~Don’t Wanna Cry~
~ユンホ~
息せき切って目指すは、図書館。
図書館の前は小さな公園になっていて、大きな楓のたもとにベンチが置かれている。
足を組んで座って俺を待つのは、大好きだった人。
「チャンミン!」
足音に気付いて顔を上げたチャンミンは、汗だくの俺を認めると、にっこりと笑った。
下がった眉、細めた目、目尻のしわ、大好きな大好きな笑顔。
「悪い!
帰り際に頼まれごとされちゃって」
「僕も今来たところです」
彼が差し出した手を握って、共に歩き出す。
人通りがほとんどない、等間隔に街路灯が並ぶ歩道を2人で歩く。
街路灯のオレンジ色に照らされる、彼の端正な横顔を横目に見る。
手を繋いで帰路につく。
男同士だけど、俺たちは全然気にしない。
俺の手を包み込む、温かく乾いた彼の手の平。
「...また痩せましたか?」
俺の歩幅に合わせて歩く彼が、口を開いた。
「気のせいだよ」
前を向いたまま俺は答えて、彼の手を握り返した。
「ちゃんと、ご飯食べてますか?」
「食べてるよ」
彼の方を振り向けない。
時おり走り過ぎる車のテールランプ、自動販売機が放つ白い光。
曇り空で星は見えない。
「手首が小枝みたいです」
俺の手を握る彼の指に、ギュッと力がこもった。
俺は何も答えられない。
「途中で、美味しいものを買っていきましょう」
彼が、腕を前後に振った。
彼の長い腕に、俺は前に後ろに振り回される。
「フラフラじゃないですか!
いっぱいご飯を食べましょう。
僕より華奢になってどうするんです?」
「...うーん」
不服そうにつぶやく。
彼の手が俺を繋ぎとめる。
強風が吹けば、俺はどこかへ行ってしまいそう。
大丈夫。
手は離さないから。
お前も離さないだろ?
・
「ちゃんと眠れていますか?」
しんと落ち着いた口調で、彼が尋ねた。
彼が口にするのは、いつも俺を案ずる言葉だ。
「寝坊するくらい、寝てるよ~」
ほんとうのことを言いたくなかった。
「嘘ですね。
そんな幽霊みたいな顔をして。
眠れてないんですね」
「そんなに心配なら、今夜も泊まっていけよ」
「いいんですか?」
彼の声は弾んでいる。
俺が誘わなくても、いつも泊まっていくくせに。
一緒に暮らそう計画を立てている途中だったのに。
俺は前を向いたままだったけど、彼の笑顔がどんなに輝いているか、見なくてもわかっている。
彼の笑顔は、俺を骨抜きにする。
高校生の時から交際していて、あれから10年も経つのにまだ好きで。
同い年なのになぜか敬語で、そんな彼の話し方が大好きで。
彼と目が合うと、未だに俺の胸はときめきでいっぱいになる。
お前がいてくれたら、俺は無力じゃない。
・
「そろそろ帰りますね」
後ろから俺を抱きしめていた彼は、身体を起こした。
俺と彼との間で温められた空気が逃げてしまい、背中が急に寒々とした。
「もう?」
彼に見捨てられたかのような、すがるような眼をしてしまったのだと思う。
彼は、ふっと小さなため息をつく。
「そんな顔をしないでください。
仕方ないですね。
貴方が寝付くまで、帰りませんよ」
再び横になった彼は、俺の前髪を指ですく。
「貴方は僕がいないと、そんなに駄目になっちゃうんですか?」
彼の腕の中で、俺はこくりと頷いた。
ベッドに横たわったままの俺の目に、薄暗い室内の様子が映る。
テーブルの上には、ほとんど手がつけられず冷え切ってしまった料理が並んでいた。
幸せなのに、寂しくて。
・
彼の言う通り、痩せたかもしれない。
かなり痩せたかもしれない。
彼の言う通り、幽霊のような顔をしているのかもしれない。
眠れないんだ。
目が冴えて、何度も寝返りをうって、ようやくまどろむのは夜明け頃。
玄関ドアから外へ出ると、パチンとスイッチを入れて、「外の顔」を作って出勤していく。
食べたい欲が、眠りたい欲が消えてしまったみたいなんだ。
飯が美味しくない。
寝付けない。
俺は一体、どうしてしまったんだろう。
チャンミン、どうしたらいいんだろう?
・
小さなおにぎり1つが、俺にとって大盛りカツ丼くらいのボリュームに感じられる。
彼はちびちびとかじる俺を、じーっと見張っている。
「はい、よく噛んで。
少しずつでいいですから、飲み込んで」
ひと口食べるごとに、お茶を手渡してくれる。
「ほら、もうひと口。
あと少しですよ」
「うっ...」
胃の腑からせりあがってくる吐き気に耐えられず、トイレへ走る。
トイレにうつむき、大きく息を吐く。
えずいてもえずいても、ほとんど出ない。
当然だ、ほとんど食べていないんだから。
背後に立った彼。
「ごめんなさい。
無理に食べさせた僕が悪かったです」
優しく背中をさすってくれる。
「苦しいですね。
僕が悪かったです」
俺の背をさすりながら、彼は何度も謝った。
どろどろになった顔をタオルで拭いていると、彼は冷蔵庫からゼリー飲料のパックをとってきて、俺に渡す。
「これならお腹に入るでしょう?」
キャップを開けられずにいると、彼は苦笑まじりのため息をついた。
「僕がいない時は、どうするんですか?」
キャップをひねる瞬間に、彼の手の甲に浮かんだ血管を見つめながら、俺は思う。
全く、その通りなんだ。
どうしたらいいんだろう?
そこだけ生気をはなつフィロデンドロンの鉢。
彼はマグカップに水を汲んで、フィロデンドロンの根元に注ぐ。
一度では覚えきれない突飛な名前だったから、言い間違えるたび彼は笑っていた。
人の手のような形をした大きな葉っぱ。
俺にプレゼントしてくれた鉢植え。
「じょうろを買わないといけませんね」と言いながら、買うタイミングを逃していた。
鉢植えの植物はね、鉢底から水が出るまでたっぷりやるんだぞ。
かつてした俺のアドバイス通りに、生真面目な顔をして丁寧に水やりをする彼を、見つめたのだった。
(つづく)