(30)あなたのものになりたい

 

 

~ユノ~

 

果てた後の数十秒、俺たちは抱きしめ合ったまま静止していた。

 

仰向け寝のチャンミンは、俺の腰に両足をぶら下がらんばかりに絡めたまま、俺は彼の頭を胸にかき抱いていた。

 

互いの吐息、呻きと喘ぎしか聞き取っていなかった俺の耳は正常に戻る。

 

空調も作動していない地下の一室は、しんと静まり返っている。

 

「...起き上がれるか?」

 

身体を起こそうとするチャンミンの腕を引っ張ってやる。

 

「はい...あっ!」

 

チャンミンは床に足がつくなり、体勢を崩してしまったのは、今さっきの行為で腰が抜けたせいだ。

 

「おかしいですね?

足が...フラフラです。

あははは...運動不足なのかな?」

 

首を傾げて照れ笑いをするチャンミンが可愛らしくて、タックルするように引き寄た頭を、くしゃくしゃと撫ぜた。

 

「お兄さんったら...僕を犬みたいに撫ぜるんですから」

 

チャンミンと出会った時から感心していることがある。

 

チャンミンの口から出る『犬』というワードには一切、意味深さがないのだ。

 

確かに『犬』であったことを卑下したり、恥だと感じていることは、言葉の端々から伝わってくる。

 

もっとも、チャンミンの心情をわざわざ想像しなくても、俺たちの過去は黒歴史、消し去りたいものだ。

 

俺とチャンミンとでは、『犬』時代の捉え方が大きく異なっている。

 

チャンミンは過去や現在を問わず、自分を取り巻く状況や立場をありのままに、素直に受け入れるタイプだ。

 

だから、『犬』のワードに気色ばんだりせず、そのままの意味で「犬みたいに撫ぜるんですから」なんて台詞が言えるのだ。

 

もし俺だったら...俺の過去を全く知らない者であってもいい思いはしないし、知っている者だったら尚更、俺を揶揄しているのか?貶めるのか?と気色ばんだ反応を見せていただろう。

 

 

足元おぼつかないチャンミンに肩を貸し、地上への階段をのぼった。

 

今日のセックスは場所がいけなかった...大いに煽られた。

 

結果、加減を見失って攻め立ててしまい、チャンミンにはかなり無理をさせたかもしれない。

 

「辛いか?」

 

「平気です。

僕のあそこは頑丈にできていますから」

 

ほら、まただ。

 

これまで何度、過去を匂わせる台詞をたしなめてきたことか。

 

ところがチャンミンを深く知っていくうち、これらの台詞には僻みの気持ちは一切ないことが分かってきた。

 

この素直さがチャンミンを守り、精神を病むことなく俺の隣で無邪気な笑顔を見せてくれている。

 

このあたりの機微を読み取れるようになった俺は、いかに日頃からチャンミンを見つめてきたのか、自分でも驚いてしまうのだ。

 

 

チャンミンの身体は汗だけじゃなく、自身が放ったものでべたついていた。

 

ボイラーを切ってあるため、あいにくシャワールームは使えない。

 

着替えるチャンミンを待つ間、俺は店内をぶらついていた。

 

「お兄さん」とチャンミンに呼ばれ、「大丈夫か?」と俺は彼の元に駆け寄った。

 

なぜなら、下着に足を通そうと身をかがめた姿勢で静止していたからだ。

 

ところが、「ここ...みてください」とチャンミンの指が指し示す箇所に俺は苦笑した。

 

「お尻の力を入れていないと...ほら、出てきちゃいます」

 

濃厚で刺激的なセックスの十数分後には、今のような際どい台詞でもう一度俺を煽るのだ。

 

俺はチャンミンの尻を、ひたひた軽く叩いた。

 

「家に帰ったらかき出してやるからな」

 

「じゃあ、頑張って力をいれておきます」

 

チャンミンとは、俺を全身で慕う純朴な犬であり、俺をドギマギさせる小悪魔でもあるのだ。

 

 

帰りのタクシーの中で、俺はチャンミンに語っていた。

 

「あの店の『犬』たちに...俺は恨まれているだろうね。

あの店にいれば衣食住は保証されていたのに、俺は世間をろくに知らない、帰る家もない彼らを、野に放した。

以前、似たような会話をしたね...ありがた迷惑だって。

だから、恨まれた結果、何かが起こっても仕方ないと覚悟はしているよ。

心配しなくて大丈夫だ、怖い顔をしないで。

十分すぎる保証はしたから」

 

「...それなら、いいですけど」

 

「俺は店も『犬』も全部、所有した。

囚われの身でいることを、憐れんでしまった俺のエゴが招いたことだ。

エゴだらけだ、俺のすることは...」

 

「...エゴ」

 

「そうだ。

エゴというのは...自分のことが偉いと思う気持ちを意味する。

そしてね、俺がやったことははた目から見ると、偽善に満ちているんだ。

チャンミンを自由にしてやりたかったから買い取った。

それよりもっと大きな動機があるんだよ」

 

「...それは?」

 

「チャンミンを守ってやりたい、と思ったんだ。

どうしてか、って?

あの夜のチャンミンは俺の目には、弱弱しく映っていたんだ。

中指立ててたのに、だぞ?

でも、チャンミンと暮らすうち、『守ってやる』という表現は正確じゃないと気付いた」

 

「教えてください。

僕が喜ぶことですよね?」

 

「そうだ。

ほら、今、笑っているだろ?

俺がチャンミンのために何かした時。

お前の反応を見るのが楽しみなんだ」

 

「気に入らなくて、不貞腐れたり怒ったりしたじゃないですか?

お兄さん、お節介焼きだし、ありがた迷惑なことするし...」

 

「笑ってくれるに越したことはないけれど...チャンミンのリアクションの全てが面白い。

チャンミンをお買取りしたのは、それが理由だ。

お前のいろんな表情を見たかった。

...一緒に暮らしたかったんだ」

 

「ふんだ。

僕を置いて出て行ったくせに」

 

「それは...恥ずかしかったからだよ」

 

「なんですか、それ?」

 

 

(つづく)

 

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