チャンミンとエム女史に背を向けた時点で、民は後悔していた。
子供じみた言動が恥ずかしくてたまらない。
(馬っ鹿じゃないの!)
自分の頭をポカスカ殴りたかった。
背中を向けた以上、引っ込みがつかなくなって、エレベータへと1歩1歩踏みしめる足取りもフリだった。
(チャンミンさん、大人げない私を放っておいてください)
民に関しては正常でいられないチャンミンが、彼女を追ってきても仕方がない。
「民ちゃん!」
親し気に民を呼ぶチャンミンに、エム女史は「友人同士か何かかしら?」程度の関心しかなかった。
まさか二人が恋人同士とは露ほどにも思いつかなかったのは、すべて民のルックスにある。
チャンミンと異常なほど似ている男顔であること、長身で凹凸の少ない体形であること。
(兄弟ではないと言っていたけれど...。
それにしても、子供っぽい人ね。
ま、私には関係ないけれど)
平凡そうな性格のチャンミンは、分かりやすい女性らしさを好むタイプなのでは?と、エム女史は判断していた。
(以前は彼女がいるとかで断られてしまったけれど、噂によると同棲状態を解消して、今は独り暮らしだというから...チャンス到来だわ)
だからか、エレベータの扉の前でへの字口になった民を覗き込み、なだめている風のチャンミンの姿を見ても、エム女史の心は一切ざわつかなかった。
ただ、アポイントメントまであと10分を切っていて、話に夢中になっている前方の二人に、そろそろ声をかけるべき時間が迫っていた。
・
「民ちゃん、どうしたの?
変だよ?」
「何でもないです。
お仕事中でしょ?
私に構っていないで、あそこの『可愛い人』と打ち合わせかなんだかに行ってくださいよ」
民は手を振って、チャンミンを「しっしっ」と追い払うフリをした。
『可愛い人』ワードに動揺しないチャンミンに、「無自覚、鈍感!」と民の機嫌はさらに悪くなった。
「何を怒っているの?」
「怒ってません!」
駄々っ子な自分を止められない自分が恥ずかしくて、民は両手で顔を覆った。
「顔が怒ってる」
チャンミンは民と目を合わせようと、彼女の手首をつかんだ。
「イライラしているだけです!」
民はひん曲がった表情を見られまいと、馬鹿力を出してチャンミンに抵抗した。
「ユンか!?
ユンに何かされたのか!?」
「ユンさんは関係ありませんよ。
何でもユンさんに結び付けないで下さい!」
エム女史に強い嫉妬心を抱いたとは、恥ずかしくて言えない。
それから、小首を傾げてチャンミンを見上げる仕草に媚を感じとったからと、「あの人はチャンミンさんを狙ってます」とも言えない。
民にとって恥ずかしいづくし、初めて抱く強烈な嫉妬心のやり場が分からない。
(私はプチパニックです...!)
「じゃあ、何を怒ってるの?
気になるじゃないか」
(あ~も~、チャンミンさんはしつこいなぁ)
「カリカリしてるのはですね...」
チャンミンをひとことで黙らせるワードを思いついた。
「生理前だからです!」
「!!」
「生理前の私はね、怒りの沸点が低くなってですね、どう猛になるんです!」
「...そっか、そうだったんだ」
男であるチャンミン、こればっかりは黙るしかない。
(...でも、民ちゃんは隠し事をしている)
「生...理だけが理由じゃないでしょ?」
「...うっ...」
「今日は定時で帰れるから、その時聞かせて?」
「......」
「やっぱりユンに何かされたんだろ?
これからあいつに会うから、抗議しておく」
「あ~!
それはダメですよ。
...あれ?
メールを読んでいないんですか?」
「メール?」
「はい。
ユンさんに会う前に、必ず読んで下さいよ!」
「分かった」
チャンミンの肩ごしに、腕時計をちらちら見るエム女史が見える。
(悔しいけれど、可愛らしい人)
民は「私は野暮用があるんで...じゃ!」と、この場を立ち去りかけて、気付いた。
チャンミンとエム女史を二人きりにするわけにはいかないことに。
民は二人をオフィスまで案内する体でエレベータの前に立ち、操作ボタンを押そうとした時...。
(はっ!
私たちが7階に到着した時、エレベータの前にリアさんが待っていたら...。
チャンミンさんとリアさんを、会わせるわけにはいかない!
二人ともに気まずい思いをさせてしまう!
それからそれから、二人の破局の理由に私も関わっているんだし!
このエレベータを使わせるわけにはいかない!)
民は二人を駐車場の外へと誘導しようと、「このエレベータは時間がかかりますから、エントランスの方のを使いましょうか?」と、エレベータの階数表示を指さした。
「!!!」
するすると地階へと下りていく階数ランプが目に入った。
「あら、ちゃんと下りてきたわよ」
エム女史の言葉に、チャンミンは「大丈夫みたいだよ」と民の方を見た。
ユンのオフィスとアトリエのある階のみ停止する、オーナーの特権エレベータ。
あっという間に到着し、マットブラックの扉がスライドした。
扉の向こうには民の予想通り、スタイル抜群の美女が立っていた。
「ああぁ...」
チャンミンとリアの反応が見ていられなくて、民は顔を伏せた。
(つづく)