」

 

「アレ?」

 

「そう。

アレ」

 

「アレじゃ分かんないよ」

 

「そのー、『今夜』使うもの」

 

「......」

 

「持ってないよね?」

 

ユノの言う『アレ』が何だかを、チャンミンは悟る。

 

「も、持ってるわけないだろう!」

 

「持ってないの!?

持ち歩いてないと駄目じゃん!」

 

「も、持ち歩くって!?

そんなっ!」

 

ユノは腕を組んで、うーんとうなって目をつむる。

 

「困った。

『アレ』がないと、出来ない」

 

「相談事って、『そのこと』?」

 

「うん」

 

「信じられないよ!

薬局って、『そのこと』?」

 

「うん。

忘れてきちゃって。

ずっと前から用意していたのに、うちに置いてきたんだ」

 

「信じられないよ!」

 

「100歩譲って、『アレ』がなくてもいいけどさ...。

チャンミンは、『アッチ』のものは持って来てる?」

 

「......」

 

「『アッチ』っていうのは、チューブに入ってるヤツのことだよ。

チャンミン先生のことだから、持ってるよね?」

 

「......」

 

「ひゃぁ!

チャンミン先生、さっすが!

となると、足りないのは『アレ』だけか...」

 

ユノは鼻にしわをよせている。

 

「ねえねえ」

 

ユノに手招きされて、チャンミンは耳を貸す。

 

「チャンミンのお父さんって、持ってないよね?」

 

「馬鹿!

ユノの馬鹿!」

 

チャンミンは真っ赤になって、ユノの腕をつかんで揺する。

 

「冗談に決まってるだろう!」

 

「ユノ!」

 

はははっと笑ったユノは、すぐに真面目な表情になってチャンミンの耳元でささやく。

 

「今から、調達してくるよ。

車を貸してくれないかな?」

 

「ユノって『そのこと』しか考えていないわけ!?」

 

「うん。

俺は若くて健康な男だから」

 

しれっと答えるユノ。

 

「『アレ』がないと、今夜できないんだよ?

チャンミンも困るだろう?」

 

チャンミンはため息をつくと、額に手をのせてしばらく天井を見上げる。

 

(相談事っていうから、何だろうと思ったら。

まさか、そんなことだとは...。

この子ったら、予想外なことを言って僕を慌てさせるんだから!)

 

「母さんの車を使ったら?

鍵はついたままだから。

薬局は、ショッピングセンターの裏にあるよ」

 

「オッケ」

 

ひゅっと口笛を吹くと、ユノはチャンミンの額にキスをした。

 

「すぐに戻ってくるからさ」

 

勝手口から外へ出たユノが、すぐに戻ってきた。

 

「忘れ物?」

 

「1箱で足りるかな?」

 

「ユノ!」

 

「冗談だって。

いくら若くても、10回は無理」

 

目を細めて、緩んだ口元をこぶしで隠したユノは、可笑しくてたまらないといった風だ。

 

「じゃあね」とひらりと手を振って、出かけたかと思ったら、また引き返してきた。

 

「あのさ...ずーっと、気になってたことなんだけど」

 

「今度は何なの?」

 

「チャンミンって...どっち側?

ほら、俺って、こういうの分かんないから、さ」

 

「そ...それは...」

 

「ま、いいや。

今夜にどっちか分かるよね?

俺の予想だときっと...ふふふ」

 

「早く行け!」

 

「はいはーい、チャンミン先生」

 

ユノはニコニコ笑って、今度こそ出掛けていったのだった。

 

(ユノのペースに振りまわされてる!

年下のくせに!

年下のくせに!)

 

 

 


 

 

(疲れた...長い一日だった)

 

どっと疲れが出たユノ。

 

いざ薬局へと勇んで出かけようとしたら、ケンタたちに見つかってしまった。

 

「これでお菓子を買ってあげたら、おとなしくなるから」と、ヒトミから駄賃をもらってしまったユノ。

 

彼らを連れて一緒に出掛ける羽目になってしまった。

 

目を離すとどこかへ行ってしまうケンタたちを見張りながらの、大人な買い物は困難極まった。

 

(『アレ』ひとつ買うのに、こんなに苦労するとは!

 

紙袋に入った『アレ』が気になって仕方がないケンタ君たちの気を反らせるのに、こんなに冷汗をかくとは!)

 

 


 

 

「ねえ、チャンミン」

 

ユノは、ドアひとつ隔てた向こうへ声をかける。

 

「一緒にお風呂に入ってもいい?」

 

シャワーの音で聞こえないのか、返事はない。

 

ユノは脱衣所の床に、体育座りをしていた。

 

大家族の入浴タイムは、分刻みだ。

 

順番に次々と入らないと、日が暮れてしまう。

 

「俺はチャンミンの次に入ります」

 

と、チャンミンとの関係を隠す必要がなくなったユノは、大胆になっていた。

 

曇りガラスの戸の向こうに、肌色がちらちらしている。

 

ユノは、ごくりと唾を飲み込む。

 

(この扉の向こうに。

チャンミンの『裸体』が!)

 

「一緒に入ってもいいだろう?

チャンミン、ずるいよ。

俺は全てを見せたんだよ?」

 

(チャンミンの次の台詞は、分かるよ。

『今夜、見せてあげるから今は我慢して!』だろ?

ふふふ)

 

シャワーの音が止み、湯船にジャボンと浸かる音がした。

 

(お!

『せっかくだから、ユノも一緒に入る?』

だろ?)

 

「今からそっちへ行ってもいい?

公認の仲になったことだし」

 

パシャパシャと湯が跳ねる音がする。

 

「そっちに行っちゃうよー」

 

ユノは、急いで服を脱ぐ。

 

湯船から上がるザバっという水音がした。

 

(おー!)

 

曇りガラスに映る肌色が、近づいてきた。

 

(強引に連れ込まれて、か!?

...タイルの上じゃ身体が痛そう。

でも、風呂場でやるなんて...エッチだねぇ)

 

ユノの目は輝く。

 

ガラガラっとドアが開く。

 

 

 

 

「おらぁ!!!!!」

 

「!!!!!!!!」

 

 

 

「さっきから何ごちゃごちゃ言ってるんだ!」

 

「!!!!」

 

 

 

「ユノ!

そこにいたんだ」

 

脱衣所を覗いたのはトレーナー姿のチャンミン。

 

「今からみんなで、ドーナツを食べるんだけど?」

 

浴室で怖い顔をしたゲンタと、ユノを探しにきたチャンミンとを交互に見た後、ユノはわっと膝に顔を伏せてしまった。

 

「...ユノ。

なに裸になってるの?」

 

「どうしてチャンミンは、そこにいるんだよ!」

 

「ユノを呼びにきたんだ。

早いもの勝ちだから、好きな味を選んだ方がいいよって」

 

「どうしてチャンミンは、お風呂にいないんだよ!?」

 

「友達から電話がかかってきたから、おじいちゃんに先に入ってもらっただけ」

 

(俺はゲンタさん相手に、あんなこと話してたのか?

穴があったら入りたい...)

 

「うっうっうっ...」

 

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]