~Don’t Wanna Cry~
~ユンホ~
「...ごめん」
チャンミンと繋いだ手が、汗ばんでいる。
「謝らないでください」
彼は手を離すと、俺の両肩に手を置いて覗き込んだ。
彼の顔は闇夜に包まれてしまって、表情はうかがえなかった。
「ごめん!」
涙が出そうなのをこらえる。
泣いたらいけない、涙はずるいから。
「ユノ...」
「ごめん。
いつかは言わなくちゃいけないと思ってた」
「ユノ...」
「ごめん。
お前はずっと、俺のそばにいてくれて...」
駄目だ。
涙を止められない。
「チャンミンは...っ...。
いっぱい...いっぱい...。
俺を支えてくれたのに...」
涙が次々とこぼれて、鼻水も出てきて、しゃくりあげてうまくしゃべれない。
「ずっと...ずっと...。
お前だけを好きでいたかったのに...。
本当に...ごめん!」
「違います!」
彼は大きな声を出すと、腕を伸ばして俺を引き寄せた。
「違うんです。
悪いのは、僕の方なんです」
彼は俺の首筋に頬を埋めると、吐き出すように言った。
「僕が貴方を引き留めていたんです」
・
あの日。
あの冬の日。
5年前。
冷たいみぞれ雪が降る夜。
こんな天気に、こんな時間に、カラスみたいな恰好の男を、公園で降ろしたタクシーの運転手さんはどう思っただろう。
池には薄氷が張っていた。
黒いコートも黒い靴も脱いだ。
黒いネクタイもむしり取った。
氷のように冷たい鉄柵をつかんで、上半身を乗り出した。
身体を痛めつけてやる、凍り付かせてやる。
空からぼたぼたと落ちる氷水が、黒いスーツをどんどん濡らしていった。
彼のいない人生なんて、想像がつかなかった。
自分の人生プランに、こんなイベントが起こるはずがなかった。
断じて受け入れたくない!
チャンミン。
チャンミン。
チャンミン!
どうして俺を置いていってしまったんだ?
続きを楽しみにしていたドラマも、まだ途中だぞ。
誕生日プレゼントは、もう用意してあるんだぞ。
一緒に暮らそうって、部屋を探してた時だったんだぞ。
どうして冷たくなってしまった?
そんな怖い顔していないで、笑えよ。
目を開けて「じろじろ見ないでください」って笑ってくれ。
笑えったら!
お前のいない人生なんて、あり得ない。
チャンミンの元に行きたい。
靴下履きの足を柵にかけた時、ぐいと腕を引っ張られた。
「何をやっているんですか!」
チャンミンが現れた。
チャンミンだ!
引き寄せられたチャンミンの胸が、頼もしくて温かくて。
「貴方は、僕がいないと駄目ですね」
俺が大好きだった、紺色のダッフルコートを着ていた。
「おうちへ帰りましょう」
そう言って彼は手を差し出した。
手を握るだけじゃ足りなくて、彼の首に腕を回して思いっきり抱きしめた。
首筋に鼻をくっつけて、彼の匂いを吸い込んだ。
よかった、温かい。
よかった、チャンミン生きていた。
よかった、チャンミンが戻ってきた。
それとも...。
俺は、あの世に行けたのかな。
あの世の彼に会えたのかな。
あの世で、彼と手を繋いでいるのかな。
どちらなのか分からなかった。
どちらでも嬉しかった。
幸せだった。
...けれども、心の底では分かっていた。
どちらもあり得ないのだと。
これは夢なのだ。
彼を恋焦がれる狂った精神が、亡霊を見せているのだと。
ところが、夢じゃなかった。
びっくりした。
最後に別れたあの図書館前に、チャンミンは待っていた。
行けば必ず、彼は待っていた。
そして、手を繋いで家に帰る。
彼と思い出話をたくさんして、彼の腕の中で眠りにつく。
そして、たった独りで朝を迎える。
俺の初めては、全部彼と経験した。
2人で数えきれないほどの初めてを味わって、一緒に笑って泣いた。
思い出話ばかりしていたら、過去の世界にとどまり続けるばかりで、先に進めないって?
いや。
そんなこと、なかった。
思い出話をすることで、昇華された。
彼との思い出を、少しずつ過去のことにしてゆけた。
夢じゃなく、確かに彼は存在した。
冷え切って固くなってしまった手じゃなかった。
温かな手で俺に触れていた。
俺の心がしゃんとするまで、彼は手を繋いでいてくれたんだ。
〜C〜
貴方を一人にできなくて、僕はいつまでも貴方のそばに居続けました。
どんどん痩せていくから心配で。
僕のせいで、貴方をこんな風に苦しめてしまって。
打ちのめされた貴方が元気になるまでは、見守ろうって決めたんです。
そのうち、欲がでてきたんです。
僕はずっとずっと、貴方の側にいたくなったんです。
離れがたかったのは、僕の方なんですよ。
でも、僕の役目は終わったようですね。
~ユンホ~
「貴方は、素敵な人です」
チャンミンは俺を抱きしめて、俺の頭を撫でながら言った。
「だから、貴方が好きになる人も、素敵な人です。
彼は...シムさんは悔しいですけど、僕よりずっといい男です」
顔を上げようとする俺を押さえるように、彼の腕に力がこもった。
「彼なら大丈夫です。
彼なら安心して、貴方を任せられます」
彼の大きくついた一呼吸に合わせて、彼の胸も上下に動いた。
「ほらぁ、泣かないで」
彼の親指で涙を拭われた。
「チャンミンこそ...泣くなって」
俺を抱きしめる腕をゆるめると、彼は顔を近づけた。
「僕の最期のお願いをきいてくれませんか?」
こくこくと頷いた。
「...キスしてもいいですか?」
大きく頷いた。
そっと唇が触れるだけの優しいキス。
少しだけ口を開けたら、彼の温かい舌が俺の舌にちょんと触れた。
俺の涙と、彼との涙が混じってしょっぱい味がした。
「このキスが、僕の生きる糧になります...。
って、生きるって言い方も変ですけどね」
ふふふっと彼は笑った。
・
チャンミン。
手を繋いでいてくれてありがとう。
俺が前に進めるようになるまで、5年間、側にいてくれてありがとう。
みぞれ雪の夜、俺を助けてくれてありがとう。
生きる道を、俺に残してくれてありがとう。
大好きだった。
めちゃくちゃ、大好きだった。
〜C〜
ユノ。
僕の大事な人。
僕は貴方のことは忘れません。
でも、貴方は僕のことを忘れてくださいね。
僕の手じゃなく、シムさんの手を握ってください。
全部忘れられたら、やっぱり寂しいので、1年に1度は僕のことを思い出して下さいね。
大好きでした。
ずっとずっと貴方が大好きでした。
(つづく)