【50】NO?

 

~キスの意味~

 

 

「笑わないでくださいね」

 

もじもじする民のお願いが何なのか、チャンミンにはさっぱり分からない。

 

「チャンミンさんにしかお願いできないんです」

 

「遠慮なく言いなよ」

 

「トイレに...ついてきてください」

 

「へ?」

 

「いつも困ってるんです。

昼間だし、人もいっぱいいるし...。

ほら、私はこんな見た目ですから」

 

そこまで聞くと、チャンミンは民の言いたいことが理解できた。

 

「いいよ。

僕が見張っててあげるから」

 

「ありがとうございます」

 

チャンミンはずんずんと大股で先を歩く民の背中を追う。

 

(我慢してたんだ)

 

「身障者のところは故障中だったんです。

お兄ちゃんは戻ってこないし、違う階まで走ればいいんですけどね」

 

「中に誰もいないか、見てくるから」

 

「漏れそうですから、急いでください」

 

チャンミンは男子トイレを覗くと、廊下で待たせていた民に頷いてみせる。

 

「OK」

 

民は小走りで個室に駆け込み、鍵を下ろす。

 

チャンミンもついでだからと、用を足すことにした。

 

「チャンミンさん...」

 

「ん?」

 

「耳をすましたら駄目ですよ?」

 

「しないって」

 

「おっきい方じゃないですからね!

勘違いしないでくださいね!」

 

「しないって」

 

「おならが出ちゃったら聞いてないふりしてくださいよ」

 

「OK」

 

「チャンミンさん」

 

「ん?」

 

「これって痴漢行為ですよね。

女の私が男子トイレを使うことって。

でも、仕方がないんです。

女子トイレに入れないんです。

通報されちゃいます」

 

「仕方がないさ」

 

「ですよね」

 

「!!!」

 

他の利用者が入室してきたため、チャンミンは民のいる個室のドアを鋭くノックした。

 

「......」

 

「......」

 

「民ちゃん、大丈夫、出ておいで」

 

民は眉を下げ、ほとほと困ったといった表情でチャンミンを見た。

 

「自分が嫌になっちゃいます...」

 

「民ちゃん...」

 

「髪を伸ばせばいいんでしょうかねぇ」

 

民の視線が自分の後ろに注がれているのに気づいて、チャンミンは振り返った。

 

洗面台の上に取り付けられた鏡に2人が映っていた。

 

短い黒髪のスーツ姿と、脱色した髪のTシャツ姿の2人の青年が。

 

2人は同じ顔をして、互いの目と目が合っていた。

 

「......」

 

鏡の中の民の顔がゆがんできたのを見るや否や、チャンミンは思わず民の肩を抱きよせた。

 

その理由は、民を哀れに思ったからじゃない。

 

公衆の場で目にする民が綺麗で可愛らしいと、チャンミンはあらためて実感したからだった。

 

「チャンミン...さん?」

 

チャンミンの行動に驚いて、民はしばらく身じろぎもせずにいたのち、チャンミンの肩にあごを乗せた。

 

どぎまぎしていた民は、チャンミンの首筋に貼られた絆創膏に気付かない。

 

チャンミンの片手が民のウエストに回ったその時、

 

「おっ!」

「!!」

 

用を足しに来た中年男性の声に、2人は弾かれるように身体を離した。

 

その男性は踵を返して行ってしまう。

 

「......」

 

(男子トイレで、男同士が抱き合っていたら驚くよな、そりゃ。

民ちゃんは男じゃないけどさ)

 

「はあ...」

 

チャンミンはシンクの縁に両手を突くと項垂れて、ため息をついた。

 

「あああーーー!!!」

「!!!!」

 

(ミミミミミミミンちゃん!!

いきなりの大声、驚くから!)

 

「チャンミンさん!!!」

 

民はチャンミンの両肩をがしっとつかむと、前後に振った。

 

「何!?

どうした、民ちゃん!?」

 

「忘れてました!

うっかり八兵衛です!」

 

「うっかり八兵衛って...何?

知らないよ、なんとか八兵衛なんて...」

 

「チャンミンさんにお願いがあります!」

 

「今度は何?」

 

「チャンミンさんだからこそ、できるお願いです!」

 

「僕?」

 

「そうです!

チャンミンさん『しか』できません!」

 

「よく分かんないけど...。

どうすればいいの?」

 

 

(渋々っぽく言ってるけど、そうじゃないんだ。

僕は君のお願いなら何でもきくよ。

だって、僕は君に夢中なんだから)

 

 


 

 

最後のお客を見送った後、他スタッフと共にAは店内の清掃にとりかかった。

 

Aはこのサロンにアシスタントとして勤めだして2年目。

 

目標はもちろん、少しでも早くスタイリストになること。

 

当サロンで1,2を争う人気スタイリストであるKは憧れの存在だった。

 

そんなKとコンビを組んでカットコンテストに挑戦するのは、今回で3度目だ。

 

イメージそのまま表現するために、カラーリング、スタイリング、衣裳をどうすればいいのか?を目を輝かせて語るKと共に、「作品」として作り上げていくのは心躍る。

 

コンテスト出場を嫌うスタッフも多い中、Kは積極的に挑戦していた。

 

サロンワークでは実現できないカットやカラーを思いのままに発揮できるコンテストの魅力にKはとりつかれていた。

 

コンテストが近づき、衣裳作りとウィッグを使ったカラーリングテスト、自分の顔を使ってのメイクの研究にと、Kと共に自宅に帰れない日が続いていた。

 

大手コスメブランドが主催の今回の大会は、優勝すれば世界大会への出場権を得られる。

 

出場条件が「スタイリスト5年目まで」の若いスタイリストを対象としているため、Kにとって今回の出場がラストチャンスだった。

 

衣装作りも佳境を迎えていて、モデルの民に当初着せる予定だったスカートを、ショートパンツに変更することになった。

 

身体のラインがでる スポーツレギンスを足の付け根ギリギリまでカットし、シルバー色のスプレーで色付けした。

 

今夜はモデルの民に試着してもらい、3日後の大会までに微調整を行わなければならない。

 

スケジュール的にギリギリだった。

 

2日帰宅していなかったKは、シャワーを浴びに近所の自宅まで帰宅している。

 

照明が落とされた店内では、もう1組の出場チームがモデルの髪のブリーチの真っ最中だ。

 

民を初めて見て、Aは感動した。

 

こんなに綺麗な人がいるなんて、と。

 

コンテストに男性モデルを使うのは珍しかったため、民と顔合わせの時、思わずKに問うような表情を向けた。

 

男性だと思い込んでいたから、Kに女性だと教えられて2度驚いた。

 

(来た!)

 

エントランスのドアから、背が高い民が会釈をしながら現れた。

 

「民さーん、お待ちしていました!」

 

キャップを後ろ前にかぶった小さな顔や、彫刻のように整った造作、長い手足が、素晴らしい作品に仕上がる予感がAの心は満ちる。

 

(本人は自分がどれだけキレイなのか、全然気付いていないんだもの...)

 

今夜の民は、Tシャツにダークグレーのハーフパンツ姿といったラフ過ぎる恰好だった。

 

「ほぼ完成したので、試着してください!」

 

Aは民の手をひいて、奥のカーテンに仕切られたVIPルームへ案内する。

 

「そこにおいてある銀色のがそうです。

改造するのに苦労しました。

ストレッチがきいてるから、ミシンかけが難しかったです。

着替え終わったら、出てきてくださいね」

 

そう言ってAはカーテンを閉めた。

 

 

(つづく)

 

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