(最終話)あなたのものになりたい

 

 

~ユノ~

 

 

チャンミンは、朝からキッチンでガチャガチャと忙しそうにしている。

 

予定通り誕生日パーティを開催するのだという。

 

俺を一人にしておけないからと、買い出しには出掛けず、冷蔵庫と食糧庫にあるもので料理を作ることにしたらしい。

 

手伝いを買ってでると、「誕生日の主役は座っていてください」と追い払う。

 

「チャンミンも主役だよ?」と言うと、「お兄さんはけが人だから寝ていてください」と返された。

 

「チャンミンもけが人じゃないか」とツッコむと、チャンミンは「お兄さんは先輩で、僕は後輩です。先輩はふんぞり返っていてください」と、「あっち行け」とばかりに、フライパン返しを振った。

 

俺の怪我は、というと、額の上を数針縫い、切れた口角と目の下は絆創膏で、肩と腹回りの打撲傷は湿布でと、大ごとにならずに済んだ。

 

治療を受けた診療所で、喧嘩傷のワケをしつこく尋ねられて、言い逃れに苦労した。

 

額の傷は、倒れた際に廃棄家電にぶつけてできたもので、俺は喧嘩の経験はないが、彼らのこぶしと蹴りに躊躇があったと思う。

 

その気がある者だったら、この程度の怪我ですまなかった。

 

チャンミンは脇腹に痣を作っただけで済んだことに、ホッとしていた。

 

従僕な犬の目をした優しいチャンミンが喧嘩傷とは...似合わないし、もう二度と負わせたくない。

 

 

料理が完成したのは夕方6時で、かれこれ8時間かかったことになる。

 

チャンミンはテーブルにクロスを敷き、ろうそくを灯した。

 

「お兄さん...どうぞ」と、椅子を引いて俺を座らせた。

 

皮で繋がったトマト、生煮えのジャガイモ、焦げた鶏肉、水浸しのサラダ。

 

口内を切った俺のために薄味だった。

 

決して旨いとはいえない料理だが、そこにはチャンミンの愛がつまっている。

 

グラスに水を注ぐ際、肩がずきりと痛み、顔をしかめた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ごめんな、こんなことになって」

 

「いいえ。

お兄さんにばかり背負わせてしまってごめんなさい」

 

「いいや。

チャンミンのおかげだ。

俺一人ではできなかった」

 

「僕、頑張ったんですよ」

 

「全くだ。

チャンミンは凄いね。

ありがとう」

 

「えへへへ。

映画みたいでした」

 

 

チャンミンの大冒険の顛末はこうだ。

 

チャンミンは昨日、買い主の甥に会いにいったのだという。

 

俺のスマホを盗み見て、甥の連絡先は知っていた。

 

そして俺のフリ...つまり、孫本人のフリをして連絡を取ったのだとか。

 

そして昨日、チャンミンはスーツを着て出かけた。

 

甥は買い主の孫の顔を知らないことを、チャンミンは知っていたため、作戦は上手くいくと自信があった。

 

中途半端な額では満足しないだろうから、かなりまとまった金が必要だろうと推測していた。

 

そこでチャンミンは、自分自身ができる限りの方法で俺を助けようとしたのだ。

 

...俺がかつて贈ったチョーカーだ。

 

目の玉が飛び出るほどの価値がある、ダイヤモンドのチャームが付いている。

 

俺がいなくてもひとりで生きてゆけるようにと、祈りをこめて贈ったものだった。

 

それをチャンミン曰く、「金のモージャ」にちらつかせ、惜しげなくくれてやった。

 

「『二度と近づくな』と念をおしたのですが、言うことをきくかどうかは分かりませんけどね」と、チャンミンは肩をすくめていた。

 

これが全て。

 

単純な解決法だった。

 

これが「何もかも終わらせた」の台詞の意味だ。

 

これで俺とチャンミンの平穏な生活を邪魔する騒音はなくなるだろう。

 

 

一帯を買収する計画が浮かんだ時に所有者を調べたところ、あの店の他、斜め向かいの店も甥の持ち物だった。

 

嫌がらせと言う反撃は、甥の方からくるか、あの地で生計を立てていた者からくるか、襲撃を受けるまで予想がつかなかった。

 

