(25)あなたのものになりたい

 

 

~ユノ~

 

チャンミンはこのドアを開け、俺を追いかけてきた。

 

「お兄さん!」と背後から呼ばれてすぐに、俺は立ち止まった。

 

追いかけられることを、実は期待していた。

 

振り向いた先に、自由へと放したばかりの『犬』がいて、安堵と喜びの感情が押し寄せてきたのだ。

 

 

 

 

ところがその数か月後。

 

その安堵と喜びを手放さなければならない状況に、自ら陥った。

 

黙っていてもよかった。

 

愛する者には多くのことを知って欲しいと望む、俺の身勝手さが口を割った。

 

多くを語らず、人を寄せつけず、独りで生きてゆく...これまでの俺の生き方であり、これまでの理想像だった。

 

チャンミンに判断をゆだねていた。

 

チャンミンはその場で立ち尽くしていた。

 

当然だ。

 

思いがけない告白。

 

いわば囚われの身となっていたその場所に、俺が関わっていたことを初めて知ったのだ。

 

「『古巣』と言ったように、俺もこの店で『犬』をしていた」

 

畳み掛けるように、情報を追加した。

 

「......」

 

視線の行方も表情の変化も、吐息も全部、注意深く見守っていた。

 

チャンミンは店内を歩き回り始めた。

 

ライトの落ちた水槽に手を滑らせながら、店の奥へと歩いていく。

 

この店は間口は狭いが、奥行きある間取りをしている。

 

あの夜、店内は煌々と水槽の中で灯されたライトで明るく、熱帯魚専門店のようだったと思ったのだった。

 

俺がいた時よりもスペースに余裕があって格段にマシになっていた...人間を閉じ込める行為にマシもクソもないが...。

 

奥行き10メートルほどの店内に、通路を挟んで両側に水槽が奥へと並んでいる。

 

一番突き当りにライトアップもスペースも、大きく差をつけた水槽がある。

 

店一番の『犬』であったチャンミンはそこにいた。

 

俺の気を引こうと中指を立てていた。

 

当時の挑戦的だった眼の色も、今じゃ穏やかなものにと変わっていた。

 

GPS付きの黒革の首輪が、宝石付きのチョーカーへと代わっていた。

 

青白い肌もこんがりと焼けて、健康的になっていた。

 

チャンミンはガラスに額を付け、自身を閉じ込めていた水槽の中を覗き込んでいる。

 

床に敷き詰めた白いファーも薄汚く見え、廃業したペットショップの陳列ケースのようでうら寂しい。

 

チャンミンがいなくなった後、店一番へ格上げになった『犬』はいたのだろうか。

 

なんと悲壮な場所だろう。

 

俺はこの後、チャンミンから何を言れようと、全て受け止めると心に決めていた。

 

質問には残らず答え、弁解もしないと。

 

 

予想している展開はあった。

 

「お兄さんにはがっかりです」

 

客として店の個室で体面した時のように、小馬鹿にした醒めた眼で、俺を睨みつけるだろう。

 

怒りの眼だったらまだマシだ。

 

嫌悪の眼、不信の眼だったら辛いな、と思った。

 

「お兄さんは、サイテーです。

いい人ぶりたかったんですか?

突然自由にされて、『犬』たちは大きなお世話ですよ?」

 

「そうだ、すべては俺のエゴだ」と答えるしかないだろう。

 

そして、チャンミンは俺のもとを出ていってしまうだろう。

 

誰かの庇護の元じゃないと、生き抜いていけないくせに。

 

チャンミンはまだまだ、野生に戻れないのだ。

 

誰かに拾われて『犬』に類する身分に逆戻りするか、野垂れ死ぬか。

 

最低限の常識を身につけさせ、カタコトの外国人並みでもいいから文字を覚えさせ、体力をつけさせる。

 

俺がいなくてもぎりぎり生きてゆけるようになるまでは、そばに置いて守ってやらないと。

 

俺の元を離れていってしまうなら、十分な金も持たせてやろう。

 

豪遊の末、1か月も経たないうちに残高が底をつくような、そんな金の使い方はチャンミンはしないから大丈夫だ。

 

俺がチャンミンのためにやれるものは、金しかない。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

お兄さんは僕がどんな反応を見せるのか、ドキドキしながら待っている。

 

そりゃあ、びっくりしたよ。

 

僕はお兄さんが心配しているほど、弱っちい男じゃないんだ。

 

タフなんだ。

 

タフじゃなければ、店一番の『犬』の座をキープできないよ。

 

真実を知りショックを受け、裏切られたような気持ちを抱いてしまう僕を、お兄さんは予想している。

 

あのね、僕は分かったんだ。

 

今まで内緒にしてきたお兄さん。

 

僕がショックを受けることを心配しているお兄さん。

 

僕がどんな反応を示すのか、固唾をのんで待っているお兄さん。

 

お兄さんこそ、優しく繊細な心の持ち主なんだ。

 

優しい心を持っているから、僕のことを心配できるんだ...僕なんかよりずっと。

 

僕は平気だよ、と早く教えてあげないと。

 

レジカウンターの横に立ち尽くすお兄さんのもとへ歩み寄り、僕は彼に抱きついた。

 

 

(つづく)

 

 

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