~ユノ~
果てた後の数十秒、俺たちは抱きしめ合ったまま静止していた。
仰向け寝のチャンミンは、俺の腰に両足をぶら下がらんばかりに絡めたまま、俺は彼の頭を胸にかき抱いていた。
互いの吐息、呻きと喘ぎしか聞き取っていなかった俺の耳は正常に戻る。
空調も作動していない地下の一室は、しんと静まり返っている。
「...起き上がれるか?」
身体を起こそうとするチャンミンの腕を引っ張ってやる。
「はい...あっ!」
チャンミンは床に足がつくなり、体勢を崩してしまったのは、今さっきの行為で腰が抜けたせいだ。
「おかしいですね?
足が...フラフラです。
あははは...運動不足なのかな?」
首を傾げて照れ笑いをするチャンミンが可愛らしくて、タックルするように引き寄た頭を、くしゃくしゃと撫ぜた。
「お兄さんったら...僕を犬みたいに撫ぜるんですから」
チャンミンと出会った時から感心していることがある。
チャンミンの口から出る『犬』というワードには一切、意味深さがないのだ。
確かに『犬』であったことを卑下したり、恥だと感じていることは、言葉の端々から伝わってくる。
もっとも、チャンミンの心情をわざわざ想像しなくても、俺たちの過去は黒歴史、消し去りたいものだ。
俺とチャンミンとでは、『犬』時代の捉え方が大きく異なっている。
チャンミンは過去や現在を問わず、自分を取り巻く状況や立場をありのままに、素直に受け入れるタイプだ。
だから、『犬』のワードに気色ばんだりせず、そのままの意味で「犬みたいに撫ぜるんですから」なんて台詞が言えるのだ。
もし俺だったら...俺の過去を全く知らない者であってもいい思いはしないし、知っている者だったら尚更、俺を揶揄しているのか?貶めるのか?と気色ばんだ反応を見せていただろう。
・
足元おぼつかないチャンミンに肩を貸し、地上への階段をのぼった。
今日のセックスは場所がいけなかった...大いに煽られた。
結果、加減を見失って攻め立ててしまい、チャンミンにはかなり無理をさせたかもしれない。
「辛いか?」
「平気です。
僕のあそこは頑丈にできていますから」
ほら、まただ。
これまで何度、過去を匂わせる台詞をたしなめてきたことか。
ところがチャンミンを深く知っていくうち、これらの台詞には僻みの気持ちは一切ないことが分かってきた。
この素直さがチャンミンを守り、精神を病むことなく俺の隣で無邪気な笑顔を見せてくれている。
このあたりの機微を読み取れるようになった俺は、いかに日頃からチャンミンを見つめてきたのか、自分でも驚いてしまうのだ。
・
チャンミンの身体は汗だけじゃなく、自身が放ったものでべたついていた。
ボイラーを切ってあるため、あいにくシャワールームは使えない。
着替えるチャンミンを待つ間、俺は店内をぶらついていた。
「お兄さん」とチャンミンに呼ばれ、「大丈夫か?」と俺は彼の元に駆け寄った。
なぜなら、下着に足を通そうと身をかがめた姿勢で静止していたからだ。
ところが、「ここ...みてください」とチャンミンの指が指し示す箇所に俺は苦笑した。
「お尻の力を入れていないと...ほら、出てきちゃいます」
濃厚で刺激的なセックスの十数分後には、今のような際どい台詞でもう一度俺を煽るのだ。
俺はチャンミンの尻を、ひたひた軽く叩いた。
「家に帰ったらかき出してやるからな」
「じゃあ、頑張って力をいれておきます」
チャンミンとは、俺を全身で慕う純朴な犬であり、俺をドギマギさせる小悪魔でもあるのだ。
・
帰りのタクシーの中で、俺はチャンミンに語っていた。
「あの店の『犬』たちに...俺は恨まれているだろうね。
あの店にいれば衣食住は保証されていたのに、俺は世間をろくに知らない、帰る家もない彼らを、野に放した。
以前、似たような会話をしたね...ありがた迷惑だって。
だから、恨まれた結果、何かが起こっても仕方ないと覚悟はしているよ。
心配しなくて大丈夫だ、怖い顔をしないで。
十分すぎる保証はしたから」
「...それなら、いいですけど」
「俺は店も『犬』も全部、所有した。
囚われの身でいることを、憐れんでしまった俺のエゴが招いたことだ。
エゴだらけだ、俺のすることは...」
「...エゴ」
「そうだ。
エゴというのは...自分のことが偉いと思う気持ちを意味する。
そしてね、俺がやったことははた目から見ると、偽善に満ちているんだ。
チャンミンを自由にしてやりたかったから買い取った。
それよりもっと大きな動機があるんだよ」
「...それは?」
「チャンミンを守ってやりたい、と思ったんだ。
どうしてか、って?
あの夜のチャンミンは俺の目には、弱弱しく映っていたんだ。
中指立ててたのに、だぞ?
でも、チャンミンと暮らすうち、『守ってやる』という表現は正確じゃないと気付いた」
「教えてください。
僕が喜ぶことですよね?」
「そうだ。
ほら、今、笑っているだろ?
俺がチャンミンのために何かした時。
お前の反応を見るのが楽しみなんだ」
「気に入らなくて、不貞腐れたり怒ったりしたじゃないですか?
お兄さん、お節介焼きだし、ありがた迷惑なことするし...」
「笑ってくれるに越したことはないけれど...チャンミンのリアクションの全てが面白い。
チャンミンをお買取りしたのは、それが理由だ。
お前のいろんな表情を見たかった。
...一緒に暮らしたかったんだ」
「ふんだ。
僕を置いて出て行ったくせに」
「それは...恥ずかしかったからだよ」
「なんですか、それ?」
(つづく)
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