あそこはアングラな場所で、次々と買収されたことに黙っていられない者も多い。

 

自由を恐れ、自由を不都合だと感じる者もいる。

 

昨日の暴力は腹いせと、いらだちのぶつけどころが欲しかっただけの暴力だ。

 

近いうちに補償金が彼らの手に渡る。

 

うまい使い方をすれば、一般的社会人のレールに戻れるようになるだろう。

 

使い方は彼ら次第だ。

 

次に、甥との問題だ。

 

彼に直接金をやるのは癪だった俺は、不動産を購入することで、彼に金が渡る方法をとった。

 

俺はあまり出歩かない方がよいと判断し、仲介者としてアシスタントの彼女に動いてもらっていた。

 

出向く必要がある時は、俺は俺の仲介者を装った。

 

相場をはるかに超える額で買った。

 

もちろん彼は、買い主が俺だと知っている。

 

相続した金を今回の件で使い果たしてしまったため、今後、せびられてもまとまった金はもう出せない。

 

 

「一から稼げばいいさ」

 

「チョーカーを渡してしまって、ごめんなさい。

あれがあれば、生活してゆけたのに...」

 

チャンミンはしょぼりとしている。

 

「チャンミンがしたことは、大正解だったんだよ。

手放さないといけない物だったんだ。

もともとは買い主の金で買ったものだからね。

これでキレイさっぱり、無くなった」

 

「僕...一生懸命、働きます」

 

「ははは、その心配はいらないよ。

買い主の金だけじゃとてもとても、あれだけの不動産は手に入れられなかったよ。

相続後に殖やしたたんだ。

殖やすのが得意なんだ」

 

俺はこめかみをつついてみせた。

 

「なんてったって、俺は金のモージャだからね」

 

「じゃあ、この部屋は出て行かなくて済むんですね?」

 

「もちろん。

チャンミンの屋上庭園もそのままだ」

 

「よかった~。

今年はキウイの木を植えてみたかったんです」

 

チャンミンのはじける笑顔。

 

「いっそのことジャングルにしちゃえ」

 

俺たちは大笑いした。

 

 

食後のデザートは、イチゴのリキュールを煮詰めたソースをバニラアイスクリームにかけたものだった。

 

怪我をしていたため、アルコールは禁止だ。

 

「あの土地はどうするつもりなのですか?」

 

「あそこは...更地のままにしておくよ」

 

「勿体なくないですか?」

 

「何も無いことが大事なんだ。

『無い』ことの象徴だ」

 

「ふ~ん。

お兄さんの言うことはいつも難しいです」

 

「そんなことより...」

 

チャンミンに教えてあげたいことがあった。

 

「俺が名前と存在を失った経緯を教えてあげる。

『犬』になってしまった理由については、まだ話していなかったね」

 

「はい」

 

「俺とチャンミンがいた店...俺がぶっ壊した店。

あの店に来た時に、俺は無き者とされたって、以前話したよね?

じゃあ、あの店に来る羽目になった理由は何だと思う?

びっくりするよ」

 

「え...なんでしょう」

 

「あの店に来る前、俺は別の店に居たんだ。

その別の店というのは...。

実は...俺の家族が経営していた店だったんだ」

 

「えっ...!」

 

「うちの店がヤバいことになって...俺は売り飛ばされちゃったわけ」

 

「......」

 

「存在を剥奪されたっていうのかな...つまり、死んだってことさ。

そうすれば、『犬』にしやすい。

俺は、『犬』を飼った経験も、『犬』になった経験も両方ある人間だった」

 

「飼ったのは、お兄さんの家族がでしょう?

