(4)NO?-2章-

 

~くすぐったい~

 

「いらっしゃらなかったので...。

14時じゃありませんでしたか?」

 

壁の時計を見上げるユンに、チャンミンはムッとした表情になってしまうのを堪えた。

 

「いいえ。

メールで連絡した通り、15時でした」

 

チャンミンは失礼にならない程度に、きっぱりと言い切った。

「申し訳ない。

アシスタントが間違えて伝えたようですね」

 

事務所に通されたチャンミンは愛想笑いを浮かべ、いつもの打ち合わせテーブルについた。

 

(民ちゃんのせいにするなんて...。

本当に失念していたのか、わざとなのか...)

 

チャンミンの気持ちを読みとったのか、ユンはしれっと「私が勘違いしていたかもしれませんね」と言った。

 

ユンはテーブル隅に置かれた電話の受話器を取ると、「お客さんだ」とアシスタント(民ちゃん)に指示をする。

 

「民」の言葉ひとつで、ムカムカとしていたチャンミンの心は平和を取り戻すのだった。

 

「では、見せていただけますか?」

 

チャンミンはクリアファイルごとユンに渡す自分に、「大人げないな」と少しだけ反省する。

 

「説明文の表現もライターさんに修正してもらいました。

『インスピレーション』がありきたりだと仰るので、このように...」

 

身をのり出して、とんとんと修正箇所を指さした。

 

(ここまで感情的になるなんて、僕らしくない。

やっぱり、ユンに対して僕のパトライトが点滅している証拠だ)

 

ユンの後ろのパーテーション向こうに、意識が向いてしまいそうになるのを抑える。

 

「う~ん...イマイチですねぇ。

『突き動かされる直感を従って』なんて...ありきたりです」

 

ユンに校正用紙を押し返され、チャンミンの片眉がピクリ、と震えた。

 

と、パーテーションの曇りガラスをコツコツとノックする音が。

 

「...失礼します」

 

「あ...」とチャンミンは心の中で、驚きの声をあげる。

 

コーヒーを乗せたトレーを持って現れた女性...民の姿に、チャンミンの心がキュッとしなった。

 

なぜなら、よそ行きの顔をした民を目にするのは初めてだったから。

 

「あ...」と民も声をあげそうになるのを我慢した。

 

(チャチャチャンミンさん!?)

 

ぐんぐん頬が熱くなるのが分かる。

 

(どうして前もって教えてくれないんですか!)

 

どっきんどっきん鼓動が早くなり、手が震え、カップとソーサーがカタカタ音を立てた。

 

真っ赤に染まった民の両耳に、チャンミンは心の中でほほ笑んだ。

 

民への想いがだだ洩れの表情をユンに見せてたまるか、と警戒したからだ。

 

同様に、民も仕事中のチャンミンの姿を目にするのは初めて、「チャンミンさん...か、かっこいい...」と感動していた。

 

(おかしいな...。

スーツ姿のチャンミンさんなんて、一緒に暮らしていた時にいっぱい見ていたのに。

...私はチャンミンさんのことが好きなんだ。

ドキドキするー!

そっか...この前...この前、私たち!

きゃーーーー!)

 

ところがユンは、民を見上げるチャンミンの優しい眼差しを見逃さなかった。

 

手が震えるあまり、ソーサーからスプーンがすべり落ち、それはガラス製のテーブルにぶつかり派手な音を立てた。

 

「す、すみません!」

 

おろおろする民に、チャンミンは「僕はブラックだから構わないよ」と気遣った。

 

「いえ、そういうわけには...。

か、代わりのものを持ってきます」

 

「民くん」

 

ユンは振り向きざまに、きびすを返した民の手首をつかんだ。

 

「!!」

 

当然のことながら、チャンミンの表情は険しくなる。

 

民から手を離したユンが姿勢を戻す間際に、チャンミンは表情を戻した。

 

(民ちゃんに触るな)

 

「でも...」

 

民がユンにつかまれた手首をさすっていると、ユンは、

 

「民くんもここに座りなさい」と、椅子の一つの座面を叩いた。

 

「?」

 

「?」

 

ユンの発言に、チャンミンも民も同時にユンに注目した。

 

「お二人が揃ってちょうどよかった。

あなたたちに頼みたいことがありましてね」

 

頼み事の見当がつかず、民とチャンミンは顔を見合わせた。

 

「なんでしょう?」

 

「その前に見てもらいたいものがあります」

 

ユンはそう言って立ち上がると、その何かを取りに、パーテーションの向こうに消えた。

 

ユンのアトリエは広々としており、木製ブラインドから午後の陽光がふんだんに注ぎ込んでいた。

 

ボリュームを絞ったクラシック音楽がかけられている。

 

(悔しいけれど、ここがリラックスできる空間だと認めざるを得ない)

 

チャンミンは自身のマンションの部屋を思い浮かべ、がっかりしてしまうのだった。

 

 

(つづく)

 

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