(3)大好きだった-Don’t Wanna Cry-

~Don’t Wanna Cry~

 

~ユンホ~

 

息せき切って目指すは、図書館。

図書館の前は小さな公園になっていて、大きな楓のたもとにベンチが置かれている。

足を組んで座って俺を待つのは、大好きだった人。

 

チャンミン!」

 

足音に気付いて顔を上げたチャンミンは、汗だくの俺を認めると、にっこりと笑った。

下がった眉、細めた目、目尻のしわ、大好きな大好きな笑顔。

 

「悪い!

帰り際に頼まれごとされちゃって」

「僕も今来たところです」

 

が差し出した手を握って、共に歩き出す。

人通りがほとんどない、等間隔に街路灯が並ぶ歩道を2人で歩く。

街路灯のオレンジ色に照らされる、の端正な横顔を横目に見る。

手を繋いで帰路につく。

男同士だけど、俺たちは全然気にしない。

俺の手を包み込む、温かく乾いたの手の平。

 

「...また痩せましたか?」

 

俺の歩幅に合わせて歩くが、口を開いた。

 

「気のせいだよ」

 

前を向いたまま俺は答えて、の手を握り返した。

 

「ちゃんと、ご飯食べてますか?」

「食べてるよ」

 

の方を振り向けない。

時おり走り過ぎる車のテールランプ、自動販売機が放つ白い光。

曇り空で星は見えない。

 

「手首が小枝みたいです」

 

俺の手を握るの指に、ギュッと力がこもった。

俺は何も答えられない。

 

「途中で、美味しいものを買っていきましょう」

 

が、腕を前後に振った。

の長い腕に、俺は前に後ろに振り回される。

 

「フラフラじゃないですか!

いっぱいご飯を食べましょう。

僕より華奢になってどうするんです?」

「...うーん」

 

不服そうにつぶやく。

の手が俺を繋ぎとめる。

強風が吹けば、俺はどこかへ行ってしまいそう。

大丈夫。

手は離さないから。

お前も離さないだろ?

 

 

「ちゃんと眠れていますか?」

 

しんと落ち着いた口調で、が尋ねた。

が口にするのは、いつも俺を案ずる言葉だ。

 

「寝坊するくらい、寝てるよ~」

ほんとうのことを言いたくなかった。

 

「嘘ですね。

そんな幽霊みたいな顔をして。

眠れてないんですね」

「そんなに心配なら、今夜も泊まっていけよ」

「いいんですか?」

 

の声は弾んでいる。

俺が誘わなくても、いつも泊まっていくくせに。

一緒に暮らそう計画を立てている途中だったのに。

俺は前を向いたままだったけど、の笑顔がどんなに輝いているか、見なくてもわかっている。

の笑顔は、俺を骨抜きにする。

高校生の時から交際していて、あれから10年も経つのにまだ好きで。

同い年なのになぜか敬語で、そんなの話し方が大好きで。

と目が合うと、未だに俺の胸はときめきでいっぱいになる。

お前がいてくれたら、俺は無力じゃない。

 

 

「そろそろ帰りますね」

 

後ろから俺を抱きしめていたは、身体を起こした。

俺ととの間で温められた空気が逃げてしまい、背中が急に寒々とした。

「もう?」

 

に見捨てられたかのような、すがるような眼をしてしまったのだと思う。

は、ふっと小さなため息をつく。

 

「そんな顔をしないでください。

仕方ないですね。

貴方が寝付くまで、帰りませんよ」

 

再び横になったは、俺の前髪を指ですく。

 

「貴方は僕がいないと、そんなに駄目になっちゃうんですか?」

 

の腕の中で、俺はこくりと頷いた。

ベッドに横たわったままの俺の目に、薄暗い室内の様子が映る。

テーブルの上には、ほとんど手がつけられず冷え切ってしまった料理が並んでいた。

幸せなのに、寂しくて。

 

 

の言う通り、痩せたかもしれない。

かなり痩せたかもしれない。

彼の言う通り、幽霊のような顔をしているのかもしれない。

眠れないんだ。

目が冴えて、何度も寝返りをうって、ようやくまどろむのは夜明け頃。

玄関ドアから外へ出ると、パチンとスイッチを入れて、「外の顔」を作って出勤していく。

食べたい欲が、眠りたい欲が消えてしまったみたいなんだ。

飯が美味しくない。

寝付けない。

俺は一体、どうしてしまったんだろう。

チャンミン、どうしたらいいんだろう?

 

 

小さなおにぎり1つが、俺にとって大盛りカツ丼くらいのボリュームに感じられる。

はちびちびとかじる俺を、じーっと見張っている。

 

「はい、よく噛んで。

少しずつでいいですから、飲み込んで」

 

ひと口食べるごとに、お茶を手渡してくれる。

 

「ほら、もうひと口。

あと少しですよ」

「うっ...」

 

胃の腑からせりあがってくる吐き気に耐えられず、トイレへ走る。

トイレにうつむき、大きく息を吐く。

えずいてもえずいても、ほとんど出ない。

当然だ、ほとんど食べていないんだから。

背後に立った

 

「ごめんなさい。

無理に食べさせた僕が悪かったです」

優しく背中をさすってくれる。

 

「苦しいですね。

僕が悪かったです」

 

俺の背をさすりながら、は何度も謝った。

どろどろになった顔をタオルで拭いていると、は冷蔵庫からゼリー飲料のパックをとってきて、俺に渡す。

 

「これならお腹に入るでしょう?」

 

キャップを開けられずにいると、は苦笑まじりのため息をついた。

 

「僕がいない時は、どうするんですか?」

 

キャップをひねる瞬間に、の手の甲に浮かんだ血管を見つめながら、俺は思う。

全く、その通りなんだ。

どうしたらいいんだろう?

そこだけ生気をはなつフィロデンドロンの鉢。

はマグカップに水を汲んで、フィロデンドロンの根元に注ぐ。

一度では覚えきれない突飛な名前だったから、言い間違えるたびは笑っていた。

人の手のような形をした大きな葉っぱ。

俺にプレゼントしてくれた鉢植え。

「じょうろを買わないといけませんね」と言いながら、買うタイミングを逃していた。

鉢植えの植物はね、鉢底から水が出るまでたっぷりやるんだぞ。

かつてした俺のアドバイス通りに、生真面目な顔をして丁寧に水やりをするを、見つめたのだった。

 

(つづく)