~チャンミン~
テレビで見たんだ...僕みたいな者を『ただ飯喰い』だってさ。
お兄さんに甘えっぱなしだ。
「俺たちは主従関係にない」こと、「俺たちは対等だ」と、お兄さんがしつこくしつこく言い聞かせてくれても、僕は納得していない。
お兄さんに贈り物をしたくても、稼いでいない僕はお金を持っていない。
コンピューターもネット通販ができるだけ、文字も満足に読み書きできるレベルにないし、レジの機械も使えないから店番もできない。
僕ができるのは身体を売ることだけ。
ちら、っとその考えが浮かんでしまったことは、お兄さんに内緒だ。
僕はお兄さんにお返しがしたいんだ。
貰ってばかりの自分は嫌だと思った。
・
厳しい暑さのせいで深夜の散歩も見送りになる日が続いていた。
久しぶりの外出だった。
着替えた僕らは、超高速で落下するエレベーターに乗り込んだ。
世の中の少なくない人々が眠らずに活動している証拠に、眼下には大小さまざまなライトが散らばっていた。
どこに連れていってくれるのかな、と、隣に立つお兄さんの様子を窺った。
お兄さんのうつろな眼が気になった。
さっきまで、僕を食べたそうに熱々な眼をしていたのに、今のそれは夜景を通り越したところにある。
疲れてるのかな、それとも昔の仕事の話をしにくいのかな。
僕の質問、「どうしてあの店に来たのですか?
どうして『犬』を買おうと思ったのですか?」
僕をがっかりさせてしまうことを、お兄さんは恐れていた。
難しいことを尋ねてしまったんだと反省をしかけて、直ぐに止めた。
僕はその答えを聞かないといけないんだ。
マンションのエントランスホールは静寂そのもので、照明も一段階絞られていた。
住民が通り過ぎるだけに過ぎないスペースに、一抱えもある大きな花瓶に花が飾られている。
くつろぎ座っている姿を誰一人見たことない、メタルフレームで黒革張りのソファセット。
カウンターに常駐しているコンシェルジュが、僕らにわけ知り顔で会釈した。
無視するわけにはいかないと、立ち止まって頭を下げていると、僕の肘にお兄さんの手が添えられた。
お兄さんは僕の耳元で、「チャンミンのそういうところ、好きだよ」と囁いた。
耳に唇が触れそうなくらいに近いんだもの、恥ずかしくって背後のコンシェルジュの目が気になってしまった。
僕とお兄さんは毎日、えっちをしている恋人同士だってことを、今のでバレてしまったかな。
マンションの外へと出た僕らは、手を繋いだ。
明け方といっていい時間帯で、暑さは和らいでいて、ちょうどよい気温だった。
マンション前の歩道は、自動車が走行できるほど広々としている。
僕はお兄さんから手を離し、彼を先立って駆けていった。
両手を広げてくるくると回ったり、後ろ歩きしたり...幸せな気分が溢れてきて、じっとしていられなかったんだ。
はしゃぐ僕を、お兄さんは優しい眼差しを見守ってくれる。
でもね、えっちの時はお兄さんは豹の眼になるんだ...駄目だな、僕はえっちなことばかり考えている。
欲求不満なんだな、きっと。
お兄さんはゆったりとしたシャツに細身のコットンパンツを合わせ、足元はサンダル履きだった。
ポケットにはスマートフォンだけを突っ込んでいるだけで、僕は手ぶらだった。
お兄さんのスマートフォンは万能で、それがあればお腹が空いても足が疲れてしまっても心配はいらない。
「どこまで行きますか?」
いつものコースならオフィス街の方向なのが、今日の僕らは真逆の方へ向かっている。
お兄さんは歩くのがとても速い。
息が上がった僕に気づき、お兄さんはタクシーを捕まえた。
乗り込んだタクシーから見る景色に、僕の鼓動は早くなる。
この道は...。
僕らが向かっている先。
一度だけ通った道にも関わらず、僕ははっきりと覚えていた。
僕らはあの店がある裏通りへ向かっている。
汗ばんだ肌に心地よかった車内が、冷房が効きすぎると肌寒く感じられた。
両腿に置いた僕のこぶしを、義兄さんは包み込むよう握った。
温かい手だった。
「...どうして?」
「なぜあの店に行ったのか、その理由を教えてあげるためだ」
「...そう、でしたね」
ある嫌な考えを思いついてしまい、ここにきて自分がした質問を深く後悔した。
これまでずっと、その考えが頭をよぎらなかったことが不思議だった。
...お兄さんは『犬』を買ってえっちをするのが好きな人なのかもしれない。
僕がいた店の半分以上は『常連さん』で、気に入りの『犬』を指名して買うのだ。
僕がいた店に来るのは初めてでも、この手の他の店では常連さんだったかもしれないのだ。
喉に不快感がつっかえて、胸が苦しくなった。
(つづく)
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