お兄さんは悪くないです」

 

チャンミンは半泣き顔で、俺から目を反らさなかった。

 

「これで俺の過去は全部話したよ。

なぜ『犬』になる羽目になったのか。

身請けされた理由。

大金持ちになった理由」

 

「じゃあ...家族は?」

 

俺は手を伸ばし、テーブル越しにチャンミンの頬を指の背で撫ぜた。

 

「俺の家族は、チャンミンだけだよ」

 

チャンミンのまぶたがふるふると震えていて、今すぐ涙がこぼれそうだ。

 

「僕と同じこと言ってますね。

ふふふ...嬉しいです」

 

笑って目を細めたせいで、涙がつーっとチャンミンの頬をつたった。

 

「チャンミン」

 

俺は立ち上がり、泥だらけのバッグから一通の封筒を取り出した。

 

封筒から出した例の書類を、チャンミンの前で広げた。

 

昨日、役所で貰ってきたものだ。

 

「...これ?」

 

「読んでみて?」

 

「こ...ん...い...んと...どけ?

なんですか、これ?」

 

「もう一回、しっかり読んでみて?」

 

「こん...いん...とど...け」

 

チャンミンは記載された文字を、ぶつぶつと繰り返し音読した。

 

「!!」

 

ようやく言葉と意味が繋がったらしい。

 

「!!!」

 

絶句したチャンミンは、目を真ん丸にして、片手で口を覆っている。

 

俺はチャンミンの足元で膝まずいた。

 

「これが...チャンミンへの誕生日プレゼント。

喜んでもらえるかわからないけど...?」

 

チャンミンは固まっている。

 

「......」

 

「チャンミン、俺のものになってくれる?

これは正式なお願いだよ」

 

チャンミンは椅子から立つと、俺の真正面でちょこんと正座をした。

 

「お兄さんったら、僕の計画を壊してくれましたね」

 

「?」

 

「リボンを結ぶつもりだったのに!」

 

「リボン?」

 

「首にね、赤いリボンを付けて、僕をプレゼントするつもりだったんです。

そして、こう言うつもりだったんです。

『お兄さんに僕をあげます』って。

もぉ!

僕の計画を先回りしないでくださいよ~」

 

「ねえ、チャンミン。

俺、凄いことをチャンミンに言ったんだよ?

その紙の意味、分かってる?」

 

ぴたっとチャンミンの動きが止まった。

 

「お兄さんばっかりズルいです!

僕を喜ばせすぎです」

 

チャンミンは勢いよく俺に抱きついてきた。

 

「...っ」

 

脇腹の打撲傷が、ズキっと痛んだ。

 

「嬉しすぎて、何て言ったらいいか分かりません」

 

正座したまま俺にしがみつく、チャンミンの丸まった背中を撫ぜた。

 

手の平に感じる背骨の凸凹が愛しかった。

 

チャンミンのすべてが愛しかった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

お兄さんと出会ってどれくらい経ったのかな。

 

暖房が効きすぎた部屋から、バルコニーへと出て、熱くなった顔を冷やしていた。

 

そして、天を見上げると星空が広がっていて、瞬く星に純粋に感動した。

 

これまでの僕はずっと、お兄さんだけを見つめていた。

 

素晴らしい四季の景色に感動してはいたけれど、夜空を真上に見上げたことは無かったかもしれない。

 

お兄さんとの暮らしは幸福で充ち溢れていた。

 

でも、「いつか失ってしまうのでは」という不安がつきまとっていて、お兄さんから目が離せなかった。

 

今、僕らは手すりにもたれ手を繋ぎ合っていた。

 

お兄さんの手に繋がれた僕は安心して、空を見上げることができる。

 

「チャンミンと旅行に行ってみたいなぁ。

俺も『犬』以外の仕事をしたことがない世間知らずだ。

沢山のことを、チャンミンと経験したい」

 

「僕もです」

 

「チャンミン」

 

「はい」

 

お兄さんに抱き寄せられた。

 

「俺をチャンミンのものにしてくれる?」

 

「.....お兄さん?」

 

「俺...俺のすべてはチャンミンだ。

俺はチャンミンのものになりたい」

 

「はい。

お兄さんは僕だけのものです」

 

僕はお兄さんの背中を追いかけて。

 

追いつかれて、お兄さんはどこかほっとした顔をしていて。

 

自由になった僕らは手を繋ぐ。

 

夢が叶って幸せ過ぎて、胸が苦しい。

 

初めて出逢った日から願っていたこと。

 

ずっとずっと願っていたこと。

 

あなたのものになりたい。

 

むき出しの僕の首に、お兄さんのキスが落とされた。

 

 

(おしまい)

 

 

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